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薔薇 おお 純粋な矛盾

逃げてるのか追ってるのか
わからなくなるまで
わたしを視て もっと捕らえて
燃えて紅蓮薔薇地獄

いきたいのか堕ちたいのか
もうわからないけど
これが愛で苦しみならば
終焉が欲しいですね

ああ奪い取ってその心
鑞に変わりゆくわたしの
からだの奥 閉じ込めるわ
-ALI PROJECT『薔薇獄乙女』
(ローゼンメイデン トロイメント『オーベルチューレ』)

ここ何年か、薔薇に縛られた生を甘受している。

元々好きだったのもあるし、アニメ『ローゼンメイデン』を再発見したこともある。
オールディーズやシャンソンを歌うときの小道具に、造花の薔薇がよく映えることもある。

薔薇が好きな女の子に恋をしたこともあるのかもしれない。
誕生日に歳の数だけの薔薇を贈るなんて、キザなこともした。

薔薇について考えることが多くて、春が来る度に地元の薔薇園を訪れては、夢うつつのまま散歩をしている。
実は小雨くらいが風情があって好きなのだが、晴れの日でも薔薇の咲く力強さは変わらない。

薔薇を愛した詩人に、リルケという人がいる。
ドイツ文学をやってはいたが、専門から外れていて詳しくはない。
それでも好きな詩がいくつかあって、読む度に薔薇の持つ独特の「官能」を想起させられ感動する。

リルケ「薔薇の内部」(『新詩集』より)

「薔薇の内部」
何処にこの内部に対する 
外部があるのだろう? どんな痛みのうえに 
このような麻布があてられるのか?
この憂いなく 
ひらいた薔薇の 
内湖に映っているのは 
どの空なのだろう? 見よ
どんなに薔薇が咲きこぼれ 
ほぐれているかを ふるえる手さえ 
それを散りこぼすことができないかのよう
薔薇にはほとんど自分が
支えきれないのだ その多くの花は 
みちあふれ
内部の世界から 
外部へとあふれでている
そして外部はますますみちみちて 圏を閉じ
ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
夢のなかのひとつの部屋になるのだ
DAS ROSEN-INNERE
Wo ist zu diesem Innen
ein Außen? Auf welches Weh
legt man solches Linnen?
Welche Himmel spiegeln sich drinnen
in dem Binnensee
dieser offenen Rosen,
dieser sorglosen, sieh:
wie sie lose im Losen
liegen, als könnte nie
eine zitternde Hand sie verschütten.
Sie können sich selber kaum
halten; viele ließen
sich überfüllen und fließen
über von Innenraum
in die Tage, die immer
voller und voller sich schließen,
bis der ganze Sommer ein Zimmer
wird, ein Zimmer in einem Traum.
-Rainer Maria Rilke

薔薇というひとつの「小宇宙」を、接写に近い視点で歌った詩である。
写実的でありながら幻想的であり、官能的でもある素晴らしい作品だ。

なお、僕自身がリルケの専門家では全く無くて、文献学的な知識も乏しいことから、今回はかなり自由というか、「僕なりの」解釈で語らせてもらいます。

*****

花片が幾層にも重なった薔薇が、咲き誇っている。襞と襞に仕切られた小部屋が薔薇の中にはある。
薔薇はひとつの「小宇宙」だ。

その「内部」に対し、「外部」なるものはあるだろうか?
しかし甘い蜜で満たされた小部屋の中、薔薇の「内湖」には、「外部」の世界、「空」、「大宇宙」がすでに映し出されている。

そして花開き、憂いなく咲いた薔薇は咲きこぼれ、ほぐれていく。
もはや自分で自分を支えることも出来ない。
小部屋は蜜で満ち溢れ、「内部の世界」から日の下へと流れ出る、その流れた先の昼の世界もまた満たされ、みずからを閉じるまで。

そしてこの夏の日そのものが、ひとつの「小部屋」になる、夢のなかのひとつの小部屋に。

*****

かなり強引に解釈しているし、勝手に補った言葉もかなり多いけれど、散文的に展開するとこんな感じになると勝手に思っている。

薔薇が自身の中に抱える「小宇宙」のイメージ。
(余談だが、「小宇宙(Mikro-kosmos)」はある文脈では「人間」を表すこともある。「大宇宙(Makro-kosmos)」と同期した秩序(Kosmos)を持つ存在、くらいの意味合いだ。実際薔薇は、他のどの花よりも人間に似ていると勝手に思っている、特にその官能性において)

重なり合う花片の襞の間から漏れる生命力。
(「蜜」という言葉を便宜上使って表してみた)

薔薇が自己展開し、その生命力に「大宇宙」すら呑み込んでしまいそうな予感。

薔薇を接写レンズ(?)で写実的に観察した上で、その神秘的な魅力、立ち昇る官能を余すことなく表した、素晴らしい詩だ。

リルケ「薔薇 おお 純粋な矛盾」(墓碑銘)

「薔薇 おお 純粋な矛盾」
薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ
このようにおびただしい瞼の奥で なにびとの眠りでもないという
Rose,
oh reiner Widerspruch,
Lust,
Niemandes Schlaf zu sein
unter soviel Lidern.
-Rainer Maria Rilke

この詩はリルケが遺言書の中で、自分の墓碑銘として指定したものだ。
墓碑銘らしくコンパクトにまとめられながら、非常に深い詩だ。

*****

「瞼」とは花片。
花片は幾層にも折り重なり、「花そのもの」を隠し守っている。
「花そのもの」は眠っている。
しかしその「眠り」とは誰のものでもない。
自分自身の眠りですらもないのだ。
だからこそ、「薔薇」とは「純粋な矛盾」なのだ。

*****

深いと思いながら、実は僕自身チンプンカンプンだったりする。
自分なりに一度読み解きたかったから解説の類は読まなかったけれど、今度ちゃんと勉強します。

「なにびとの眠りでもない」と言った時、自分自身が眠っているかはかなり迷った(原語には「私以外の」という限定はしていないが、省略したのかもしれない)が、墓碑銘なのだから死んだリルケ自身が薔薇なのだと解釈して、眠っているのだと判断した。

しかし薔薇は、自身は眠りにつきながら、他のなにびとの眠りでもない。
自分自身の眠りですらもない。

あるいはこうも考えられる。

「花そのもの」と「瞼(花片)」は、「内部」と「外部」、「私」と「他者」のような二項対立で片付けられる関係ではない、それらすべての総体こそ「薔薇」ではないか。

だから「花そのもの=薔薇」の眠りは「瞼(花片)=薔薇」の眠りであって眠りではない。
「花そのもの=薔薇」の眠りであって、眠りではない。
「花そのもの」というもの自体が、ひとつの観念であって、存在しながら存在しないものだからだ。

…余計にややこしくなってしまった。
しかし薔薇の中に宿るこのアンビバレンツが、「純粋な矛盾」なのではないだろうか。
(「純粋な」と訳された「rein」という単語は、哲学では「五感に依存しない」とか、「具体物に依存しない」とか、一種イデア的な意味で使われることもある)

スペンサー「薔薇の歌」(『妖精の女王』)

美しいものを見たい、いや、溌剌と咲く花のうちに
自分の華々しい一生の姿が見出だせる、と思う人は、見るがいい、
乙女のように含羞む薔薇の花を見るがいい。初めのうちは、
しおらしげにそっと外の様子を窺いながら綻び始める、
人の眼につかなければつかぬほど、その色艶もひとしおだ。
だが、あっというまに、彼女は大胆不敵になり、
人目も憚らず裸の胸元を拡げる始末だ。
そして、忽ち、色褪せ、しぼみ、朽ち果ててゆく。
THE SONG OF THE ROSE
Ah see, whoso fair thing dost fain to see,
In springing flower the image of thy day;
Ah see the virgin rose, how sweetly she
Doth first peep forth with bashfull modesty,
That fairer seems, the less ye see her may;
Lo see soon after, how more bold and free
Her bared bosom she doth broad display;
Lo see soon after, how she fades, and falls away.
-Edmund Spenser
Faerie Queene
Book 2, canto 12, 74-75
(平井正穂編『イギリス名詩選』岩波文庫 1990年 p26-29)

リルケがやはり世紀末ウィーンの詩人らしく美的だが難解だったので、もう少し分かりやすい薔薇の詩も取り上げます。

実は以前、グレース・ケリーと「セクシャル・エレガンス」について書いた記事でも取り上げていて、実際このモナコ公妃になった大女優から名前を取った薔薇が存在する。

ルネサンス期の詩で、割にダイレクトに歌っているのであまり解説じみたものは必要ないかと思う。
ただ、この詩でも薔薇の官能美が讃えられていることは指摘しておきたい。
そして、その美と生命の儚さも。

百万本の薔薇

小さな家と何冊かの本、他にはなにもない
貧しい詩人くずれが、歌手に恋をした。

大好きなあの人に、薔薇の花をあげたい…

さて、どうしよう?
彼女の歌うSL広場を、真っ赤な薔薇で埋め尽くそうか?

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