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「順位や数字では決めつけられない価値がある」ことを伝えたいから

これまで私が伝えようとしてきたこと。
そして、これから新たにやろうとしていること。

ズバリ! スピードスケートの小平奈緒さんの言葉とシンクロ!
先日の引退会見で、小平さんは
「アスリートは順位や数字では決めつけられない価値があることを後輩たちにも伝えていきたい」と語った。

ちょうど私は「トランジションディレクター」としてのリスタートについて書こうと思っていた矢先。
あまりにタイムリーなので、この機運に乗じさせてもらって書く。

順位や勝敗ではなく、プロセスに価値がある

私はかねがね、順位や記録などの数字、メダルの色や有無ばかりがアスリートの価値ではない、と強く感じていた。
もちろん順位も記録も、競技の場においては大事な要素の一つではあるけれど、そればかりが尺度ではないはずだ。

これまで私はメディア側で生業をしてきた中で、特にオリンピックにおいての「メダル至上主義」には違和感が否めず。
報道ではすくい伝え切れていない「数字や順位では見えない、選手の裏側や価値」に焦点を当てようと努めてきた。
書籍はじめメディアコンテンツの企画制作・執筆として、様々なアスリートの生の声や変遷に接し、彼らの哲学や奥底の思いを伝えてきたつもり。

アスリートと言えば、パフォーマンスや勝利にばかり注目が集まるけれど、その結果にたどり着くまでには気が遠くなるような「うまくいかなったこと」との闘いがある。

「今回勝っても、次に勝てる保障はない」
多くのアスリートが口にする。

壮絶な努力をしても勝利の保障はなく、負けたり失敗することはざら。
負けから学び、課題が浮かび、トライ&エラーの試行錯誤、挫折からの克服、様々な葛藤や喜びを経てきた道のり。

私は、この「思考のプロセス」にこそ、人としての大きな価値があると思う。
これはアスリートに限らず、私たちにも同じことが言える。

「負け」を知り、認めざるを得ないところから真価

ただアスリートは、勝敗や順位や記録がハッキリわかりやすく、それが人目にさらされやすい。
その分だけ「負けを知り認めざるを得ない」場面がアスリートは多く、それが人間ドラマの厳しさを浮き彫りにさせる。

北京五輪で4位に終わった羽生結弦さんが自らを「報われない努力」と語った言葉が象徴的で、アスリートは「努力が報われなかった」という無念さを何度も味わわせられては、何度も乗り越えてきている。

私からすれば「努力は必ずどこかで報われている」と反論したいけれど、外野からそう返すのもはばかられるくらい、当人にとって、この瞬間的な無念さは察するに余りある。

こんな「悔しい経験」や「乗り越えてきた力」こそが彼らの真の財産価値だと常々思っている。

自分からも見えにくいから "決めつけられない"

ところが「思考」や「心の変遷」は自他共に見えにくい。
小平さんのように、全てのアスリートがそんなふうに価値を捉えているわけではなく、むしろ結果が全て、と追い込む人が多い。
競争の渦中にいれば誰でも勝ちたいし、その心境も当然かもしれない。

「勝利を目指すな」という意味ではなく。
競争を否定しているわけではなく。

「決めつけられない」という言葉に深い意味が宿っていると思う。
目に見える結果や勝利だけが価値ではない。
裏を返せば、負けたら意味がない、という価値基準でアスリートや人を決めつけないでほしい、
と私も思う。

アスリートに限らず、肩書や過去の実績だけで、その人の個性や真の魅力はわからない。
売上数字=その人の魅力ではない。肩書=その人の価値でもない。
それは一端でしかない。

決めつけが、アスリートを苦しめる

決めつけは、アスリート本人だけでなく、メディアや社会側にもあると思う。
社会側も「強さや勝利」をアスリートに過度に求め過度に礼賛する。更にはスポンサーの資金もそういうアスリートに集まる。
だからアスリート側も、強くて勝たなければ価値がない、有名になりたい、と強迫観念に追い込まれてしまう。

勝てない(勝てなくなった)アスリートや知名度が低いアスリートは、自分で価値がないと思い込み、「自分から競技を取ったら何もない」と将来を悲観し不安にかられるようになってしまう。

私が一番課題に感じているところは、まさにここの部分。
アスリート本人はもちろん、社会にも伝えていきたい。

「自分から競技を取ったら何があるのか」を知る機会を創る

「自分から競技を取ったら何もない」
そう思い込んでいるアスリートは多い。

「他に何もない!」と一心不乱に心血を注ぎ人生を賭ける姿勢・覚悟も、時には必要なものだと私も思っている。
アスリートに限らず、雑音や余計なことは排除する、集中力が生み出すものも大きい。

ただ、同時にそれは、いつしか近視眼的になり、視野を狭くしてしまう。
「競技以外のこと」への意識を「雑念」のように排除していった結果、競技での限界が見え始めたときに、逃げ場がないような「自分から競技を取ったら何もない」と不安に襲われる。

イマドキは、海外経験のあるサッカー選手などは、プロ選手の傍らでビジネスも手掛ける人もいるけれど、資金や環境に恵まれた少ないケース。
競技以外のこと=引退してから、という概念が日本ではまだ強い傾向。

現役中に「引退後のキャリア」なんて考えたくない心境は、私もよくわかる。
縁起でもないと思う人もいるだろうし、練習で時間もないし、その時にならなきゃわからないし。
私自身だって、未来は今の目の前の積み重ねと思っているし。

だから。

「引退後」「セカンドキャリア」と身構えずに

まずは前提として「自分から競技を取ったら何もないわけではない」
競技以外の「自分のポテンシャル」を知る、という捉え方をする。

前述したように、勝利成績や競技の力よりも、むしろ、そこまでのプロセスで培われた心や思考こそが、「人として」の本質的な価値として人生では長く活きていく。
その「自分の財産」をまずは自分で知っておくことが大切だと思う。

それは競技力にばかりフォーカスしていた視点を少し変え、「素の自分」の中を、少し角度を変えて深掘りしてみる作業。
経験の中で感じてきた悔しさ、喜び、学び、苦労したこと、克服できたことなどの心の変遷や、心のクセや資質、特性などを意識的に整理する。

「セカンドキャリアを意識せよ」なんてわざわざ身構えなくても、この「自己整理・棚卸し」を、普段(現役のうち)から習慣にするだけで、結果的に自分の人生観や思考法、「その先の自分の可能性」も見えてくる。
自己整理をすると、競技とは別の自己肯定につながり、メンタル的なストレスの軽減や、何より「引退後の自分は何もない!」という焦燥感の軽減につながる。
(これが真の「デュアルキャリア」の概念)

競技以外の自分のポテンシャル(可能性)を知っておくことが、引退後の道のヒントになる。
引退後のセカンドキャリアという捉え方をすると「余計な雑念」として排除したくなるから、「根底で支える自分の見えないポテンシャル」として捉えるのがいいと思っている。

アスリートに限らず、一般の人の定年退職やシフトチェンジにも応用できる。

自問自答より 他者の視点から尋ねられ話す効果

「自分を知る」ほど難しいことはなく、ましてや自問自答には限界がある。
無意識のバイアスや思い込み、思考方向のクセが邪魔をしてしまう。

やはり他者から「質問され答える」という言語化(声に出す)が、いつの間にか頭の整理につながる。
ここからが私の経験からのスキルが活かせると考えているところ。

私は仕事でインタビューするとき、気持ちよく楽しく話してもらうことも大切にしながら、対象者の意外性や本音を引き出すことに腐心していた。
原稿にするためには「その人らしい具体性」を引き出さなければならない、その意識で質問し、話を聞く。
この手法が原稿ばかりか、コンサルの仕事でも活かせることに気づいた。

コーチング、カウンセリング、メンタリング、どれにも近くて少しずつ違う合わせ技のようなスタイル。

「その人らしさ」「具体的な言葉」を引き出し見える化

そのカギは「質問の角度」「順番」「タイミング」「翻訳」。
「質問を組み立てる」「相手に言葉を話させる言語化」それを「文字として見える化」。

最近では、AIなどのタイプ別診で自分を知る術もあって、なかなか当たってる~と感心することもある。
ただ、言い切れない微妙なニュアンスや、割り切れない思い、自分だけの特別な経験みたいなものは一切入らないし、反映もされない。
その言葉にならない思いやその人らしい言葉遣いを拾うのは、やっぱり「人」でしかできないと思う。

仲良しの友達や身内に話すだけでも気がラクになることはある。
でもこの「インタビュー手法」の対話は、知りすぎないからこそ「当たり前」を尋ね、思い込みが解け「気づき」につながりやすい。
遠回りの楽しい雑談のようで、実は「ツボ押し」な質問をしながら、具体的な特性と可能性を引き出す。

話して終わりではなく、「文字での見える化」もする。(こちらが行う)
文字化によってもう一度自分に反復できるのも効果的だと考えている。

目的はただラクにすることだけではなく、「可能性への気づき」と「選択肢を増やす」こと。
そこにビジネス視点も加えて、競技を離れても自分らしい道を実践できるようにつなげていく。

"救う"スタンスではなく、価値を共に創るスタンス。
ここが今までにない新しさなのではないかと思っている。

「トランジション」がネクストチャプターを左右する

キャリアに対する不安や課題が大きいアスリート。
前述したように、その多くは「引退してから」考えようとしてしまうから。現役と引退後を分断するのではなく、現役のうちから、良い意味で「競技が人生の全てではない」という長期的な目線や客観視点を持つことは大切だと思っている。

誰にでも物理的には、現役~引退という「トランジション(移行する期間)」はやってくるし、多かれ少なかれ不安定で繊細な時期でもある。

でも長期的な視点を持てば、この「トランジション」の捉え方が変わり、過ごし方も変わり、少しでもスムーズにトランジットできるようになると思っている。
不安にかられ、引退してから急に焦ってミスマッチな道に行って、また苦しんだりせず、自分が納得した引き際とミスマッチのない次の道へ、なるべくスムーズな「トランジション」を実現するために。

競技成績や栄誉の価値基準に囚われずに、自分の一人の人としてのポテンシャルを正しく知り、長い目での財産価値として意識するマインドこそが大切だと強く思う。
遠回りのようでも、一時しのぎより長続きする。

その大事な「トランジション」に伴走して、マインドアシストをしていく取り組みを始める。

「数字では決めつけられない価値」に魅せられてきた原点

実は、私自身がこれまでエンタメ界やスポーツ界のトップランナー達に接する生業をやってきた原点は、まさしく「順位や数字では決めつけられない価値」に魅せられ、学びを多くもらってきたから。

これまではメディアの立場からアプローチし企画として発信してきたけれど、もっと直接的に還元したいという思いから「トランジションディレクター」としてフィールドチェンジを決めた。

小平さんのタイムリーな言葉にも感謝!

事業の具体的な内容はこちらも併せて



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