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人生の変わり目は川から海への「汽水域」のように

望むと望まないとにかかわらず、人生に訪れる「変化」「転機」。

卒業や引退、結婚、定年など時間的な流れで想定できるライフステージの変化もあれば、突発的な出来事や、今日誰かから刺激を受けて一瞬でハッと開眼することもあるかもしれず、明日は何があるかわからない。

一方で、些細な違和感から始まってじわじわと大きな確信になり、実際に行動に移すまで、不安や危機感や迷いが交錯しているうちに時間が経ってしまうこともある。

たとえ自発的に望んだとしても、その始まりが気持ちが先でも、外的要因が先でも、突然でも、じわじわでも、想定内でも。
人はいきなり明日から簡単に別人に変身することはできない。

強い決心ばかりが先んじて足元が追いつかなかったり、これまでの習慣やこだわり、思い込みなどで心がシックリ来なかったり。

変わり目や転機を迎えるとき、
「点」ではなく「流れ」のようにとらえることが大切かなと思う。

川から海への入口には「汽水域」が存在する

川からの流れが海につながる河口のエリアは、淡水と海水が混じり合っている。この水域を「汽水域」と呼ぶそうだ。

川は淡水、海は海水、とは知っていても、その境目である「汽水域」を意識している人は少ないかもしれない。
"境目"といっても、実際に区切り線や門があるわけじゃないし、自動的に淡水が海水に変わるわけもなく、淡水と海水がじわじわと混じり合って揺らぎながらグレーゾーンを経て塩分濃度が変わっていくんだろう。
詳しいメカニズムはさて置き、そんなイメージはできる。

この「汽水域」。
なんだか人生の転機ともよく似ている。

転機は、過去からの「川」とこれから行く「海」の間

今までの自分と決別しよう!変わらねば!と意を決するとき。
強制的に「区切り」を作って断捨離から始める人も多いかもしれない。

目の前に見えているものを「物理的に棄てる」「切り離す」行動によって、自分の中の感覚や気持ちが変わる効果は確かにあると思う。
私自身も断捨離の大切さは実感している。

かといって、棄てれば、急に「新しい自分」に変身できるわけじゃない。

「今の自分」は、これまでの山越え、谷越え、紆余曲折を経て、今、この河口に流れ着いた。
もし、あの支流に行っていたら、今ここの河口にはいないかもしれない。
過去の流れがあってこそ。
これまで生きてきた「淡水」おかげで得たものもあって、卒業はしても、自分をつくった要素の一つではある。

ステージが変わろうとしている変わり目は、まさに「汽水域」。
過去は淡水、未来は海水。

汽水域では、淡水と海水が混じり合いながら、徐々に濃度が順化して、
いわば大海に出ていく準備をするようなところ。

過去(淡水)と未来(海水)を重ね合わせる汽水域

淡水が突然、海水に切り替わらないように、人もいきなり切り替わらない。どこでもドアのように、都合よく未来が降ってくるわけじゃない。
表面的には切り替わったつもりでも、心やマインドまですぐに順化させるのは難しい。

水が行きつ戻りつしながら混ざるように、これまでの自分と、未来に描く可能性を重ねる。
徐々に濃度を順化させていくように、試行錯誤しながら、意識や環境になじませて移行していくイメージ。

具体的には、身についた能力、技術、培った感性、手放していいこと、向いていること、楽しかったこと、強みなど「淡水経験」を洗い出す。
そして未来に向けての興味、やってみたいこと、できそうなこと、最低限の環境など、想定される様々な要素と重ね合わせながら、「相性のよい海」に近づいていく。

重ね合わせる過程は、ある意味グレーゾーン。
むしろグレーゾーンの感覚を作り、利用する。
実体験できるに越したことはないけれど、せめて体験者の話を聞いたり、触れたりしながら、アンテナを張りながら考え、ちょっとずつお試ししながらなじませていく感覚。

海に近づいてみて、やっぱりこの海は合わないと思うこともあるかもしれないし、時々ビビって川に後戻りもあるかもしれない。
それもあり。
淡水と海水が行きつ戻りつ揺らぎながら、やがては流れていくように、流れに沿いながら、自分に合った海に到達できると思う。

未来の海は輝いて見えるけど、大波もありそうだし、深さもよくわからない。
最終的には、一歩踏み出す勇気は必要。
でも、一気に変身しなければいけない、と焦って、やみくもに飛び込む必要はないと思う。

そもそも自分はどのくらい海で泳げる能力があるのか?
体質に合った適温か? 好きな水質か?
くらいは体感しておくほうが、次の海でしんどいミスマッチは防げる。

壮大な夢じゃなくていい。可能性の中から「折り合い」を見つける

実は、この汽水域の淡水と海水が混じり合う環境は、魚にとって過ごしやすいらしく、魚のパラダイスだとか!

それは、様々な可能性がある、とも言えるかも。

汽水域で、過去と未来を重ねる意識をしていると、自然と他の世界の様々な人や可能性に出会えて、視野も拡がる。
その視野が選択肢を拡げてくれる。

と同時に、すべての選択肢を選ぶことはできない。
必ず成功する、という先の確証もないし、先人がうまくいった道が必ずしも自分に合うとは限らない。

大げさな夢とか、100パー完璧な選択ではなくて、過去と未来を重ねた先に「今の自分の折り合い」を見つけられれば充分だと思う。

「折り合い」というと消極的な妥協のような響きだけど、7割くらいの納得があれば、残りの3割は未知の可能性。
何もかも自分の願い通りのカンペキさを求めて立ち往生するよりも、まずは「自分の折り合い」を見つけて一歩進むほうが視界は開ける。

できること×やってみたい興味×環境 の交差ポイントを探っていく。

自分で過去と未来を重ねながら見極めた「自分の折り合い」ならば、わりと長続きする。
そのうち心地よい居場所になることもある。

汽水域は、自分が次のステージに行く流れを俯瞰するコツみたいなもので、
その時間的な長短は人それぞれ。
何年もかかることもあれば、一か月でサクッと進めるかもしれない。

それに、川の汽水域は一か所だけど、人生においての「汽水域」は、規模の大小はあれど、何度かやってくる。

振り返れば、私は何度か汽水域を経験してきたなと思う。
真っただ中にいるときは溺れそうな感覚もあったけど、なんだかんだで海に出ては、私なりに楽しく泳いできた。
これからもまた、新たな汽水域はやってくる。

焦らずに、淡水(過去)と海水(未来)を自分なりにブレンドしていくことが、次のステージで自分らしく、楽しく生きるカギになると思う。


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