大内義隆の辞世 戦国百人一首92
戦国時代の末期、現在の山口県南東部にあたる周防国の官僚大内氏は、近隣の少弐、大友、尼子氏らと激しい勢力争いをしていた。
その一族の第16代当主が大内義隆(1507-1551)だ。第15代大内義興の嫡男で、周防・長門・安芸・石見・豊前・筑前の6ヵ国もの守護を兼任し、大内氏の最盛期を迎えた守護大名である。
その彼は、1551年8月に大寧寺(長門市深川)にて切腹して果てた。
彼の辞世にある「如露亦如電」「応作如是観」という言葉は、禅の教えや悟りの境地が短く凝縮された禅語である