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千葉県警の美少女VTuberに乳首を出させろ!

 千葉県警の広報動画で3Dの女キャラが起用されていて、それがフェミニストたちに性的搾取だとか、セクシュアルに過ぎる、とか批判されているのだそうな。
 大概、ブスで、自立できていない女にかぎってフェミニストになるんだけどな。
 その手の権利意識が強いやつ、大概、ブスだから、これはマジで。
 辞書でフェミニスト、って調べると、そのページにはドブスの女の写真が載っているという。
 今回はまあそれはいいとして、こんなの、なんか一辺倒で、単調で平凡な批判のようにしか響かんよ、要は陳腐なんだ、で、注目すべきはかつてなく陳腐なのだっていうことだよな。
 エリート主義にひたりきった日本流民主主義も大いに作用をしているわけだが、日本というのはジェンダーの問題について非常に遅れている国だ。性差の問題ってトランスジェンダーの問題ともオーバーラップするはずだのに、G7で同性婚が唯一、許されていない。
 男性陣営からのフェミニズムに対する反発――フェミニストってバカだよね、社民党の女議員をつまみ出せ、っていうのは至極穏当で、当たり前のことであって、そういうだれでも云える当たり前の意見は出るんだけれども、マチズモの方がすげえだろーが、みたいな、わかりやすくいって石原裕次郎にかぶれたような野郎が、出て来ない、問題提起がまったく成されていないわけ。せいぜいが、痴漢えん罪には気をつけましょう、みてーな受け身のもんばっかりだ。
 女性が不遇なのはたしかかも知んねーけどさ、男性側は男性側で、抑圧されていると感じていてもなんかそれを言葉にしてはならないというような、コードがあるんだよ。空気が。いや男だてらに甘ったれてんじゃなしに、マジで。
 フェミニストがなにか云うのに対して、男性たちは奥歯かみしめて「男らしく」黙る羽目になる。騒ぎ立てるのは女(ブス)ばっかでさ、そしてその口吻はこんにちの情勢にあってリベラルでもなんでもありゃしない、旧世紀の遺物みてーなもんで、いよいよ後進国ってテイスト醸し出してやがる。
 だってよ、実際問題、お臍がみえているファッションがけしからんとか、なんとかいうのは、これはかつて「保守親父」が指弾していた当のものじゃねーか。
 アニメなんて軽薄で有害だ、というところまで遡ってみても、それはもう古い保守反動のイデオロギーですらない、アニメオタクは犯罪者になりやすい、とかいう似非ジャーナリストや、反吐がでるようなワイドショーの言い分をよすがとした、根も葉もないそれじゃん。
 どだい、3Dの広報キャラみたいのなんざ、とうの昔からあったともいえてだね、今はなぜか廃れたが、昔は銀行のATMのディスプレイにアニメの女性の受付員みたいなのがまず出てきて、外国人たちを喫驚させていたじゃねーか。
 あるいは、今でも電車のホームでのアナウンスやらなんやらというのはたいてい、女の声ばかりなのはなぜであったのかとか、そっちの方がどうやら不自然だし、それが日常に瀰漫している点に、フェミニストは疑義をもつべきなんだよ。
 都合のいいこと、これは問題化しておけば自分がかっちりしているようにみえるだろうということ、そういうような事象ばっかり追いかけてんじゃねーよ、ぬるま湯につかりやがって。
 もちろん、機内放送みたいなのは女性ならではの職業なんだ、という言い分はあるだろうが、だから、その「女性ならでは」という鋳型が基本的には、フェミニストつーか、性差の問題なんであって、それに比すれば、アニメキャラのヘソ出しルックがなんだってんだ。アニメキャラなんだから別に乳首でも出していて良かったんじゃねーの、って、そういう方向に話を持っていくのが寧ろ女性解放って感じがして、いいじゃん。クールジャパンとかいってさ、浅草観光に来ていた外国人たちからも人気でるよ、コロナでイライラたまってるだろうし、まあ保証はしねーんだけどね。
 男性・女性・さらにそこにバイセクシュアルの人びとに対する幻想、男性性や女性性といった幻想を、どうあれ人は求めるもんなんだよ。
 バイセクシュアルに対する幻想って何、って引っかかるかも知んねーけど、オカマの人は優しい人が多いとか世間擦れしていて面白い人が多い、みたいな、そういうのも幻想なわけよ。 
 で、おかまバーでさんざボラれて、その幻想が潰える、と。こういうのを美談と俺みたいな文学者は呼ぶわけだけれど。
 軟弱な男性をみてそれを男らしくない、と女性は失望をするものであったし、下品な女性をみて女性に対する失望を男性は抱くように、できているのであって、その幻想性というのがよかれあしかれ通用をしなくなっているのが今の日本の社会の通り相場、これはもう、決まってんだ。
 男はいさおしく、女人はたおやかに、みたいなもん、そんなもん、もう南青山の婚活セミナー会場以外のどこにもねーから、もうホント伊藤博文の刷られた紙幣みてーなもんだから。
 オーバーニットを着込んだ軟弱な男性をみて女性はそれをかわいらしいと感じたりするし、BLに耽る女性を好意的に受け容れる男性も山といる、――それでもなおね、男は自らの人生のなかで、男性的であることに快楽を見いだすものだし、女性は女性的にジュエリーやらに惹かれざるをえないのであって、まあなんつーのかな、その天然自然の人間の本能と、現代の文化事象の間とで、一部の日本のジェンダー論は、もう、根底からして、バランスを欠いている、というかバランスの積み立て方ももう、分からなくなってんだわな、ブスだしで。
 で、ジェンダーについてのこんにちの議論は硬直して、古典的保守親父じみていく、そういうわけだ。
 だからまあいいことだろうな。最終的に改憲派にでも落ち着いていけばいいんじゃねえのか。女たちに竹槍もたせるところまで行くかもしれねえぞ。
 ガチな話、俺としては、そのしわ寄せを食らう、食らってきたのはバイセクシュアルの人びとであると、思うけどね。恋愛なんて色々あるんであってね、俺は本邦において、同性婚が一刻も早く実現されるべきであると思っている。
 同性婚の是非の問題もまた保守、リベラルの政治的対立の構図と切って離せなくなってる、そのわが国のあり方ってホントおかしいんだけど、個々人の恋愛関係の問題が、政治的な問題へと還元されちまうこと自体が、まったくもってナンセンス。――なんかそういうとスタンダールとかの小説みたいで恰好いいけれど、そうじゃない、ここでいう政治ってのはミジンコみてーにちっこい意味での、日本の政治なんだよ。まあそこの部分はどうあがいたって、変わりゃしない、これからますます本邦が貧乏になって、後進国になっていくのも、わかりきってるこったけどさ、だからこそ景気よく、寧ろ乳首ださせれば良かったんだぞって、そういう話だね。


(2021.9.17)

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。