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[短編小説] 素顔うらはら。

 何かの夢を見ていた。それがどういう夢か思い出せないことはいつも通りだった。

 まどろみの中で、寝ぼけながら枕に顔を押し付けると、鼻をくすぐる匂いが、自分のものと違っていることに気づいた。その瞬間、焦りとともに意識が覚醒した。見渡すとやっぱり私の部屋ではなかった。
 次いで頭に鈍痛が広がっていき、私は思わずベッドの中でうずくまる。視界も思考も、自分の感覚全部がぐるぐるぐるぐるして気持ち悪い。
 頭痛い‥ここどこ?‥今何時?‥胃液が上がってくる‥変なことになってないよね?
 生理的な身体の反応に任せてうめき声を上げる。声を上げて頭の痛みを散らしながら、昨日の記憶を遡った。
 夕方から大学の同級生と居酒屋に集まってお酒を飲んだ。後期の試験や課題が終わり、全員無事に四年生に進級することができることとなったので、その”お疲れ様会”と称してみんなで飲み会を行ったのだ。勉強漬けの数週間のストレスから解放されたためか、昨日はみんな箍が外れたようにお酒を飲んでいた。かくいう私もみんなに釣られてかなりお酒が進んだ。
 ‥‥‥ということまでは思い出せた。
 そこまでは覚えている。‥‥けれども、そこからが全く思い出せない。
 相変わらず頭痛は続いていたけれど、徐々に痛みに慣れてきたため、周囲を見渡す余裕が生まれた。
 この部屋は寝室みたいだ。私を乗せたベッドがあって、ベッドサイドに小さなライトと文庫本が二冊置かれていた。他には、クローゼットの扉がある。その扉の傍らには姿見。ここで毎日着替えをしているのだろうか。そして、部屋を区切るように仕切りのドアがある。
 寝室の雰囲気からは性別が読み取れない。そのため、焦燥感が高まっていく。「まさか‥」という寒心の思いが頭をもたげはじめた時、仕切りのドアが横にスライドした。
 「なぎちゃーん?起きたー?」
 顔を出した人間が見知った顔だったので一気に安心する。
 「よかっっったーーー」と私が安堵の声を出して言うと、同級生の美空(みく)は笑った。
 「何がよかったの?」
 「いや、男の子の部屋だったらどうしようって焦ったよー。黒歴史になるところだったー。ここ美空の部屋?泊めてくれたの?ありがとうー」
 安心感から一気に饒舌になって話しかける。美空はそんな私の様子を見て相変わらず笑っていたが、その表情がみるみるニヤついた顔つきに変わっていくのがわかった。美空がふざけてやるいつもの厭らしい笑顔になっていく。
 「ん?」
 「なぎ。かなり目線に困るから着替えた方がいいよ」
 美空の言葉に自分の身だしなみを確認した。昨日着ていった黒のブラトップが右肩を支点にして垂れ下がっている。そして、履いていたデニムがどこかに消えていて、下半身も下着丸出しだった。私は恥ずかしさから声を上げてしまう。そして、すぐにベッドの下に脱ぎ散らかされた自分のニットのトップスとデニムを見つけると、急いで身に着けようと試みる。その間、美空は携帯端末で動画の撮影をはじめようとしたので、着替えながら少し本気で注意した。

 「お騒がせしてすみませんでした」
 「いえいえ、どういたしまして」
 結局、私は美空が貸してくれたスウェットパンツとフーディーの部屋着のセットアップに着替えた。美空がどうしても部屋着姿の私を見たい、というわけのわからないリクエストしてきたからだ。私はひと晩泊めてもらった恩もあったため、断れずに美空の要望に従った。
 「部屋着のなぎも可愛いね」
 「はいはい、ありがとう」
 私は美空の戯言をいつものように適当に受け流す。美空は周りの女の子に対してこういった一癖あるコミュニケーションを取る。
 美空とは大学に入学した時に出会った。同じ学部の女子たちのグループができて、それで私も美空もそのグループの一員といったかんじで、いつの間にか仲良くなった。彼女の性格は一言で表すと、女の子らしい女の子といったかんじだ。見た目も、華奢で、黒髪のストレートで目がくりくりしている。小動物みたいな愛らしさがあって、どこかマスコット的な可愛らしさを有している女の子だ。それに加えて、件の変わった趣向があって、本人は女の子でありながら、「可愛い女の子が好き」、というのだ。だから、同級生の女の子にも、今みたいなかんじで、男の子が女の子にちょっかいを掛けるような接した方をする。みんなはそんな美空のキャラクターを面白がっていて、彼女のグループの中での立ち位置はイジられ役みたいなかんじになっている。私はそんな美空の振る舞いを見ていて、出会ったことないタイプの人間だな、と思ったのと同時に、これが彼女なりの処世術なのだろう、と他人事のように、気にかけることなくこれまで接してきた。
 「はい、これ白湯」
 「あっ‥ありがとう」
 私はお礼を言って美空からコップを受け取り、勧められた椅子に腰掛けた。
 白湯? あの美空が白湯?
 どうでもいい些細なことなのに、なぜかすごく引っかかった。まだ酔いが覚めていないのだろうか。
 テーブルを挟んで美空も私の正面の椅子に座る。私は白湯を啜りながら、失礼にならないように部屋の様子を盗み見た。
 簡素なダイニングキッチンに、今腰掛けている椅子とテーブル。リビングには、ソファー、ローテーブル、テレビ、こぢんまりとした本棚があって、その中に大学の教科書なんかが立てかけてある。
 手元の白湯に視線を落とす。この飲み物もそうだけど、この部屋にあるもの全部が、どこか私が思い描く美空のイメージと結びつかない。
 美空のことだから、もっとファンシーな部屋に住んでいるものだと思っていた。二、三年の付き合いでもまだ知らないこともあるものだな、とこれまでの私と美空との関係に思いを巡らせた。
 視線を正面に戻すと、目の前に座った美空がテーブルに両手で頬杖ををつきながら私のことを見つめている。小顔効果でも狙っているのだろうか。こういう女の子らしいあざとい所作をわざとらしくしてやって、みんなにイジられるのが私の知っている美空だ。
 でも、どこか腑に落ちない。
 私が白湯をひと口飲んでコップをテーブルに置く。そうすると、すかさず、美空がそのコップを取って、中身をひと口飲んだ。そして、コップをテーブルに置くと満足そうに笑って一言言う。
 「これで間接キスだね?」
 「そういうの本当いいから」
 いつものようにふざける美空を、私は軽くあしらう。不安からか、私はいつもより愛想笑いを強調して言った。いつもの私たちの空気に戻したかったから自然とそうしていることに言った後から気付いた。しかし、私の目論見とは裏腹に、美空が掴みどころのない笑みで私に視線を送っていた。
 気まずさが悪感情に変わって、居心地が悪い。
 「あの‥美空?」
 「うん?」
 「本当に美空なんだよね?」
 「こんな可愛い女の子他にいる?」
 今、目の前にいるのは見紛うことなく美空で、たしかに美空が言いそうなことを言っている。でも、どこか違和感が拭えない。いつもの私たちの空気に何かが混じり合っているような、そんな違和感があった。
 「もしかして、私、昨日何かした?」
 酔って記憶を失くすなんてはじめてだったから、自分が何をしでかすか想像もつかなかない。自戒の意味も込めて縋るように質問した。すると、要領を得ない返答をされた。
 「”なぎがシた”というより”私となぎで、シた”ってかんじというか」
 「?」
 「覚えてないの?」と言って、相変わらず何を企んでいるのかわからない表情で笑う美空に、私は聞き返す。
 「私たちで何をしたの?」
 「セックスだよ」
 一瞬、時が止まった気がした。美空の言っていることに理解が追いつかなくて自分の脳がフリーズしたみたいになった。
 そしてまずは、冗談だろ、と思った。美空のことだから、いつものように私にダル絡みをしてきているのだろうと。しかし、自分の記憶が定かでないことや、目の前で笑みを浮かべる美空が妖艶な雰囲気を漂わせていることに、私は動揺してしまう。
 「セックスって、あの”セックス”?」と私は疑問なのか質問なのかわからないことを美空に聞いていた。聞いてすぐに恥ずかしさがこみ上げてくる。”セックス”という単語を、誰かに対して口に出して言うなんてはじめてだったことに気づいた。
 「うん」と美空は応えた。
 彼女の表情を確認すると、少し頬を赤らめて、甘ったるい表情を浮かべている。
 その時、私は、何故か、美空の考えていることが手に取るようにわかってしまった。
 今、美空は昨夜の私たちの営みに思いを馳せていた。そういう表情だった。
 その刹那、私の脳内にも、さっきのベッドの中で、熱のこもった瞳で見つめ合い、互いの身体を求め合う、私と美空の画が流れ込んでくる。私はすぐにその想像を打ち消した。
 「嘘‥でしょ? だって、私たち、女同士、だよ?」
 「女の子同士でもセックスはするでしょ?」
 美空に言い返されて、自分の身体にざわっと不快な感情が広がる。これは‥罪悪感だとわかった。今の私の言葉は不適切だったかもしれない、と後ろめたい気持ちになる。何より目の前にいる美空を傷つけたのではないか、と不安になった。私は反射的に「ごめん」と謝る。美空は私の気持を察してか「気にしてないよ」といつもの笑顔で応えてくれた。
 それでも‥‥
 「でも、私は、そういう対象は、男の子で‥だから、何ていうか、信じられないというか」
 私は考えがまとまらないまま、なんとか言葉を紡ぐ。
 自分がどこに向かっているのか、何を言えばいいのかわからず、困惑していた。いつもと様子が違う美空に対する不信感。それに加えて、もし美空が言ってることが真実なら、お酒に酔った私にそういうコトをしたことへの嫌悪感もある。しかし、同時に、美空に好意を向けられていること、しかも格別な思いを寄せられていることに対して、不思議な興奮が、自分の身体からわき上がってきていることに、私自身が驚愕していた。
 自分の心と身体が矛盾している。
 なんか、気色悪い。

 「なぎ」
 美空の瞳に見つめられて、呼びかけられる。
 「目を覚まして」
 美空はそういうとテーブルの上に置かれた私の手を握った。
 「起きてるよ?」
 私が応えると、美空はかぶりを振る。
 「なぎはまだ目覚めてないんだよ。まだ、気付いてないの」
 美空、何を言ってるの?
 私の口に出した言葉が美空に届いたのか、判然としない。
 頭が痛い。まだ、お酒が抜けてないんだ。美空の手を振り解いて、私は自分の頭を抱え込む。
 光の気配を感じてバルコニーに視線を向けると、薄暗い部屋に柔らかい朝の陽光が差し込んできていた。白い光によって部屋の輪郭が明らかになっていく。
 「私はなぎを一人にしないよ。だから、なぎも私を一人にしないで」
 美空の優しい言葉が頭の上から降ってきて、私は顔を上げる。
 悪い夢なら覚めてほしい。そう思っていた。それなのに、拒もうとしない自分がいる。
 顔を上げた時、私の顔に掛かった髪を撫で上げる美空の指に、確かな心地良さを、私は感じていた。


終わり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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