見出し画像

昨日のことはすぐに思い出せないのに昔のことはありありと

昨日のこと

昨日、何やって過ごしたんだっけ?
すぐに思い出せない。
ええっと・・・ええっと・・・
頭の回路がショートしてるんだか、こんがらかっているんだか。言い換えると老化現象に他ならない。

すぐに思い出せない。
それは大体、誰とかかわったか、話をしたか、お天気はどうだったか、何曜日だったかなどと探りを入れているうちに、「あっ、そうだ。直売所に行った」という辺りから、徐々に思い出す。
昨日は、野菜直売所に行ったあと、ホームセンターに寄ってビールと焼酎を買って、ペットセンターでネコたちのご飯とメダカの浮草を買ってきた。
なんとか、思い出せた。

一週間前のこと

カレンダーを見る。
10月30日月曜日。「記憶にございません」状態。空っぽ。

古い記憶

小学校に入学する前、しばらくの間、祖父母と一緒に暮らしていたことがあった。
祖父母が住んでいたのは、当時、常磐炭鉱で栄えていた町だった。
近くに住んでいた伯父も炭鉱で働く工夫だった。祖母と遊びに行くと、ヘルメットに作業服、顔は石炭作業で真っ黒。いつも酔っ払ってふらついて、カンテラを下げて帰って来る光景は記憶に鮮やかだ。

そんなある日。
多分、冬も間近の季節だったろうと思う。
採掘したあとの石炭のくずを捨てるぼた山が近くにあって、大人たちが時々、石炭のくずを拾いに行くのだ。それはきまって夜も遅くなってからだったと思う。

何故、その晩、祖母や近所の人の石炭拾いについて行ったか不明なのだが、一人で待っているのが寂しかったのだろうか。
ブリキのバケツをそれぞれに持って、静かにこっそりと行く。
辺りは真っ暗。大人たち拾っている中、いつの間にか祖母の手から離れてしまった。
そのあと、

こらあ~

と、男の怒鳴り声が聞こえた。
それ~とばかりに大人たちは駆け出した。見張りの警備の人が顔を出した。
今から思えば、ちょっとした石炭泥棒だったと思われる。
高度成長に入る頃の、庶民たちはまだ貧しい時代。ストーブにくべる石炭をと石炭くずを拾っていたんだね。

逃げ遅れた~

大人たちが走り去ったあと、暗闇のぼた山に佇んでいると、「こらあ~」の声の主が走ってきた。足がすくんで動けなかった。
当時から男の人を見るとすぐに泣くような子供だったのだから。

泣いた

泣いた。警備員の男の人は「どうしたの?」とか「一緒に来た人は?」
とか聞いたのだと思うが、ただただ、泣き叫んだ。
そして困り果てているところへ祖母が戻ってきた。
ぼた山から下りたら、孫がいないのに気付いたのだろう。
それからどんな会話があって、どんな風にして帰ったのか。

記憶は思い出を反芻しながらしながら残る

その後も、北海道の炭鉱が閉山したとか、九州の炭鉱で落盤事故があったニュースなどを聞く度に、ぼた山での出来事や伯父のうす黒く汚れた顔を思い出した。

記憶は繰り返して残るのだ。

最後まで今日もありがとうございました。


喜多方で咲いていた民家の菊。整然と色とりどり。















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?