まつおあきのぶ / おいしいプロデュース

日々感じたことを残していきます。4日に1記事を目処に更新していきます。

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最近の記事

AIはライバルか?

今、ChatGPTなどのAI(人工知能)が凄まじい勢いで人々の生活に浸透してきている。聞いた話では、2045年にシンギュラリティ(技術的特異点)が起きると予測した研究者たちの予想を遥かに上回るスピードでAIの性能があがっているという。 AIによって、いまある多くの仕事が代替される時代はもうすぐそこだ。 そうした危機感から、リスキリングという言葉が注目され初めた。 リスキリングとは、新しい分野で仕事をするために必要な知識やスキルを身につけるために学び直しをはかることだ。

    • ノイズがすき

      大学受験のとき(たぶん)に読んだ、日本庭園について書かれた文章が頭にこびりついている。内容は日本庭園が、人に与える心理的な影響についてのものだったと思う。それによれば、日本庭園は見る人に厳格さを求める、のだとか。 実際に見た経験は数えるほどだが、たしかにそんな気がする。なにか動かしがたく、どこか近寄りがたい感じがする。 この間ふらっと寄ったカフェがとてもくつろげた。 路地裏にある隠れ家的なカフェだった。ツタを這わせた店構えには入りづらさを感じたけれど、思い切って入ってみ

      • 第1回 おとなのための哲学対話

        2月19日に大阪で、哲学対話のイベントを開いてみた。 イベントを企画した理由は、読書会で哲学的な話をする機会があり、それがすごく自分の刺激になったからだった。 「幸せ」、「孤独」、「生き方」について。 本を紹介する中で、自然とそうした大きなテーマに話が収束していく。 あまり素性のわかっていない人たちとだから、自分が経験したことも素直に話せてしまう。それが、自分の中で心地よいものに感じた。それで、本ではなく、哲学対話を中心としたイベントをできないだろうか?と思ったのだった

        • 孤独とのお付き合い

          一般的に、孤独とは忌むべきものであると考えられている節がある。 孤独という言葉から連想されるのは、閉め切られた部屋にひとりぼっちでいるようなイメージ、具体的な言葉で言うと、”ひきこもり”だろう。 たしかに、ひきこもりのような孤立した状況にあると、人は孤独を感じやすいとは思う。 でも、孤独それ自体には善いも悪いもないのではないか、と思う。 僕は孤独を感じる能力は、誰しもに必ず備わっている機能のようなものだと思うのだ。ゲームで例えるなら、パッシブスキルだ。(余計わかりにくくな

          人生100年生きるにしても。

          この間、久しぶりに広島にいるおじいちゃんに会ってきた。もう97歳だ。もうよぼのよぼだ。 脳梗塞の影響で、言葉が出てこなくなっていた。僕の顔を見ても、僕だと認識しているのかどうかさえあやしい。見つめていると、ときおり笑っているような表情を見せるから、わかってくれているのだと思うことにした。 ところで、今人生100年時代だと言われている。 ”100年時代の人生戦略”を謳った「LIFE SHIFT」という本がベストセラーになっているみたいだ。 人の平均寿命が80→100歳になる

          本屋で本を買う時に。

          「成功者がしている100の習慣」「心理学 BEST100」「出世 7つの法則」 書店の中を見回っていると、具体的な数字をタイトルに入れ込んでいる本をよくみかける。他にも「世界の哲学50の名著」なんてのもあったりして、帯を見てみると『世界標準の教養を一気に読破!』と書いてある。 大体大きな書店ばっかり行くのだけど、入り口はいってすぐの一番見られる書棚でよく見かけるから、売れ行きはいいのだろう。 こうした類の本は、買う人のどういう心理を狙いうちしているのだろう? 少し考え

          読書会のいいところ

          先週、初めて読書会というものに参加してきた。 参加者は四人で、それぞれ自分のお気に入りの本の紹介をする。 その後に、一人一人「その本を読んで、自分は何が変化したか?」「どうしてその本を読もうと思ったのか?」といった質問タイムがある。 僕が読書会に参加した目的は主に、面識のない人と話がしたかったからだった。 僕たちは1時間の予定だった読書会で、2時間近く話し込んだ。とにかく話したことのない人との会話に夢中になった。 基本的に本のテーマについて話したけれど、その本を読もう

          「書く」考え方

          「嫌われる勇気」を書いたことで知られる古賀史健著の「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」という本を手に取った。仕事で取材をすることになったので、そのために少しでも参考になればとおもって買った本だった。 読んでみると、「書く」にとどまらない、何かを「つくる」仕事であればきっと役に立つ古賀史健自前の考え方がたくさん載っていた。 私自身映像の仕事をしていて、仕事に活かせるようなところはないか、と言う視点で読んでいくと、分厚い本だったけれど最後まで面白く読見通すことができた。 実際

          牛肉の厚切りカレーか、期間限定カレーか

          僕はカレー屋の前で、待ち列に並びながら考えていた。 開店まで残り3分ほど。 前から3組目で、一巡目で案内される順番だ。 ちなみに、期間限定メニューは「チキンカツカレーグラタン風」。 名前からしてすでにうまそうであるが、写真を見ると惜しみないでかさのチキンカツの上に、ほうれん草入りのグラタンがとろけている。うまそうだ。 しかし、味がなんとなく読めてしまうという点で決定力に欠ける。僕には味が想像しにくいものに惹かれる性質がある。 そこで、もうひとつの選択肢が頭に浮かん

          牛肉の厚切りカレーか、期間限定カレーか

          幸福の器

          誰でも苦手なことと得意なことがある。 苦手なことは極力やりたくない。ましてや、苦手なことで人と結果を競おうなんて相当エネルギーがいることだ。 でも、苦手だからやらない、というのは勿体無いと思う。 それは、苦手なことであっても面白いと感じられるからだ。 知人がこんなことを言っていた。自分は0から1を考えるのが苦手だから、雇われで働くのだ、と。 その考えは合理的なように思える。しかし、自分の意志をすっ飛ばした理屈だ。 僕は、苦手なことの方が、自分が苦手意識がある分だけ

          考える、を楽しむ

          以前、真似もほどほどに という文章を書いた。 世の中は答えのない問題で溢れている。だから、誰かの答えを真似するのではなく、自分の頭で考えることが大切。 内容はざっくりいうとこんな感じだ。 この文章を書いていて、自分の言いたいことと少しずれているような、何か釈然としない感じがしていた。 社会で生きていれば、真似が必要となる局面がどうしても出てくる。自分の頭で考えていては、労力も時間も浪費してしまうことがある。自分の経験からもそれは言える。だから、真似する行為自体を否定した

          最近、農業の世界に興味を持ち始めた。農業に、というよりは、農家に惹かれた。

          一般的に農業というと、3K(きつい、汚ない、危険)のイメージがある。そのため、農家になりたいという若者はほとんどいない。 申し訳ないが僕自身、魅力的な職業とはそれほど思っていなかった。 しかし、実際に農家と会って現場を見させてもらったり、話をしているうちにイメージが転換した。 僕が出会った農家はみんなはつらつとしていた。 今まで出会ったビジネスマンとは何かが決定的に違っていた。 なんでだろう、どこからその活力が湧いて出てくるのだろう、と疑問に思っていた。 この間、

          最近、農業の世界に興味を持ち始めた。農業に、というよりは、農家に惹かれた。

          「安定ってそんなに大切?」農家の奥さんと話していて、ハッとさせられた。

          冒頭は「結婚は、まずは仕事が安定してからですかね〜。」という僕のなんとなーくの発言に対しての返事だった。 安定思考からはすっかり抜け出せていると思っていた。 予測不可能な未来に、安定なんてない。そう自分に言い聞かせて会社員を辞めて、やりたいことをやってきた。でも、まだ抜け出せていない自分がいることに気付かされた。 安定はないと言い聞かせながら、きっと僕はのどから手が出るほど安定が欲しいのだと思う。不安な気持ちから抜け出したい、心からそう思っている。 じゃあ、僕が求めて

          「安定ってそんなに大切?」農家の奥さんと話していて、ハッとさせられた。

          SNSを見ていると、人の人生を垣間見た気になる。大半の人は、自分の生活の見てほしい部分をSNSに投稿するので、そうした投稿を見ると、羨ましく感じたりする。

          素直に羨ましがるだけならまだいいかもしれないけれど、それが妬ましく思うようなものであると、自分の中にある劣等感に気づき、突如として嫌悪感に襲われる。 人のことを妬む感情は、自然発生的なもので対処法がないように思える。 僕自身そう思っていた。が、ついにその対処法を見つけた。それは、生き方の多様性を知ることだ。 それは、いろんなところに自分の足で行き、そこで出会う人々の生き方に触れるということだ。 朝、大阪の事務所まで電車通勤すると、本当にたくさんの人たちとすれ違う。すれ

          SNSを見ていると、人の人生を垣間見た気になる。大半の人は、自分の生活の見てほしい部分をSNSに投稿するので、そうした投稿を見ると、羨ましく感じたりする。

          真似をするのはいいことだ。大いに真似しよう。という風潮が今の世の中少なからずあると思う。このことについて、僕は少し立ち止まって考えたい。

          例えば、何かを新しいことに挑戦しようとするとき、失敗したくないと思う。その心から、ロールモデルを見つけ出し、それを真似する。これが一つの正攻法だと思われている。 しかし、自分でやる前から真似ることはそんなに正しいことだろうか? 真似ることは、確かに先人たちが悩んできたことをショートカットできる。ショートカットした時間を使って、さらに深い悩みに切り込める。とても効率的だ。 だけど、答えがあると思い込んだ真似の連続は、自分で考える力を養わない。むしろ、一種の思考停止であり、

          真似をするのはいいことだ。大いに真似しよう。という風潮が今の世の中少なからずあると思う。このことについて、僕は少し立ち止まって考えたい。

          世の中では、一途に何かに取り組むことが「いい」とされているように思う。そして、それを志すぶれない精神もまた「いい」とされる。確かに、脇目も振らず高みを目指している人はかっこよく映る。ぶれない心を持つにはどうしたらよいのだろうか?

          ぶれっぶれな自分の生き方 一方で、僕の生き方は、ぶれてぶれてぶれまくっている、ように周りからは思われるだろう。 大学時代の就職活動時には、僕は新聞社や通信社の記者職を志望していた。だけど、一社も内定をもらうことができず、唯一内定をもらえたIT企業に就職を決めた。その会社では、会計システムの開発をした。 1年半で辞め、映像をほとんど独学で学び始め、今年からフリーランスとして映像の仕事をちょくちょくするようになった。 仕事がない時も長らくあった。ずっといきたかったラダック

          世の中では、一途に何かに取り組むことが「いい」とされているように思う。そして、それを志すぶれない精神もまた「いい」とされる。確かに、脇目も振らず高みを目指している人はかっこよく映る。ぶれない心を持つにはどうしたらよいのだろうか?