815 いつでも動ける人でありたい
こんにちは!
(一社)全日本ミニマリスト協会です。
【いつでも動ける人でありたい】
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ミニマリズムとは、心に余裕をもたらしてくれるものであり、すなわち『誰かを思いやる心』を持つことだと考えています。
自分のことで精一杯だと、きっと他のことを考えることはできないし、考えれたとしても中途半端になってしまう。
それが誰か人のためになると、途端に利己的になる場合もあるでしょう。
自分に余裕がなければ、誰かを思いやれる余裕もたぶんありません。
心、時間、精神、あらゆることに余裕があるからこそ、誰かを心から思いやる一瞬が持てると僕は信じています。
現に、ミニマリズムを学ぶことで時間的にも心的にも余裕ができました。
裕福であるとか富豪であるとかそんな話ではなくて、ある程度お金の余裕もできてきた気がします。
高所得というわけではないですが、『今で満足する』という感覚を身につけたから、これ以上自分のためにお金を使ってどうするという境地に至ったというのもあります。
自分のために使うお金なんて自己投資では青天井ですが、物を手に入れるために使うお金なんて満足度はたかが知れています。
時間、心、お金。
これらを自分に使うことなく、他人のために使えるようになったときこそ、真の豊かさが得られるような気がしています。
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さて、先日ある場所にお買い物に行きました。
すると、お店からおばあちゃんが一人。
カゴ一杯になった食べ物両手で持ちながら運んでいます。
どうやらしんどそうで、僕は「どこまで持って行くんだろう?」と気になって見ていました。
すると、道の端にカゴを降ろして、腰を軽くトントンと叩いているのを見て行動しました。
『おばあちゃん、どこまで運ぶの?手伝うよ!』
そう伝えていたら、娘さんが乗られた車が近くにきて、
「この車に乗るんよ。ありがとう」
と言って、その車が来るのを待っていました。
僕は「良かった良かった」と、車に乗り込むことを見送って、運転手の方に軽く会釈をしたら、向こうも会釈を返してくれました。
この行動、結局何一つ力にはなっていませんが、僕は行動してよかったと思っています。
別に何をしたわけでもないけれど、その後は一日なんだか心がほっこり。
ほんの少しだけ、【誰かを思いやれた】、そんな気がしたのです。
僕が大事にしたいことは、こんなこと。
誰かを思いやれる余裕を、常に持っておきたいのです。
別に感謝なんか無くてもいいし、何も求めない。
ただ僕が見て、《何かお手伝いが必要かも》と感じたら、その直感に従ってとりあえず動いてみる。
今回は結果的に車がすぐに来るからお手伝いは必要なかったけど、車がすぐに来る事実も手伝ったからこそわかったわけです。
もし仮に、まだ車まで遠くてひとりで来ているとしたら、おばあちゃんは大変だったでしょう。
自分の時間や心に余裕があるからこそ、その場に気付くことができたし、声をかけることができた。
それが例え何か急ぎの用事があって、時間的に余裕がなかったらたぶんほったらかしです。
むしろ、ほったらかしにしている人が多かったのです。
誰かがどうとか自分がどう思われているとかはどうでもいいのですが、何より《いつでも誰かを思いやれる余裕》をいうのが僕には必要だと感じているのです。
きっと、そんな世の中になったらいい人で溢れると思うし、小さないざこざが無くなると思います。
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きっと時間的余裕がなかったら、僕だって素通りしています。
時に予定がパンパンなことだってあります。
でも、今回みたいなおばあちゃんのお手伝いをしたとしてもたかが10分ほど。
その10分すらも誰かを思いやる余裕がないようでは、自分のタイムマネジメントができているなんて到底言えないと僕は思います。
小さなことでも、気になったら行動してみる。
自分のことより、誰かのためになると信じれるなら、行動してみる。
その連続が、毎日を少しずつ豊かにしてくれるのではないでしょうか。
自分の物なんかを手に入れるより、はるかに幸福になれることが世の中にはたくさんある。
自分にとって最上の喜びとは何なのかを見つけることも、ミニマリズムの本質かもしれません。
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