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自分の今までを振り返って2 -大学の挫折-

先日の、高校生からの続きで、大学時代に関することを書いてみたいと思います。

大学には、補欠合格で入りました。補欠合格というのは、合格した中から欠員が出たために、一度落ちた大学に繰り上がりで合格することです。

すでに、別のデザイン科のある大学に受かっていたため、そこに入るつもりでいました。母親に付き添われ、上越新幹線に乗りました。その大学は北陸にありました。3月でしたが、トンネルを抜けたら雪国じゃないですけど、トンネルを抜けると吹雪になっていました。その近くに住む場所も決めました。ドアとドアが吹き抜けで向かい合った6部屋くらいのこじんまりしたアパートでした。大学を遠目で見学すると、桜が一列に並び開花を待っていました。

大学というものは入学金制度があり、入学するために大学側に何十万か支払わなくてはなりません。親には、その大学に入るための入学金をすでに出してもらっていました。そのあと、補欠合格で他県の大学に入学したため、そこでも入学金を出してもらっています。親には、今でも足を向けて寝れないです。(ただ、それだと北枕になっちゃうので気にせず寝ています。)

大学には様々なひとがいて、変わった音楽を教えてもらったり、美術館に行ったり、世界がぐんと広がりました。ダフトパンクや、昔の邦楽なんかも、そのころに教わりました。年代問わずジャンル問わず、ものに触れた経験は、今でも自分に生きていると思います。

大学では、美術史や彫刻、デザイン以外にも学びが多くありました。友達の車で隣町の木材屋に駆けたり、木のおもちゃを作成したり、陶器のポット制作で窯を見るため徹夜したりしました。山を切り開き作ったような大学で、坂がきついため免許を取りバイクに乗っていたのも楽しかったです。

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補欠合格だったのもあり、手先も器用なほうじゃないし、周りの同級生や他科にコンプレックスがありました。大学3年生の夏休みに、このままじゃだめだ、どこの会社にも受からないと、非常勤の先生がやっているデザイン事務所にインターンに行きました。「頑張ってる自分が好きなだけなんじゃない」など、今でも覚えている言葉がたくさんあります。自分って本当、レベルが低いんだなと、挫折が確かにありました。高速道路の高架が近くに走っている、小さなマンションの一室でした。その先生は、プロダクト(製品)も、グラフィック(チラシやwebページ)も、なんでもデザインしていくひとでした。道路が蜃気楼でゆらっとしている中で原付をとばして、その事務所に一か月インターンに行きました。

就活に使う作品集を見てもらいました、上記の言葉じゃないですけど、友達に言うと引かれる言葉ばかりいわれましたが、その先生には感謝しかありません。それから、その先生に「スケッチやったら」と言われて、スケッチを毎日20枚、半年やりました。そのおかげか今でもポンチ絵のようなスケッチはササっと描けますし、アイデアを絵にするのも楽にできるようになりました。

きついインターンも終え、大学3年の秋頃から企業の社員募集が始まりました。世にいう就職活動です。

思うように、選考は進みませんでした。早い人は四月くらいに会社を決め就活を終えていますが、私は六月になっても一社も受かっていませんでした。その頃、友達ふたりと一緒に大学の中央にある池の前のベンチに座り、おにぎりを食べていたときが思い出されます。友達が、別の友達に「内定出たんでしょ、よかったね」といったとき「言うなや、(明石がまだ会社に受かってないから)言わんようにしとったのに」というやり取りをしているのを聞き、私は「用事あるの思い出した」と帰った記憶があります。

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県をまたいで何社も受けました、デザインだけでなく、ものを作るのは好きで、ジュエリー制作の試験も受けました。和風でありつつ、モダンなデザインが特徴の、京都のジュエリー会社です。

ジュエリーの金属加工の試験として、小さな三センチ角ほどの樹脂を、時間内に金やすりで三角柱に削りだす試験がありました。後ろの席にがたいのいい男のひとが座っており、削っている音が重く深く部屋に響き、じっさい早く削れていたため自分はだめかもなあ、と思いました。じじつ落ちました。

遠方の会社も受け、あまりの疲れに新幹線でぼんやり眠っていたこともあります。新幹線という乗り物は、名古屋を乗り過ごすと次は京都なんですよね。疲れて眠りかけたまま「名古屋に着いたアナウンス」が流れ、終電なのに京都まで乗り過ごす事を瞬時に思い、扉まで走り、扉が閉まりかけたところに持っていた紙袋を挟みこみ、なんとか降りたこともありました。(本当すいません)

なんとか2社受かって、そのうち一つに就職しました。

大学2年の頃になりますが、陶器の授業でT先生に出会い、自分は全然ほかの子たちよりだめで、器用じゃないから、陶器の型を削る作業において「ほかのひとより2倍くらい時間がかかっている気がする」と思わずコンプレックスを喋ったことがありました。デザインソフトの習得も同級生よりずっと遅く、そのことも含め、焦りのままに話し続けると「40代くらいで、やっとちょっと他のひとと差が出来るくらいよ。あせんなくていいよ。」と諭されました。

若い頃の努力が無駄だとは思いませんが、どんな世界でも習熟するのには時間がかかる、そういうことを身で教えてもらいました。

就活から数年経ち、デザインの世界からは離れましたが、あの頃は無駄じゃなかったとおもいます。錯覚だとしても、そう思わないとやってらんないですよね。かけがえのない時間です。

私なんかがと思いつつ、就活生にあえて言いたいのは、すごく入りたい思いやあこがれで入った会社でも、数年も経つとどうなってしまうか分かりません、ということです。人が良かったら、給料がよかったら、ずっと続いたりもします。何が起こるか分からないということです。気負わずにやってほしいと思っています。

ありがとうございました。

先日書いた、高校生までの話は下記です、こちらもよかったら。




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