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うつ病のお母さん:2

今回から、ブログの見出し画像をつけて、タイトルも少し変更しました。
話方も、ですます調に変えていこうと思います。

まだブログを始めたばかりなので、
ときどきリニューアルしていきます。よろしくお願いします。

それでは本文始まります。

前回までは…

前回は、お母さんが躁鬱病で、幼稚園時代にママ友のつながりができたことを書きました。
今回も引き続き、私の幼少期のころについて書いていきます。

幼少期に思っていたこと

お母さんの病気は、私が年少のころから始まったらしく、
当時はまだまだ軽い症状でした。

そこから少しずつ、年長や小学校に上がるくらいのタイミングで、
自宅から出られなくなり、家事ができなくなったりする時間が増えていきました。

当時の私は、なぜお母さんがそうなっているのか、なぜ他の家庭と同じような生活ができないのかが全くわからなかったので、ただただ気持ちをぶつけてしまう事も多かったです。

世間でも、『うつ病』というものが脳の病気であると広く認知されるようになったのは、ここ10年くらいのことなので、当時は、『心の病気』という曖昧な解釈でしか、お母さんの病気を知ることはできませんでした。

今思えば、幼いながらも自分で家事を手伝おうとしたり、できないながらも行動する意思を示すことができたかもしれません。
ですが当時の私の目にはお母さんの姿が、ただ横になって寝ているだけ、テレビを見ているだけに映っており、自分から助けるために行動しようとは全く思いませんでした。

22歳の今になって

22歳になった今、改めてうつ病に向き合うため、うつ病についての本をいくつか読んでみました。
すると、『早めに対処すれば治る病気』『周りの家族のサポートが重要』
などと書かれていました。

うつ病についての知識がついてきた今、20年ほど前に適切な対応をとっていれば、周りとその情報が共有できていればと改めて思います。

今日はここまで。
それでは、次回の投稿をお楽しみに。

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