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鹿狩りフラミニヤ―創作

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自然発生的に生まれた掌編や散文詩ともつかない「創作」寄りのもの、およびお題をきめて書いた習作をこのマガジンで販売しています。不定期的に更新され、原稿用紙で二百枚程度になったらひと… もっと読む
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#エッセイ

令和の御代のはじまりと私――掌編にかえて

令和の御代のはじまりと私――掌編にかえて

 沸々として湧き出るものが、溢れて零れる時を私はずっと待ち受けていた。
 もうだれとも逢いたくない、人と出会って話をしていると私は彼らの言葉に声に、私の懐中から取り出した細やかな工具を用いだし、醜い部分を裏返しにさせて露呈させ、私はそれ以外の従来の工具の使い道を見失っている始末だった――なにを言っているの? 慥かに君には僕が何を言っているのか分からないかも知れない。けれどももう本当に見納め時だとお

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十二月上旬の景観

十二月上旬の景観

 いずれ世界を底抜けに滑稽に染め抜く小唄ともつかぬ、饒舌と哄笑の遊戯でさえなくなった惰性の遊戯に包まれて、この日本という島国でもっとも夜が夜であるという繁華街の中央、危なっかしく均衡を保とうとすることに私はそのころ、疲弊していた。疲弊? 今更なにが疲弊であったと云うのだろう?――こうなることを選んだのは自分だったではないか。交遊も酒も喧噪も、持って回った言い方も。問題は、ふと醒めたようにしてそれら

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