息をするように本を読む 14 〜恩田陸「蜜蜂と遠雷」〜
中学の頃、英語の授業中に先生からpresentとgiftの違いについて尋ねられた。
うーん、プレゼントはどちらかというと普段遣いで、ギフトはちょっと改まった感じ、とか。
先生は、まあ、それも答えのひとつだけれども、と言いながら説明してくれた。
プレゼントは人から人へ与えられる友愛の印の贈り物。
ギフトには神から人に与えられる恩寵、才能という意味がある。
この話を聞いたとき、なんて素敵で、そしてなんて残酷なのだろうと思った。
才能は天与のもの。
人の力や思いを超えたもの。
ほんとうに渇望する人に与えられるとは限らない。
この小説「蜜蜂と遠雷」は話題になっていた頃から読みたい、読まなくちゃ、とずっと思っていたのたが、タイミングを逃してなかなか読めずにいた。
私がnote記事を読ませていただくのを楽しみにしている方々の中にEmiさんといわれる方がいる。
この方の記事は映画や本の紹介がメインなのだが、いつも優しく真摯な語り口で、作品に対する大きな愛情が感じられるのだ。
過日、そのEmiさんの記事でこの小説のスピンオフが出たと紹介されていて、更にもう少し前の記事にはこの「蜜蜂と遠雷」が紹介されていた。
やっぱりどうしても読みたい、と思い、書店に走った。
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他に読みかけの本があったのだけど、どうしても気になってちょっとだけ、と読み始めたらもう止まらなくなった。
正直、私にはクラシック音楽がよく分からない。
それは苦手というのではなく、鑑賞力が貧弱でついていけないのだ。鑑賞耳が悪い、とでもいうのだろうか。
でも、ふとした折に流れてきた音楽に心を奪われ、手が止まることが私にもある。
美しい音楽に浸ってもっともっと味わい尽くすことができる、そんな力が私にあったら、と思わずにはいられない。
この小説を読んで、その願いが叶った気がした。
「蜜蜂と遠雷」は3年毎に開催される日本の、とある国際ピアノコンクール全日程が舞台となる。
審査員たち、コンクールの出演者たち、その家族や友人、その他のたくさんの関係者たちの群像劇である。
読んでいる間ずっと、頭の中に聞いたことがないはずのソナタやコンチェルトが、ピアノが、オーケストラが鳴り続け、コンサートホールで観客たちと一緒に座席に座って演奏に聴き入っている心地がした。
きらきらと煌めく音の粒。飛び出してくる音の壁。世界に散らばっている無数のエネルギー。波のように押し寄せ、心の奥底の柔らかい感情に触れる。
音楽を表現するためにありとあらゆる言葉が溢れている。
文章で音楽を聴く、という不思議。
主要登場人物のひとりが一次予選の曲を見事に弾き終えたあたりで、いきなり涙腺が決壊し、家族に笑われた。
そんな序盤で泣いていたら、最後までもたないよ。
最後の本選まで無事聴き終えることが出来てよかった。
ギフト、神からの恩寵というのはその本人だけに与えられるものでないのだ。
作中のある人物が言うように、神に愛された天才と呼ばれる人はもちろん、その周りの天才にはなれなかった人たちやそれを支える人たちの、出会いや繋がりによって起きる化学変化のような新たな輝き、それがギフトなのかもしれないと思った。
私は文庫で読んだので、巻末に幻冬舎の編集者さんの解説が付いていた。
この小説が刊行されるまで、構想からなんと足掛け10年かかっているという。
何かを生み出すということは音楽も物語も同じ、生半可なことではないのだ。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
素晴らしい音楽を聴かせてくれたこの小説と、それを手に取るきっかけを与えてくださったEmiさんに深く感謝する。
****追記
実は今回、Emiさんの記事を紹介させていただくのに、皆さんがされているようにきれいに埋め込みにしたかったのですが、やり方がわからなくて…。文字の羅列のみになってしまいました。
私はスマホを使っているのですが、スマホでは出来ないのでしょうか。ご存知の方、よかったら教えていただけたら、幸いです。
→→コメント欄で沖山りこさんに教えていただき、無事埋め込み記事が出来ました。(ちゃんと見えてますか?)ありがとうございました。
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