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”社会的なこと”の前に”個人的なこと”を〜18歳意識調査より〜

今回の「国や社会に対する意識調査」、数値でくっきりと差が表れていることもあり結構な物議を醸し出しているように見える。

「若者の主体性が低くなった」「社会に対して目を向けないのはけしからん」「どうすれば社会のことを語るようになるのだろう」

そんな考えを抱く人は少なくはないのではなかろうか?

しかし、私は安直にそうした議論に行くことにはまったをかけたいと思う。

"社会的なこと"を語らない現状を嘆く人が多い。けれど、"社会的なこと"を語る前に"個人的なこと"を社会に対して語りかけられなければ社会に目を向けることはできないのではと僕は思ってる。

自分が普段身近に感じている疑問、別に社会にとって何の利益があるかはわからないけれど個人的に感じているもやもや、そうしたことを語ると「それってあなたの問題じゃん?」「それがみんなにとっての普通だから、それを踏まえてどうするか話さなきゃ」とか言われる。そんな状況だとなんとなく「社会にとって良きこと」を社会に対して語ることを前提に自分の思いを形成しなければいけないような気がしてくる。

自分の個人的な思いが聞き届けられないように感じる社会に希望を持つことができる人がどれほどいるのだろうか? 

それは、個人的な要望をサービスがごとく反映し続けなければいけないというわけでもない。(むしろそれは人々の主体性を奪うことになる。大切なのは”一緒に”苦労・苦悩することだと私は思う。)ただ、個人的な想いを受け止めて考えられる、そんな余地・余白がこの社会にどれくらい残されているのだろうか?その点を私たちは考えていく必要があるように思う。

個人的な問題意識が社会にリンクして初めて、社会に目を向けることができると私は思う。そんな機会を作る一助になれるように、これからも頑張っていきたい。

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