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赦し(ハンナ・アーレント)

 「人間の条件」という本を書いた人がいる。ハンナ・アーレントという人である。ハイデカーと不倫したとかしないとか、そんな事を言われている人でもあったりする。

 その中で、活動を自己表現(つまり他者とのコミュニケーション)として最も重要なモノである、とした。
 そして活動には「不可予言性」「不可逆性」という性質がある、と言っている。
 不可予言性とは、「何かやった結果、どうなるか分からないよね」という事で、不可逆性は「やった事は無かった事に出来ないよね」という事である。

 例えば。
 良かれと思って何かやりました。
 その結果、相手が傷つきました。
 やった結果、相手が傷つくとは思いもしなかったし、やった事は無かった事に出来ない。これが「不可予言性」「不可逆性」という事である。
 そしてその時、傷ついた相手の取る行動は「復讐」か「赦す」の2つがある。
 復讐を選択した場合、今度は相手が「復讐」か「赦す」を選択する番になる。
 つまり「復讐」を選択する限り延々と復讐が続くという事になる。
 もし「赦す」を選択するなら、両者は復讐から解放され、自由となる。
 つまり「赦し」とは「我々を自由にする」という事でありそれは「最も人間らしい理性的な行動」という理屈である。

 ふーん、そっかー。赦しって大事だよねー。と、思うかもしれない。
 でも、実は「赦し」とは、そんな簡単な話ではない。
 そしてそれは皮肉にも、アーレント自身がそれを証明してしまった。

 ここで、ハンナ・アーレントについて記載しようと思う。

ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身の哲学者、思想家である。ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツから、アメリカ合衆国に亡命した。のちに教鞭をふるい、主に政治哲学の分野で活躍し、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる。「アーレント」は「アレント」とも表記する。
小惑星100027「Hannaharendt」は彼女に敬意を表して命名された。

 ポイントは、2次大戦中、ユダヤ人、ドイツの3点。
 何を思い出すだろうか?
 ナチスドイツ、ホロコースト、アウシュビッツ。だと思う。

 彼女の本の中に「イエルサレムのアイヒマン」というのがある。
 イエルサレムは地名であり、アイヒマンは人名である。
 アイヒマンとは誰か?簡単に言うと、ホロコーストに関わった人、である。

アドルフ・オットー・アイヒマン(ドイツ語: Adolf Otto Eichmann、1906年3月19日 - 1962年6月1日)は、親衛隊隊員。最終階級は親衛隊中佐。
ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所(収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘス(=ルドルフ・へース))へのユダヤ人大量移送に関わった。「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。
第2次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪、死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処された。

 この本の結末は「ユダヤ民族および他のいくつかの国の国民たちと共にこの地球上に生きる事を拒む」となっている。
 これは、彼女が「復讐」を選択した、という事に他ならない。
 つまり「人間の条件」の否定である。
「じゃあなんだよ結局赦しなんて意味ないんじゃないの」という結論になるのか、というと、それは早計だと思う。

 確かに結論として否定はした。が、そこに至る道筋として、本を一冊書き上げるだけの熟慮をした、という点を忘れてはいけない。
 そしてその本を書いたことにより、彼女は自身の理論を否定しただけでなく、ユダヤ人の共同体から孤立もしている。
 そこまでしてでも彼女は「赦せなかった」という事である。

 この事から「赦し」とは、実はそんな簡単なモノでない、自分の今までの人生をかなぐり捨てても「赦せなかった」という事が分かる。

 つまり、赦しとは何か?
 「赦し得ないものを赦そうと意志する事」
 だと思う。
 そして赦す力は、多様化する中で物語が個人に還元される社会では、とても重要な力になる。

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