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AIに夢中になる動機

AIの進歩が著しい。
人々がAIに熱狂する理由に、微妙に不安を感じる時がある。
純粋に知的好奇心だけなら感じない違和感がある。

人間が人間を支配して、思い通りに動かすことは許されないよね、ってなってきた世界の中で、思い通りに動かせるものを作り出したい、と言う変わらぬ支配欲を満たそうとする人々がいるのかもしれない。
人間を創った神になりたい人間。
なぜ神になりたいのか、と言う動機が重要。

誰かや何かが、自分の思い通りに動いて欲しい、と言う欲。
そうであれば、自分に価値があると安心できる。
自分の命令を聞く、自分より下の存在がいると自動的に自分が上がるから。
あまりにもいつも自分の思い通りにいかないから、時にはそうなったっていいだろう、と言う単なるストレスの場合もあるかもしれない。
いろんな理由が。

だとしても、全部がそれで動くようになったら、自分の思うこと、自分が思えること以外のこと、以上の新しいことがまったく起こらない、極め付けの退屈な世界に生きることになる。
自分の思考だけが現実化する、自分ひとりの世界。
他者がいるように見えているけど、自分以外誰もいない世界。

誰が上か、下か。
そのハカリを外すのは、難しい。
自分の中に隠している過去の痛み、無価値観や罪悪感が、日常の小さなことで吹き出してくるから。
吹き出さないための蓋として、自分の方が上、をみんな使う。
そのやり方では幸せを感じられないと言う点で、不毛な努力に見える。

私は幸せや自由を感じたい。
だから誰も支配したくない。恐ろしい。
人を拘束すると、自分が自由でなくなる。
その人の人生を、生命を背負うことになるから。

私の意識、魂はまだきっと幼いのだろう。
自分の思い通りに動いてくれる人より、
自由にいろいろやっていて、新しい世界を見せてくれる人がいい。
知ってることを教えるのが楽しいと言う人がいい。
私も知ってることは全部教える。ただ楽しい。
自由なスタンスの交流が楽しい。
どっちが上と言う物差しが存在しない。
対等な交流にしか、友情は生まれない。
奴隷はいらない。
友だちがいい。
自由意思を持っていて、お互いの自由意思を尊重し合って、対等に付き合える友だちがいい。
だから、今の段階では、あんまりAIに興味がない。
自由意思もないし、生命でもないから。




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