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「納める」という言葉に秘められた「心理操作」社会言語学っぽいお話

日本に生活する外国人が持つ素朴な疑問は、あらためて日本文化を見直すきっかけになることがあります。

うちのアメリカ人ダーリンは大学卒業後、日本の会社で働きながら漢字を独学で身につけたエライ人。来日した当初は、目に入るものすべてを電子辞書で調べていたそうです。(スマホ到来前の時代ね)。

なんでも調べるダーリン

さてこの年末、とある事務手続きのために夫婦で年金事務所に出向きました。順番を待っていたところ・・・

ダーリン 「口座振替の後の字なんて読むの?」

わたし 「おさめる。だね。税金とか年金を払うことを納めるというよ。」
ダーリン 「んー。『払う』とどう違うの?同じだよね。」
わたし 「そうだけど・・納めるっていうと、なんかもっと献上するというか、厳かな感じ?がする」(うまく説明できない・・💦)

ダーリン「英語だと税金のための特別な payという言葉はないな。Pay tax っていう」
わたし 「ハッ!それって・・・!」

税金は「払っている」のに「納めている」となぜいうの?

つまりこういうことなのではっ!
『税金を払う』というと、「払うのやだー」というネガティブな印象を持つけど、『税金を納める』と表現することによって:
①「済ませないとすっきりしないぜ」という心持に国民をさせ、
②『払う』という行為を『納める』という言葉を用いて、曖昧にしているので、自分の収入の30%とかの大金を国に払うことへの国民の心理的抵抗を下げる。
という二点に成功しているのである。
うむ。なかなかやるな。お主・・やはりお上だけのことあって賢いのう。

今までなんの疑問もなく毎年税金を「納め」てきたけど、ただ「払ってる」だけじゃん!なんか感覚が違う!うう。心理操作されてきたのだー!なんて。
やってることは同じなのだけど、支払う額は一緒なのだけど、言葉一つでこんなに感覚は違う。

「納める」は忌言葉(いみことば)か?


事実を少しやんわりと好意的にする言葉は日本語には沢山ありますね。特定の場所などで縁起が悪いから言い換えられている忌言葉ですと、例えば宴会が終わることを「終わり」ではなく「お開き」と言ったりしますね。また、昔「シネマ」のことを「キネマ」と呼んだのは、「死ねま」と読み替えられ、縁起が悪かったからだそうです。

「納める」という言葉は「税金を納める」といった限定的な用語ではなく、納会や、●●納めなど、「きちんと入れるべきところに入れる、終わりにする、しまい込む、受けいれる」などといった意味があるので、忌言葉というカテゴリーには入らなさそうです。

しかし、「税金を納める」を英語に訳すと、「Pay tax =税金を払う」 しか言いようがないのは興味深い。他の言語をご存じのみなさん、いかがでしょうか?あなたの国の言葉では、「税金を納める」に対する表現がありますか?



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