悲しみは何度でも訪れる。【喪失は甘美でもある】
実はここ数日またひとつの喪失があった。
(恋愛では無いけれど、まだ出来立ての傷で語るのはきついので詳細は伏せておきます。)
人生の中で何度となく別れや喪失って起きてしまう。
初めての時とは違うとはいえ何度目でもきつい。
いろんなところに思い出があって春の空気の匂いにも泣けてしまう。
でも、たくさんの悲しみと孤独と絶望をこえてきたから分かるんだ。
猛烈な苦しみも、いつかは癒えてしまう。
癒えるというと少し違うかもしれないけれど、でもやっぱり癒えてしまうんだ。
何度かの喪失を体験して思うこと…。
自分がその対象に対して冷めて、いつの間にか終わってしまうくらいならば
大好きなまま終われた方が辛いけれど幸せなんだ。
こんなに悲しめるほど好きになって愛したわたしは素敵だし、
「別にどうでも良かった」なんて思うくらいなら、慟哭できた方が幸せ。
それでもとてつもなく辛いし、毎日が変わるし、お布団かぶって逃げたくなるし、かと思えば寝ることさえ辛い時もある。
時は2024年。
今のわたしはこの絶望との付き合い方を知っている。
この経験がまた「森メリア」の深みを増してしまったなぁなんてちょっと思ってみたり(笑)
休めるものは休んだ方がいいのだけど、わたし的に辛くてもやった方がいいと思うのは
【部屋と食は乱さない】こと。
当たり前だけどやっぱりお部屋が綺麗だとメンタルが違う。
コンビニご飯ばかりで、そのゴミがどんどん溜まって…ってなるとどんどん心身が荒むのよね。
簡単でもごはんと納豆、お味噌汁なんかでもいいから自分で用意しだ方が心がホッとするよね。
今夜ももう夜だね。
あの子もあの人も、あなたもわたしも、人知れず悲しみや不安や怒りや悔しさを抱えてる。
居場所が欲しかったりして衝動的に自分をすり減らすようなもので、悲しみを埋めないでね。
あなたもわたしも、優しい夜を過ごそうね🌉
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