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わかりにくい仲間はずれ

親戚が亡くなったことを、母が私に伝えてきました。亡くなった人を見舞った帰りの、電車の待ち時間についでのように。
少なくとも、小さい頃からお世話になった親戚の突然の訃報に、私がショックを受けないはずはありません。
しかし母は、「○月○日、ごく少人数で火葬して遺言通り散骨してしまうから。忙しいだろうから無理に来なくていいわよ」とのこと。
母と、母と同居する私のきょうだいと一緒に行ってくるから良いとのことなのです。
残念なことにその日はどうしても外せない用がある。しかし墓も位牌も無いので後からお参りすることもできない。
どうしようと迷っていると、
「電車が来ちゃったから、切るわよ」と母。
電話を切ってから、私はショックで呆然としていました。
結局、参列するというきょうだいと連絡を取り合って、香典を託すことにしたのですが……。

母は、私と離れて暮らすようになってから、こういう大事な話も、何も知らせて来ないのです。
こちらから連絡を取らないから、「私も極力連絡しないわよ」という感じ。
けれど自分の気が向いた時にはどうでも良い話を延々とする。
優先順位が明らかにおかしいし、親戚や身内の一大事を私に知らせたくないかのようです。

私がいちばん慕っていた祖母が危篤になったときにも、すぐに知らせずに、周りから「なんで知らせないんだ?」と言われたというのに。
だから今回は『いちおう』知らせてみた、というような態度でした。

突然のことに母もどうして良いのかテンパっていた?
いえいえそんなことはありません。
きちんときょうだいと火葬に参列する話まで取り付けていたのですから。

これは私とその親戚との関係性を知らない人には理解できない、わかりにくい『仲間はずれ』なのです。
私が親戚の中でそれほど重要な位置にいないということを見せつけたいかのようです。
母の意識では、私が『その親戚にそれほど思いが無いから、敢えてお別れするほどでもないでしょう?』というつもりなのかもしれません。
あるいは、私は身近な人の死に何も感じない冷酷な人間だと思いたいのかもしれません。

母は昔から、私をこんなわかりにくい方法で、家族や身内から『仲間はずれ』にしてきたのです。
しかしわかりにくくても、面と向かって「出ていけ!」「お前など家族と思いたくない!」と言われるのと同じくらいのメッセージ性はあるのです。

私はそうやって家族や親類から仲間はずれなのだと思わされてきたので、未だに職場や友人の集まりで「あ、私だけ外されている」と感じてしまうことが多いです。
大事な話を、何故か私だけ聞かされていなかったということも多いです。
自分が敏感に感じるだけでなく、大事な話をする場面を自分から避けていることが多いのです。
仲間内でみんなに何かを配られている時にも、『どうせ私の分は無いでしょ』とその場から去ってしまうこともあります。
そういう態度がますます孤立を強めていくのです。

私がなぜこんなに卑屈に仲間から外れたがるのか?
「どうせ私など誰も相手にしてくれない」と思ってしまうのか?

母のこの、わかりにくい言動や態度で、私はずっと家族や親戚や近所の人たちから『仲間はずれ』なのだと思わされてきたからなのでしょう。

実際に、幼少期は病弱で近所の子どもたちと遊ぶ機会が少なかった。
学校ではイジメに遭って、本格的な仲間はずれにされた経験がある。
仲の良い友達のことを母が「あの子はあなたが何でも言うことを聞くから、利用しているのよ」と言う。

母の言動が証明されるかのように、本当に仲間はずれにされたり、他人に不信を抱くような出来事が重なって、私は重度の人間不信、そして自分不信に陥ってしまったのでしょう。

母が何故、ここまで私を貶めようとするのか?
それは前回の記事の、自分のカルマから目を背けようとしているという理屈でないと理解できません。
今回のことは、それを知っていなかったとしたらまた、「私はお世話になった人を見送ることもしない冷酷な人間なのだ」と落ち込んでいたでしょう。
母の巧妙な手口によって。

本当に、母は今世で変わる気は無いようですね。
どうぞご自由に、「akbalにしてやったり!」と自己満足に浸っていてくださいませ!

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