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私の嫌いな三人/創作短編(前編)

私には嫌いな三種類の人間がいる。

①傘を振って歩く人間
②公共の乗り物の中で化粧する女
③エスカレーターで二列に並ぶ人間

本当はもっといるのだが、切りが無いのでこれくらいにしておく。誰だって嫌いだよこんな奴ら、と言われそうだが、私の場合は「何らかの行動を起こし、傷めつけたくなるほど嫌い」なのだ。

雨の日。通勤客でごった返すJR大阪駅構内を、病院へ行くため私は歩いていた。前方に、傘を前後に振りながら歩く中年のサラリーマンが見えた。傘が後ろの人間に当たるかもしれないことがわからない、想像力の貧困な人間だ。

こういう人間は多くいるのだが、私の近くで歩いていたのは運が悪い。私は人波を縫って彼に近づき、傘が後ろにきた瞬間、思い切り上から脚で踏んづけた。

「えっ」

驚いたサラリーマンは後ろを振り向いた。私は顔を見られぬよう、あらかじめ俯きながら行為に及んだ。彼の叫びと同時にその横を擦りぬけ、人波を掻き分けて走り、桜橋口改札を出た。後ろから「何すんだコノヤロー」と罵声が聞こえ、追いかけてくる気配がしたが、必死で逃げ、大阪駅前第1ビルの女子トイレに駆け込んだ。


うららかな春の日。奈良で寺社観光をした私は、神戸に帰る途中で用事があり、JR天王寺駅で降りた。用事を済ませ、天王寺駅で大阪行き快速に乗り込んだ。女がひとり、四人掛けの座席の窓側に座っていた。

シャープな顎の、鼻筋の通った、若い女。ゆるく巻いた栗色の髪、ベージュの薄手のニットに白いパンツ、コーチのバッグ。窓枠に肘をつきながらイヤホンをし音楽を聴いていた。ファッション雑誌から抜け出たような垢ぬけた女は、車内でひときわ目を引いた。

この女、におう。……私には妙な勘の良さがあり、こんなに清楚に見える女性なのに「危険信号」の灯っているのが、何もしないうちからわかってしまうのだ。案の定、女はバッグからポーチを出し、ファンデーションの瓶と小さな鏡を窓枠に並べると、鏡を見ながら器用にファンデーションを顔に塗り始めた。女の隣に座っている初老の男性が顔をしかめた。

女の前席は空いていた。私はそこに座った。女はちらと私に視線を投げたが、我関せずと言った調子で化粧を続けた。あらかたファンデーションを塗り終わり、パフで慣らし始めたところで私は立ち上がった。電車の揺れに併せてよろけた弾みに瓶が落ち、女の膝の上に落ちた。瓶はあいにく中蓋の無いタイプのもので、ファンデーションがドバッと白いパンツに広がった。

「きゃああああ! 何すんねん!」

女は叫び、立ち上がった。周りの乗客が一斉に私たちから離れた。

「あの……何もしてないですけど……」
「あんたわざとよろけて瓶こかしたやろ。私に何の恨みがあんねん? バッグにもかかったわ! ちゃんと、弁償してもらうからな」
「仰ってる意味が……私ほんとうに何もしてません」
「嘘こくな! 何で急に立ち上がるねん。おかしいやろ」

女は鬼のような顔で私を睨めつけ、逃げないよう行く手を塞ぐ格好で私の前に仁王立ちになった。その時、乗客の一人が

「こんなとこで化粧するあんたが悪いわ」

と、小さな声で呟いた。女が後ろを振り返り
「何やて! もう一遍言うてみい」
と、凄んだ。堅気ではないのかもしれない。

車内が水を打ったように静まり返った。その間も停車と発車を繰り返し、電車は進んでいく。
「あの……そこ通していただけませんか。次の駅で降りるので」
私は女に頼んだが、弁償すると約束するまで通さない、連絡先を教えろと言う。私が無理に通ろうとすると、女が私の足を蹴った。

「痛ッ」

その時乗客の誰かが非常ボタンを押し、電車が急停車した。アホッ喧嘩くらいでボタン押すなや! と誰かが叫んだ。間もなく車掌がやってきて、座席と床に散らばったファンデーションを見て、「ひゃあー」と言った。

「困りますねえ。次の駅に着きましたらお話を伺いますので、駅長室までご同行くださいねえ」
小太りの車掌は眠そうな表情で、そう告げた。
「この女が急に立ち上がって、わざと瓶落としたんや。私のせいちゃうわ!」
女は車掌に食ってかかった。

私の嫌いな三人/創作短編(後編)



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