見出し画像

カナダの国境を巡る豚とウイスキーの戦争の話

アメリカと英国領カナダの国境は1846年にはほぼ確定していた。ほんのわずかな島々、ワシントン州の西海岸とバンクーバー島の間にあるサンホワン諸島を除いて。そこに豚戦争と言われる紛争が勃発した。
 
1859年の初夏。サンホワン島の午後。ハスの花が咲く池があちこちで輝き、周りの太古の森にはキツツキの音がこだましていた。森の隙間に29人の入植者達が作ったわずかな畑と牧草地があるのみだった。
麦畑から帰って来たライマンは自分の芋畑が大きな黒い豚に食われているのを見つけた。アイルランド野郎の羊飼いチャールズの豚だ。
さっそくチャールズに文句を言いに行った。
「黒豚を放し飼いにするなって言ったろ」
「芋畑の囲いぐらい作っておけよ」
ライマンはこの島に来てもうすぐ10年に。やっと小麦の収穫が安定した。ジャガイモの収穫も今年は期待できると思っていたところだった。
 
ライマンは翌朝フライデーハーバーまで出かけて保安官に訴えた。「連中は勝手にこの島に上陸して羊の放牧を始めた。あいつらを追い出して欲しい」
連中とはイギリスのハドソン湾会社が連れてきた羊飼いたちだ。チャールズはその一人。ハドソン湾会社は昔はビーバーの皮をとってはモントリオールに送っていたが、ビーバーが取れなくなると牧羊を始めた。羊の群の中にハムにするとおいしそうなバークシャーの黒豚が混じっていた。
一方芋を豚に食べられたライマンはアメリカから許可証をもって入植していた。
 
翌日も4匹の黒豚が畑の中に入ってきた。
ライマンは脅すつもりで銃を一発ぶっぱなした。しかし逃げない。今度は一匹を狙った。黒い塊がバタリと倒れた。それを見た他の3匹はやっと逃げ出した。
 
豚をそのまま食ってしまうわけにはいかないから荷車に載せてチャールズのところに持って行った。
「豚を撃ち殺したのは悪かった、10ドル払うからこれから豚はつないでくれ」
「おまえ、黒豚が10ドルですむか、100ドルよこせ」

話にならなかったので保安官のところに相談にいくと「アメリカとイギリスの国際問題になるかもしれない。まずハーパー将軍に事情を知らせよう」と手紙を送った。
ハーパー将軍は、これまでも様々な物議を醸してきた将軍だった。メキシコに許可なく攻め入り軍法会議に4回も出頭を命じられていながら、常にのらりくらりとかわしてきたのだった。話を聞いたハーパー将軍は上陸して英国の入植者を追い出すことにした。

将軍は大統領に現状報告と攻撃の許可を求める手紙を書いた。ただし、その手紙が着くのは6週間後。返事が帰って来るのはさらに6週間かかる。ハーパー将軍は3か月の間に、イギリス連中を挑発して発砲させれば、正当防衛であいつらを追い出せると考えた。ついでにバンクーバー島にも侵略してイギリスを追い出せば英雄になれる。大統領にすらなれるかもしれない。さっそくピケット大尉に命じて島の南部に群を上陸させて基地を作らせた。
 
一方サンホワン島がすぐ近くに見えるバンクーバー島ビクトリア駐在のイギリスのダグラス総督は、バンクーバー以南の領土をアメリカに取られた事を恨みに思っていたのでサンホワン島まで失う事を許せなかった。島の南端にアメリカ軍が基地を作ったのを知るやペインズ大佐に命じて島の北側に基地をつくらせた。

ピケット大尉もペインズ大佐もともに相手が攻撃したらすぐに戦闘するように命令されていた。ただし攻撃されなかったら開戦してはならないと言われた。あくまで正当防衛が開戦の理由だ。英国とアメリカの膠着状態がしばらく続いた。

現場を任されているピケットとベインズは冷静だった。独立戦争からすでに60年たち、今や英国領カナダとアメリカ合衆国は平和に貿易をしている二つの大国だ。衝突すればどれだけ損害がでるか分からない。
 
半年待って大統領から、決して戦争状態にしてはならないと命令が届いた。アメリカは南部の州が独立を目指す機運が高まって新たな戦争を行う余裕がなかった。イギリスはもっと深刻だった。とてもアメリカに勝てるだけの兵と物資を西海岸まで運べる状態ではなかった。もし全面戦争になったら英国領カナダを全て失う可能性すらあったのだ。

次第に両国の兵士たちは仲良しになった。物々交換から始まり、5月24日のビクトリア女王の誕生日には一緒に祝賀会を開き、7月4日のアメリカ独立記念日には、イギリス軍がアメリカのために差し入れをした。13年後国際調停でサンファン島がアメリカ領と決まるまで、この状態がつづいた。そして平和裡に領土問題が解決されたのを記念してイギリス側の基地は兵舎や植物園が保存されて今では国立公園になっている。ここでは今でもアメリカの公園管理者により英国旗が揚げられている。
 
豚戦争と名前はついているが、実際に死んだのは黒豚1匹だけだった。二大国が衝突せずにいられたのは幸いだった。
 
さて、この戦争? の教訓はなんだろう。少なくとも3つはある。
一つは、ちょっとした危機を捉えてより大きな騒動に持っていこうとする危険な人がどこにでもいるということ。
次は、どんなに戦争を望む人がいても、正しいことは何かと考えれば戦争は避けられるということ。
もう一つ忘れてはならないこと。英国もアメリカも先住民の土地について紛争していて、先住民のことを忘れているということ。
 
ところであまり知られていないが、カナダは2022年までデンマークと領土をめぐる戦争をしていた。グリーンランドとカナダのネアズ島の間にあるハンス島はちょうど両国から同じ距離にあって領有権を主張できる場所にあった。
1984年カナダ軍がハンス島に上陸し、カナダの国旗を揚げ、そこにカナディアンウイスキーのボトルを置いて挑発した。デンマークは応戦してデンマークの蒸留酒シュナプスのボトルを置いて応戦した。これ以降、両国が互いに置き土産として酒を残していった。2022年にこの島の中を通る国境が決まるまで続けられた史上もっとも友好的な戦争だった。ユーモアは戦闘よりもいい。
それに先住民のイヌイットは国境と関係なく移動できることが定められている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?