村上春樹『女のいない男たち』について

『女のいない男たち』はこの本のために書き下ろされた20ページほどの短い物語である。

主人公である「僕」はどこにでもいるような既婚の中年男性で、何か特別な仕事をしているわけでもない。

しかし、そんな彼のもとに突然電話がかかってきて、かつて交際した女性が自殺したことが告げられる。

彼は突然告げられた女性の「死」をきっかけに、死の原因について考え、かつてその女性「エム」と共に過ごした日のことを思い出していく。

彼女の「死」について僕は次のように語っている。

そして彼女の死と共に、僕は十四歳という部分が根こそぎ持ち去られている。それはどこかの頑丈な金庫に仕舞い込まれ、複雑な鍵をかけられ、海の底に沈められてしまった。

「僕」にとって彼女の死は自分の過去を失わせるものだった。

彼女とは会わずに過ごしていたとしても、すでに彼女は彼の一部分として生き続けていたのだ。

愛する女性を失うというのは男にとって自分の過去を奪われるということでもある。

このストーリーそのものは救いようがないほど暗く陰鬱だ。それが現実に起こりえるゆえにリアルな不安を読者に与える。

だが、実際に読んでみると、物語はそれほど重苦しくはない。

明るさを保っているのは、愛する女性を失った「夫」ではなく、すでに他の女性と結婚している男性を主人公に据えているからだろう。

主人公「僕」の抱える孤独はあくまで二番目のものでしかない。

世界で二番目に孤独であるというのがどういうことなのか僕は既に知っている。しかし世界でいちばん孤独であるというのがどういうことなのかはまだ知らない。世界で二番目の孤独と、世界でいちばんの孤独との間には溝がある。

「世界でいちばんの孤独」であるのは亡くなった彼女の夫である。「僕」は彼女の死に大きなショックを受けながらも、自分よりも孤独である存在に思いを馳せる。

この作品のタイトルにもなっている「女のいない男たち」というのは、厳密には「僕」ではなく、亡くなった彼女の夫のような人たちのことを意味しているのだろう。彼らはある日突然、愛する女性を失い、孤独を引きずったまま生きることになる。

女のいない男たちになるのがどれくらい切ないことなのか、心痛むことなのか、それは女のいない男たちにしか理解できない。素敵な西風を失うこと。十四歳を永遠に。

物語の中では亡くなった彼女「エム」については詳しく説明されない。どのように出会い、どのように別れたのかは全く分からないまま物語は進行する。

物語の後半では、彼女が「エレベーター音楽」(エレベーターの中でよく流れているような音楽)が好きだったということが語られる。その音楽を聴いていると、エムは自分が何もない空間にいるような気がするという。

そこはほんとに広々としていて、仕切りというものがないの。壁もなく、天井もない。そしてそこでは私は何も考えなくていい、何も言わなくていい、何もしなくていい。(中略)そこではすべてはただひたすら美しく、心安らかで、淀むことがない。それ以上のことは何ひとつ求められていない。

エムという女性は『ノルウェイの森』に登場した「直子」という女性にどこか似ている。彼女たちは誰かと共に一生を過ごすタイプではなく、ある日突然消えて、誰かの心の中で生き続ける。彼女たちは人よりも「透明」で、誰よりも「死」に近い。

エムが今、天国——あるいはそれに類する場所——にいて、『夏の日の恋』を聴いているといいと思う。その仕切りのない、広々とした音楽に包まれているといいのだけれど。

最後のシーンで語られる言葉からは沈鬱な重いトーンは微塵も感じられない。むしろ春風がさっと通り過ぎていったような爽やかさすら感じられる。

そこでは「死」というものが終焉を意味せず、誰かの心のなかで繰り返し繰り返し思い出されるものとして永続することが暗示されている。


「死」は誰かとの関係を完全に断ち切るものではなく、新たな「始まり」でもある。

物語の最後で作者は私たちにそう伝えようとしていたのかもしれない。





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