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「生贄探し」

私は、例年、年末年始、ゴールデンウィーク、夏休み等が近づくと、自宅や旅先で読むために書籍を5、6冊注文する。

今年の連休前に中野信子さん、ヤマザキマリさんの共著「生贄探し」という本を購入した。

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新聞に掲載された、「生贄探し」というタイトルと“あの人だけがいい思いをするなんて許せない”というサブタイトルに惹かれて購入した書籍であったが、そのひとつひとつが我々日本人や日本の組織の特質を捉えていて非常に得心のいくものであった。

日本でも、グローバル化という言葉が叫ばれ出したころからか、企業社会において「多様性」等というワードが盛んに論じられるようになってきた。

然しながら、日本の組織で本当に「多様性」を必要としているのだろうか。

私自身の企業人としての企業社会における経験、そして現在の私の仕事である、「企業組織の改革や人財教育」といった仕事を通しての体験でいうと、私の見方は、NOである。

建前や形式的には、「多様性」を否定する人はいないであろうが、企業組織において、会議等で、多様な観点、多様な視点から結論を導き出すということがどれだけ本気で行われているだろうか。

やや極端な言い方をすると、結論は初めから大方、決まっているのである。

経営トップや幹部の考えに沿って言ってみれば、これを追認するという形に等しい。

多様な観点で検討、議論したら、膨大な時間を要するし、容易にまとまらないという懸念があるのかもしれない。

もう一つ例を挙げると、企業組織における飲み会などで、そこに出席していない人間の噂や悪口で盛り上がるという光景である。

よく話題にあがるのが、当人の仕事ぶり、上司との関係、或いは私的な領域等であるが、どこまでが真実なのかわからない話で盛り上がるのである。

話題の対象となっている言動は、その飲み会の場に参加している人たちのそれとは、違うものであって異質であるというみなし方であろう。

そして、その話題の対象としている異質さが、飲み会に出席している人間たちとの違いであり、「我々とは違う」という点が、逆に、出席者の一体感を醸成したりしているのである。

まさに「生贄を探し」をして、自分達の安心感を獲得しているように感じられる。

最近の若手企業人が、飲み会に参加したがらないという理由が非常によく理解できる。

そのような飲み会の場から、生き方や仕事の仕方等で自分に得られるもの等全くなく、そこにあるのは、その場と時間を共有して皆で盛り上がったということにしか過ぎない。

私自身、企業社会において、まさに体験したことである。

この根底にあるのは、いずれも我々、日本人の強い特性、一言でいえば「同質化」であろう。

他人と異なる、考え方、意見、行動等は、異質であって、その異質さに対して、他人からは、「変わっている」「おかしい」といった見方がなされる。

そのために、自らも他人への映り方を気にしたり、不安を感じたりするのである。

組織のマジョリティとなっている価値観や考え方と異なった考え方や行動をすると、その異質さを叩かれる、批判されたりするからである。

ましてや、異質なやり方で、仕事でいい結果を出したりすると、褒められるどころか、陰で批判を浴びたりしてしまうというのが多くの組織の実態である。

同質化が、一体感とスピーディな意思決定を促進するという暗黙の前提は、本年2月の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で、森前会長の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」などいった発言に代表されるものであろう。

これは、多様性、ダイバーシティ等といった昨今の世界の考え方から大きく逸脱しているものではあるが、これを、森さん一人を悪者にして解決する問題では決してなく、私も含めて日本人の「他人と同じにしていると安心する」という価値観、いわゆる「同質化」がもたらしているものであろう。

この先の日本が、人口減や膨大な債務等を抱えたまま、かってのような経済成長が難しい時代に、このような価値観で、本当に世界に伍していけるのだろうかと考えると、とても寂しくなってしまうのは、考えすぎだろうか。


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