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物語の世界に生きたくて、憧れを現実に持ち込んでいる

金曜日は久々に部活が無い夜で、家で猛烈な寂しさに包まれていた。
今振り返ってみると、一人の楽しみ方を忘れてしまっていたんだと思う。


小説や漫画、ドラマや映画などの物語を受け取ることは、時間を忘れるくらいに楽しい。
特に私が好きなのは、アニメだ。
登場人物の在り方に心を奪われたり、作品の世界に耽溺したり、先の展開を考察したりと、作品の数だけの味わい方を試してきて、本当に豊かな出会いを得られたと思う。

例えば、「スタァライト」ではキャラクターたちの憧れを隠さずにひたすらそこを目指す姿に目を奪われて、自分もそうありたいと強く思った。
「リズと青い鳥」では、互いの幸せが矛盾する現実を捉えなおしてその上に幸せを作ろうとする儚さと健気さが愛おしくて、サントラを今も聴き続けている。
「ピングドラム」の11話を見た週は、それまでの展開に全く異なる意味と文脈が付加されたことに興奮して、一週間隙あれば作品のことを考えていた。


物語と共に暮らしてきて、いつからかある思いを抱いていた。
アニメのキャラクターのような価値観を持ちたい」という願いだ。
アニメに限定はしないが、物語で提示されるキャラクターたちの考えや決断はものすごく魅力的で、彼らの目に映っているはずの世界はとても素敵なものに違いないと思えた。
そのようなキャラクターたちが憧れで、羨ましかった。
そのようにふるまえる理由を彼らの価値観に見出して、私もそれを手に入れたいと思っていた。

ここで憧れるところまでは良かったのだが、理由の全てを価値観に求めてしまったのは無理矢理だったように思う。
というのも、価値観は行動に一貫するものという風に考えていたのだが、人の行動に一貫性は必ずしも無いと考え始めたからだ。
夜に「明日は有意義な日に出来そう」と思っても、朝に目が覚ませないことがあるのもその矛盾の一つだと思う。
少し無理があるかもしれないが、最近意識する自他の矛盾からそんな風に思っている。


キャラクターはそれぞれの過去を持っていて、それぞれの信念を持っていて、それぞれの価値観を持っている。
それらを基に、同じ世界の中で異なるものを見て、異なる意味を受け取り、異なることを考えている。

私が憧れたのは、世界を素敵なように切り取る彼らのまなざしだと思う。
暮らしているこの空間を素敵な風に捉えたい。
そんな願いを、言葉をこねくり回した挙句「価値観」に置き間違えた。
だから意識するのは、価値観だけでなく、過去や信念や「何を見ているか」「何を思っているか」「何を考えているか」という曖昧なものの集まりだったのだと思う。



この結論がどこに向かうのかといえば、人との関わり方である。
憧れの対象は作品という枠を離れて、現実の人付き合いにまで及んでいる。人が何を見ていて、何を思っているかというのは、当然自分にはない要素に満ち溢れていてとても面白い。

今まではそれを、言葉を交わして、その人の価値観を知ることが楽しいのだと思っていた。
でも、それをもっとぼやかして、「その人を知る」という表現で捉えなおしてみたい
その人が持っている過去や信念や価値観、視点や思いや考え方を、あいまいに結び付いたままに受け止めていきたい。
そしてその人が暮らしているきっと幸せな世界の一部を、私の好きな世界の一部と交換して、お互いがより素敵な世界に生きられたらいい。

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