見出し画像

幕末の志士へのリスペクト

 みなさん歴史はお好きですか?ぼくは学校の授業の日本史や世界史が特別好きというわけではないのですが、ただ、どういうわけか、幕末の動乱だけは、ものすごく胸がざわつくと言いますか、心踊らせる自分がいます。。

 シンプルにカッコよくないですか?(笑)

 幕末って、時代でゆうても、自分のひいひいじいちゃんくらいの世代に当たるので、そう遠くもない話かと思うと、親近感が湧いて余計にロマンを感じてしまいます。

 約260年も続いた江戸幕府が、1853年にペリーが来航してから、わずか14年で終わりを告げるという、そしてその14年の間に「安政の大獄」「桜田門外ノ変」「池田屋事件」「薩長同盟」など攘夷派開国派が介在し、国中が蠢く様々な出来事が起こり、まさに日本がいかに動乱の中にあったかということを感じさせられます。

 当たり前ですが、インターネットもなければ、電話もない時代、今よりも確実に情報の行き交うスピードは何倍も時間がかかっていたはずです。そう考えると、今の時代でゆうと、わずか数年で時代が大きく変革したと言えるでしょう。(きっと今の時代でいう、コロナやスマホの普及で急速に世界が変わっていったという感覚に近いのかもしれません。)

 なんでそんなことを考えるようになったかというと、きっかけは福山雅治主演の大河ドラマ「龍馬伝」をAmazonプライムで最近全部見たからというそんな意味深でもない理由です。(笑)

 もちろん、ドラマですので脚色している部分、視聴者を楽しませるストーリー作りというのもあるかとは思いますが、それは一旦置いといて、

 「坂本龍馬」カッコ良過ぎやろ、、

 彼がいなかったら、幕末日本は内輪でドンぱちやっている間にフランスやイギリス、ロシア、アメリカなどに侵略されて、いまの日本はなかったかも・・・(これはちょっと言い過ぎ?(笑))

 そして彼は、身分が高いわけでも、どこかの藩の殿様だったわけでもない立場の人間でありながら、後世語り継がれる日本の英雄になっているというところも、彼のしたたかさ、行動力、見識の広さを感じさせられます。

 「龍馬伝」を見て思ったのが、あまり歴史の教科書では取り扱われておりませんが、「いろは丸事件」は彼の相当な偉業の一つだったのではないでしょうかということです。坂本龍馬というと、薩長同盟船中八策日本初のハネムーンをした夫婦などがよく耳にする情報かと思いますが、ぼくはどちらかというと、この「いろは丸事件」は現代のビジネスなどでも、教訓に出来る気がしてしまいます。

 日本初の蒸気船同士の衝突事故、坂本龍馬率いる海援隊が乗っていた船と徳川御三家である紀州藩の大型船が接触事故、どちらに非があるかという会談が行われるのですが、これは国の力をバックに持つ政府機関としがない銀行員がやり合うあのドラマ半沢直樹を彷彿させます。(笑)

 長い物に巻かれるのではなく、論点を整理するために万国公法を用いたり、世論を味方につけるために歌を流行らせたり、土佐藩から後藤象二郎を呼び一緒に交渉にあたるなど、人脈、政治力、交渉力の総傑出により、見事賠償金を勝ち取ったのです。

 流石に1から全部観るのはしんどいという方、「龍馬伝」エピソード42「いろは丸事件」だけでも観てみてください。これが実話だったのかと思うと、すげーってなってテンション上がります。

 ということで先日早速行動、広島県福山にある「いろは丸展示館」に行って参りました。ついでに龍馬が交渉の間隠れ家としていたという桝屋清右衞門宅もパシャリ。

画像1

画像2

画像3

 壁は江戸時代当時のものだそうです。


画像4

画像5



 また、あれだけ新しい世界を夢見て行動していた坂本龍馬が、新しい時代を生きることなく死んでいったというのも、なんか感慨深さを感じさせられます。33歳という短い生涯でありながら、これだけ後世日本人に愛されているのも、人の人生、どれだけ生きたかではなく、どう生きたかが問われているっていう感じがして、ずしんと考えさせられます。

 ということで、今回坂本龍馬にフォーカスをしましたが、江戸時代末期、坂本龍馬と同じように、動乱のなかを、日本の行く末を真剣に考え、行動してきた人たちが大勢いたと思うと、その人たちへのリスペクトが止みません。

 あの時代、今よりも圧倒的に情報収集の手段、交通手段が乏しいにも関わらず行動を起こしてきた人たちがいるのですから、自分も負けずに一日一日を全力で生きていきたいと思えるのです!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?