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「苦しかった経験」を肯定する存在として。僕は「やりたいこと」の無い人が関わりを持ちたくなる余白や状況づくりを大事にしたい。

こんばんは。
アキミツです。


約、2ヶ月ぶりの投稿です。
皆さん変わりなくお過ごしでしょうか。
坂は喉をやられ、風邪をひいてしまいました。


季節の移り変わりは早いもので、僕自身は取り巻く状況の変化に追いつけず、追いつこうと必死になっていた様に思います。


そんな自分の理想通りに物事が進まない(というか、今まで理想通りなんてなかった)事に悔しくなったり、呆れたりすることの多い、そんな9〜10月の2ヶ月だった様に思います。



それはある種の自分への過度な期待がそうさせていたのかと。「自信を持つな」ってわけではないのですが、肩肘はらずにいる事で「自分が歩んできた軌跡」に気づける、出会えるのかもしれません。まぁそれくらいの余裕がある方が生き方に対してゆとりが持てるのかも。そう思いません?


「瀬戸際男子の憂鬱」って?

ずっと「たぶん、今日も窓際男子」でしたが、いつかどこかのタイミングで人は「人生の瀬戸際で、勇気を持って立ち向かわなければいけない場面に立つ」事もあるのではないでしょうか。これは僕の完全な原体験を基にしているのですが、その瀬戸際で揺れ動く感情って上手く言葉にできない。だからこれから出来る限り垂れ流して書いていこうと思っています。それでは聞いて下さい。


プロフィール

Blind Up.代表。作らないディレクター。1991年2月生まれ。大阪府岸和田市出身。現在、兵庫県尼崎市杭瀬在住。2013〜2017年まで「企画・制作」を軸にWebディレクター業・スペース運営・採用・広報に従事。同年職業不適合のため7月、27歳より自分の活かし方と役割を見直すため独立。その後、Webメディア「Blind Up.」を立ち上げる。現在は「場づくり」を通じて社会課題解決を行う不動産会社に週3所属しながら、地域や中小企業、行政が協働していくディレクション、ファシリテーション、コーディネーター、ライター、研修設計など。主に人とコトに余白を作り、可能性を活かす状況づくりが生業。


何から話そうか…

9月上旬〜10上旬まで実は無気力で何から始めようか、と思っても何も手がつかず、日々が過ぎ、仕事にも精が出ず、何を目指していこうかという事に対して全く前向きではありませんでした。


7〜8月に飛ばしすぎていたのか、無理をしていたのか。どこかオーバー気味だったところから急に失速していく様な感覚がありました。



その時の自分への処方箋がこの記事でした。



実際救われた部分ある反面、実は全くしっくり来ていなかった事がありました。


なぜ「やりたいこと」がないといけないのか

上半期〜9月中まで無理をして「やりたい事」をやっているという風に、周りに見せていた自分を演じていたのか、又はやれていると言い聞かせていたのかもしれない。


自分で会社をやり始めた頃も、会社員として必死に働いても、やりたいことを見つけるために、さも僕は「やりたいことがあるかの様に」振る舞っていた。きっと既に見つかっている人や自らアーティストや作家活動をしている人やクリエイター達がただ羨ましかったのかもしれません。僕にはそんなものが一切なかったから。


ある種、それが僕にとって原動力になっていたのかなぁと悩みを感じてきて、出会った印象的な記事でした。


僕は、自分のためにやってますね。自分のためが、他人のためになるように努力しようと思ってます。僕は絵も描けないしギターも弾けないけど、誰かを説得するとか、お金を集めてくるとか、ひとをつなぐための通訳みたいなことが、僕の本質的なスキルになっています。


ただ、「苦しかった今まで」を肯定する存在でありたいと思った。

僕の生き方や働き方に対して誰も肯定してくれる存在が過去いなかったし、いてくれたらどれだけ救われるだろうか?という問いを持っていました。


一人ひとりの生き方そのものが処方箋となり、ケーススタディとなる様なものがあればいいなぁ、ってことで始めたのが「Blind Up.」というWebメディアだったのかもしれないんですよね。もう一年たちました。



それでいて「リアルな場やワークショップを設計する機会もあってもいいのでは?」と話の中で生まれ、始めたのが「 #マイトリセツ (自分の取扱や活かし方を知る、気づく機会)」研修プログラムなんだろうと思います。



その実践の場として協働スタイルで行政や地域、NPOなどから講師やファシリテーターとして呼ばれる機会を少しずつ増えました。



そんな中、ある一つの疑問が生まれる様になりました。

それは、自分の世界観や価値観が素晴らしい、誇らしい、素敵だと思ってもらいたい、という「感情」以上に、自分以外の誰かのやりたいことを伸ばしていく、エンパワーメントしていく存在って大事なんじゃないかって気になり始め、僕が「らしくいれる」ために「(他者)らしくあれる」状態を作れたらいいなぁ。でもどうすればいいのか。ということ。



そんな流れで僕はディレクション(目的地にいくまでの工程をスムーズに進める人)の仕事は自分の中に何処か答えがあって、相手の意見や存在を少し無視してしまっている感があるように感じはじめました。


だから「一緒に考える、伴走する存在」のファシリテーターが必要なのだということを知りました。


その手法的な部分をより深めていくことは、今後自分の仕事を「より体型的に扱っていける様になること」は必要なのかもしれないなぁと思い始めています。まだ明確な答えはないですが。


僕は今、フリーランスを名乗ってるけれど

そんな僕は小笠原さんの投稿が胸に突き刺さりました。


フリーランスや個人事業主なんて言葉は体裁を整えるために使っていたようなものかもしれない。独立したかったわけでも何でもない。するしかなかった。会社で仕事をすることが僕には難しいんだ、それは自分が社会不適合者なんだと感じることが多くあった。結果的に会社は辞めてしまった。そんな自分が、”何か”として生きているってことを作っておきたかった。


今後、やっていきたいことは…

緩やかに、無理せず考えている今後プロジェクトは4、5つほど。コラボレーションしたいと思ってくださる方はぜひ相談してください。


◎生き方や働き方をテーマにした講演を【2ヵ月に1回/年間6回】実施したい。

◎Webメディア「Blind Up.」ゲストとなる人と対話の場やワークショップを【月1回/年間12回】作りたい。

◎「 #マイトリセツ 」を作るプログラムをファシリテーターとして【2ヵ月に1回/年間6回】実施して、研修用パッケージにしていきたい。

◎「公共空間(公園や緑地公園)や空き店舗」の実験的活用(ポップアップ)を通じて、使い手発想の場づくりをもっと経験したい。フリーマーケットとかもその事例の1つ。


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