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【私小説】美少女戦士になれなかった私は聖母の笑みで断罪する


注意:私の子供の頃の体験談なので、胸のすくような結末ではありません。ご了承ください。

1、漫画のような転校生


これは、美少女戦士になれなかったとある少女の物語である。

 *

 私が小学五年生のときのことだ。

2学期の終わり頃、父の仕事の関係で急な転校を余儀なくされた。

青天の霹靂へきれきである。

 

級友たちは私との別れを惜しんでくれた。

特に、貴子ちゃんこと、たーこから言われた言葉が胸に刺さる。

「一緒に小学校を卒業できると思っていたのに、さみしいよ……」

あと一年足りないだけで、卒業アルバムに載ることができない。

その事実に気付くと、私はそれまでの5年間がなかったことのような気がしてぽろぽろと泣いてしまった。

「私もみんなとはなれたくないよぉ!」

すると私を慰めようと友達が抱きついて来た。

別れは辛いが、惜しまれていることがうれしくて切なくて、私はさらに声を上げて泣いた。

 

そうして、学年末に開催されるお楽しみ会と同等のレベルの盛大なお別れ会を開催してもらった私は、12月の初旬に東京から東北に引っ越した。

 

 

慣れ親しんだ土地から離れることは、辛かったが私は気を取り直した。

(転校生って、漫画の主人公ヒーローみたいでカッコイイかも?)

 

私はその頃、正義の味方の美少女戦士になりたかった。

残念ながら、美少女とはいいがたいが、まあまあイケてると思う。

正義感も強く、ケンカでも男子にも負けないし、絵や工作は得意だ。

勉強はイマイチだが、地方の学校より遅れていると言うこともないだろう。

別れの寂しさや不安を、漫画のような転校生を演じる期待に変えて、私は胸を膨らませた。

2、暴力教師

 転校初日。

私は、少し緊張していたがそれはどちらかというと期待に近いものだった。

 

職員室に案内され待っていると、担任の先生が現れた。

名前は浜田先生。

優しそうなたれ目のほとんど白髪の小さいおじいちゃんだった。

(怖い先生ではなさそう?)

私はホッと胸をなでおろした。

 

しかし、すぐに好々爺こうこうやの仮面の下に隠された裏の顔を知ることとなる。

 

 

担任に案内され5年2組の教室に入ると、汚れた金魚の水槽が目に入り少し不思議に思った。

(苔でよく見えないけど、金魚がいるのかな?)

前のマンションでは、金魚と川魚を飼っていた。

引っ越しの長時間の移動には耐えられないだろうと、金魚は学校へお願いし、川魚は獲って来た河へ放流した。

 

たれ目のしわの深い担任に連れられ私が入ると、ざわついていた生徒たちがピタリと静かになった。

教室に緊張感が走る。

「東京から来ました。天城蘭あまぎらんです。好きなスポーツはバスケです。よろしくおねがいします!」

最初が肝心だと、私は大きな声を出したが口調は早口になってしまった。

みんなは少し唖然としている。

転校生デビューをするんだと息巻いていたが、結局、私には漫画のようなキラキラや美少女補正は発生しなかったようだ。

 

 

転校初日から漢字の豆テストがあった。

私は、10問中1問も正当できなかった。

五年で習う漢字は学校が違っていても同じはずだが、元の教科書が異なるため学習する順序が違う。

とはいえ、もう12月なのだから言い訳は難しい。

正直、私は漢字が苦手だった。

頭のいい転校生像も幻に終わり、私はがっくりと肩を落とす。

帰りの会の前に、漢字テストで0点の者が4人呼ばれ、その中に私が含まれていたのだ。

教卓の前に並んで立たされる。

 

あからさまな見せしめに、私は恥ずかしさでカッと顔が熱くなる。

転校初日に、こんな目に合うことは屈辱だった。

でも、それだけでは終わらなかった。

たれ目で好々爺こうこうやそうな担任教師が、左に並んだ者から順に平手打ちをし始めたのだ。

私は目を疑いサァーっと青ざめる。

しかも、教師はニヤニヤしている。

殴りながら、笑っているのだ。

 

私は、理解できないまま左頬をぶたれた。

頬に痛みと熱を感じる。

軽くなんてものではなかった、振りぬかれたビンタだった。

両親にもこんなに強く叩かれたことはない。

しかも、危険なことや悪いことをしたわけではなく、成績が良くなかったという理由でなんてありえない。

前の子と同じように、私の頬にも手跡がついていると思うと、悲しさと恥ずかしさでブワッと泣きそうになる。

しかし、転校初日から子供みたいに泣きわめくことなどできず、頬の内側を噛んで必死にこらえた。

私の転校デビューは完全な失敗だ。

(それよりもこのクラスは、センセイは何なの……?)

クラスメイトは、誰もざわついていなかった。

これが日常だからだ。

 


 

3、こたつの砦

 

私は、学校での出来事が胸につかえたまま家に帰った。

新しい家はまだ、自分の居場所ではないような気がして落ち着かない。

見慣れた家具なのにどこも以前とは違う。

唯一安心できる場所はこたつの中だった。

 

そのオレンジ色の灯りの中で私は今日の出来事とともに、ひとつの格言を思い出していた。

 

―――天知る地知る我知る人知る。

 

前の学校の校長先生の長い話の中で、私の気に入っている言葉だ。

なんとなく、正義の味方の信条のようでカッコいい。

悪事は必ず露見するという意味の格言なのだが、同時に善行を認められなくても天地が見ているから腐るなという意味だと校長先生は言っていた。

 

私はウソや隠し事ができない。

いい子だという単純な理由ではない。隠し事をしているとすぐに後ろめたい気持ちになり、話さずにはいられないからだ。

私はこたつからしぶしぶ出て、母に漢字の豆テストで0点であったことと、そのせいで教師に叩かれたことを告げた。

「今日、漢字の豆テストが0点で先生に叩かれた……。恥ずかしかったよ」

「あらら……。教科書が違うからしょうがないわね。新しい教科書が来たらがんばって。それまでは、前の教科書で勉強しておこうね」

どんまいと母は励ましてくれた。

叩かれたと言っても、小突かれた程度だと思ったのだろう。

母はさして気にした風はなかった。

私も、0点をとったことの方を大きく言い、叩かれたことはあまり強く伝えなかった。

嘘はつきたくない。

けれど、心配もかけたくはなかった。

私は、胸のつかえが少しとれ、2歳年下の3年生の妹のりんちゃんと一緒に、大好きなアニメを見て気を取り直した。

 

美少女戦士が、正義の鉄拳で悪をこらしめる話だった。

 

 

翌週、再び漢字の豆テストがあった。

やはり0点だった。

再び教室の前方の教卓の前に立たされ、教師に殴られた。

やはり加減がなく、猛烈に痛かった。

殴られたことは悔しかったが、センセイが薄ら笑っていたことと、0点であったことの方が私にとっては屈辱だった。

 

私はそれでも妹の凛ちゃんと共に学校へ行く。

 

今日こそは、友達が優しく声をかけてくれるのではないかと期待し裏切られ、浜田センセイにいつ殴られるかとびくびくしながら授業を受け続けた。

 

そして、帰宅するとこたつの中の温もりに隠れて声を殺して泣いた。


 

4、冬休み

転校から1か月足らずで冬休みに入った。

私は学校に行かなくてすんで正直ホッとした。

休み中は前の学校の友達に手紙を書いたり、妹の凛ちゃんと遊んだりしてすごした。

遊んでばかりいる私に母がさすがに漢字テストの勉強しなさいと言った。

「終わった漢字を勉強しても、新しいテストの点数にならないからイヤ……」

私の返事を聞き、母が過去問と教科書を見比べて出題範囲を発見してくれた。

単純に、教科書の巻末の漢字一覧から出題しているだけだった。

担任も友達もこんな簡単なことを誰も教えてくれなかったことに、私はひどく裏切られた気がした。

(何も知らない転校生が先生に殴られた姿を見て、あの子らは何とも思わなかったの!?)

見て見ぬふりをするのは共犯だとわかるくらいには、小五は大人のはずだ。

(私ならそんな子がいたら、絶対に教えて助けてあげたのに、どうして??)

私は変身できなくてもいつだって心は『美少女戦士』だと思っていた。

誰にでも元気に挨拶をし、いじめられている子を助け、人知れず乱れたみんなの靴をそろえ、ゴミを拾う。

そういう正しいことをできる自分が好きだったし、誇らしかった。

ここには、同じ志の美少女戦士はいないのかも知れない。

 

 

正月が終わり、五年生の最終学期が始まった。

冬休みの間に僅かばかりだがすり減った心を修復し、元気を充電した私は新しい学期に期待していた。

しっかり休めたし、前の学校の友達からも手紙が来た。

まだ忘れられていないことがうれしかった。

 

(三学期はせめて一人でもいいから友達を作って、前の学校の友達に『友達ができたよ!』と報告したい!)

 

しかし、このクラスの中に美少女戦士を目指す私の本当の仲間になってくれるような子がいるのだろうか?

 


 

5、スケート教室

五年生の三学期のスタートは、校外でのスケート教室だった。

僅かなレクチャーの後、仲の良いもの同士がくっついてはしゃいで滑り始めると、私は疎外感を感じた。

その中で、回遊する波に乗れていない子を発見する。

それは、教科書がない時にいつも見せてくれていた隣の席の久美ちゃんこと、くーちゃんだ。

くーちゃんは、私よりもずっと小柄で猫っ毛の髪をほわほわと束ねている女の子だ。

声をかけても無視されることはないだろう。

私は意を決して、くーちゃんに声をかけた。

「くーちゃん、一緒にすべろう!」

「蘭ちゃん、すべれるの?」

私は運動は何でもできる。スケートも1、2回滑ったことがあるし、よく川沿いのサイクリングロードでローラーブレードをしていたから似たようなものだ。

よろよろとしているくーちゃんの手を取り、転ばないように支え滑り方を教える。

私が少しコツを教えると、くーちゃんはすぐに滑れるようになり楽しく過ごせた。

 

帰路に着く中で私はくーちゃんのことを色々知った。

バスケ部であること、生き物係であること。

私はあの汚れた金魚の水槽のことが気になったが、それよりもバスケ部があることを知り胸が高鳴った。

前の小学校でも、バスケ部に入っていたからだ。

「私、前の学校でバスケ部だったんだ。見に行ってもいいかな?」

そうして、私は放課後のバスケ部に見学に行く約束を取り付けた。

 

前の学校では、もう少しバスケを続けたら6年生の子のような、ハイカットのバッシュを買ってもらう約束を母としていた。

転校でうやむやになってしまったが、まだ有効だろうか?

目の前が少し明るくなった気がした。


 

6、美少女戦士失格

友達ひとり目ができて穏やかに三学期が始まり、私は油断していた。

担任の浜田センセイの機嫌は、私たちに予想できないと言うことを。

いつも、笑顔で暴力をふるうからだ。

 

その日も、国語の授業中とある生徒を指名して、猫なで声で『間違ってもいいから答えてごらん』と詰め寄った。

にやにやといやらしい嗤いを浮かべている。

(気持ち悪い……)

私は鳥肌が立つ腕をこっそりとさする。

とある生徒、山形くんはおどおどと答えるが明らかに間違っている答えだった。

山形くんは、正直なところ本当に頭が悪かった。

授業も聞いてないようだし、漢字の豆テストでいつも0点でぶたれている。いつもだ。

私も、彼の隣で3回ぶたれた。

 

山形くんが答えを間違えると、浜田センセイは急に激高して、山形くんの運動着の胸ぐらをつかみぶん投げた。

彼が机にぶつかり倒れ込むと、みんなはパッとその周りを空けた。

「何を聞いてたんだ!勉強する気があるのか!?あ!?ないなら教室から出て行け!」

そう叫んで、浜田センセイは今度は山形くんを蹴り飛ばした。そして、教室の右隅まで逃げた山形くんに詰め寄る。

「ほらどうした!?しっかり答えろ!」

浜田センセイの怒声に、山形くんは座り込み頭を抱え泣いていた。

そして『ごめんなさい。ごめんなさい』と小さい声で言っている。

私は、驚きと恐怖で身を固くした。

 

ここでとっさに体が動き『やめてください!』とか『なにするんですか!』と、言って止めには入れるのが美少女戦士だ。

なのに、私は浜田センセイがやってはいけないことをしているのに何も言えなかった。

ただ、心を石にして目を閉じ耳を塞ぎ、助けを呼びに行くことすらせずに、その場で震えることしかできなかった。

 

私は巨悪を前に、正義の美少女戦士にはなれなかった。

ただの逃げ惑う群衆モブでしかない。

 

私は、子供同士の喧嘩では男女関係なく負け知らずだった。

口げんかでも殴り合い蹴り合いの喧嘩でもだ。

いじめられている子がいれば、見て見ぬふりはしなかったし、かばったこともある。

ケンカをして負かした男子とも、相手が反省すれば許し仲直りもした。

それは、一回二回のことではない。

 

女の子ヒロインでも正義感を持ち悪を倒ことができる。

そういう存在になりたかった。

だから私は、正義の美少女戦士になれると思っていたし、なった気でいた。

私の目の届く範囲の平和は私が守ると息巻いていた。

 

けれど、今はどうだ?

目の前にこれだけの巨悪がはびこっているのに、私はパンチもキックもまして『やめて!』の一言も発せられない。

私は所詮、子供の世界しか知らない、無力な子供だった。

 

 


7、死ねばいいのに

私は、自分が善悪の判断がつく程度には大人だと思っていたが、他の大人や親に頼ればいいという考えが思い浮かばない程度にも子供だった。

親に心配をかけたくない。

いいお姉ちゃんでいたい。

いい生徒でいたい。

そういった思いが、私の口を塞いでいた。

 

前の学校で歳の離れた兄弟がいるせいかとても大人の考えができる、私にとってはお姉さんのような友達がいた。

貴子《たかこ》ちゃんだ。

絵を描くことと読書が好きな、とても頭の良い子だ。

たーこちゃんはいつもこういった。

『意地悪をする人は、それが悪いことだって誰も教えてくれなかったかわいそうな人なんだよ。だから許してあげるのよ』

 

私は、そんな考え方ができるたーこちゃんがすごいなと一目置いていた。

美少女戦士の参謀にふさわしい。

私には正直『同情』や『慈悲』はよくわからなかった。

今だってそうだ。

浜田センセイが、暴力が悪いことだと誰も教えてくれなかったかわいそうな人だとは思えなかった。

大人なのに、先生なのにそんなこともわからないはずがない。

(罪を憎んで人を憎まずなんて、私にはできない。

許せないなんて考えは、悪役みたいだ)

正義の味方にもなれず、慈悲深い聖母にもなれず、理想からどんどん離れていく私を転校前のようには好きになれなかった。

 

(明日になったら、浜田センセイがいなくなればいい。死ねばいいのに……)

 

そして、私は初めて人の死を願った。

 


 

8、張り子のお面

漢字の勉強が功を奏し、テストで殴られることが減り、ようやく少しだけ話せる友達ができた頃にそれは起きた。

転校から約3カ月。

三学期も終わり近くのことだ。

 

 

図画工作の時間。

張り子のお面を作るという課題だ。

ボール紙で枠を作り、そこに新聞紙をちぎって張り付ける張り子という技法でお面の土台を作る。

最後に、派手めな色彩や独創的な絵柄をほどこせば出来上がりだ。

 

参観日の教室に掲示するというその張り子のお面を、私は熱心に作った。

絵を描くことも工作も大好きだったからだ。

私は、そのお面を猫のようなキツネのような、不思議な雰囲気のある物にした。

教科書には、少し奇妙そうな、怖い感じに作るようにとあったのだが、私は怖いのは苦手だ。

だから、私はかわいく不思議な感じに仕上げてみた。

お祭りの被るキツネの面にも似ている。

なかなかの良い出来栄えだ。

(やっぱり夢中で何かを作るっていうのは楽しい。前の学校でもみんな絵を描くと褒めてくれたよね)

以前の学校でのことを思い出しながら、私は満ち足りた思いでそれを提出しようと思っていた。

 

なのに、巡回してきた浜田センセイが私を傷つけた。

「お前のは面白味がないから、ここにもっと他の色を足せ」

そういいながら、となりの席の子の絵筆をとって、私のお面に黄色の丸を描き加えたのだ。

意味のない大きなマル。

(漢字テストでハネがないと言う理由だけで丸をつけてくれなかったこともあるのに、こんなときに丸を描くの!?)

ブチッと、張り詰めていた何かが切れ落ちた音を聞いた。

私の中に堪忍袋という物があったことに気付いた瞬間だ。

人の作品に無断で手を加えるなんて許せなかった。

今まで散々、バツ印をつけて殴る口実にしていたアイツが、私を否定するために丸を描いたことも許せなかった。

私は、アイツが去った後、そのお面の耳を無造作にもいで闇のような黒色で塗りつぶした。

 

浜田の加筆の跡だけでなく、アイツの存在も消したい私の無言の抵抗だった。

 

 

私が反抗的な態度をとったことに腹を立てたアイツは、私の頭をコブができそうなほど拳骨で殴り、お面を家に持って帰ってやり直して来いと言った。

 

結局、ウソのつけない私は仕方なくそのお面を持ち帰り、一番言いたくなかった母に経緯を説明した。

お面のことを話すと、その前のことやその前のことまで話す羽目になった。

 

漢字テストでぶたれなくなってきたことに安心していた母は、それ以外のときもアイツが暴力をふるっている事実を知り、学校へ殴り込みに行こうと息巻いた。

 

私は、それを止めた。

急に、冷静になれたからだ。

私のことで、両親が学校へ乗り込んだら私だけでなく、親の立場も悪くなるだろうし、妹の凛ちゃんの立場も悪くなるかもしれない。

私は、もう一年我慢すれば卒業してしまうが、妹の凛ちゃんはあと3年もある。

 

それに、私は母が私以上に怒ってくれたその姿を見ただけで十分だった。

私には、味方がいた。

最後には守ってくれる人がいる。

それだけで、がんばれる気がした。

 

お面は、母と一緒に手直しすることになった。

「黒はやり直しのきかない色だからいいよ……」

と、私が言うと母は少し悩んだ後に言う。

「命のこと以外で、やり直せないことはないのよ」

そうかもしれないが、少なくともこのお面はちがうだろう。

最初から作り直すしかないと私はあきらめていた。

「あ、これ上から白でぬったら?水多めの白でぬれば、グレーくらいには色替えできるんじゃない?」

母の提案に、心が少し動いた。

(なるほど、お面の上で混色するのか!)

そうして、母のアドバイスで白色を上から塗りながら下地の黒と混ぜグレーにした。

目を書いたら石像のモアイ像のようなお面が出来上がった。

無表情のモアイ像。

意外にユニークにも見える。

カラフルなお面の中にあったら、逆に面白いだろう。

でも、あのカラフルなお面は偽物だ。

みんなアイツの指示が入っている。

これは、アイツの手の入らない作品だ。

それが私には誇らしかった。

 

 


 

9、金魚の水替え

浜田センセイと張り子のお面のことでやり合った私は、少し吹っ切れた。

別に成績だの、アイツによく思われようなどと考えることは無駄なことだと悟ったからだ。

(悪者によく思われてどうする!?

美少女戦士になれなくても、悪に従う必要はない!)

私には、家族という強い味方がいる。

帰る場所がある。

それだけで、浜田の非道にも耐えられた。

 

 

私は、授業参観の前にくーちゃんを誘って、放課後に金魚の水槽の水替えをすることにした。

くーちゃんは、生き物係だったが小さく非力で水槽の水替えをやりたくてもできなかったのだ。

 

緑の藻で汚れた水槽には、金魚が五匹いた。

私は、金魚をすくって別のバケツに避難し、掃除用のホースを持って来た。

「重い水槽はこうやって水替えをするんだよ」

そして、高い位置にある水槽に片方のホースを入れてみせる。すると汚れた水がホースをつたい下のバケツへ流れた。

サイフォンの原理だ。

そうやって、水の量を減らしてから水槽を運べばいいと父に教えてもらっていた。

水槽の水がどんどん減っていくのをくーちゃんは不思議そうに見ている。

そうして、二人で水槽を手洗い場に運びタワシでごしごしとこすり、藻を綺麗に落とした。

ピカピカになった水槽を元の位置に戻し、水を入れ角砂糖を砕いたようなカルキ抜きの薬を入れる。

探せばちゃんとそういう物が水槽の周りにあった。

 

水槽の中で、オレンジ色の金魚が元気に泳いでいる。

ピカピカできれいな水槽に私とくーちゃんは満足した。

きっと、誰も褒めてはくれないだろう。

けれどそれでいい『天知る地知る』だ。

私とくーちゃんと金魚が知っていればそれでいい。

 

 

私は、悪者を倒す美少女戦士にはなれなかった。

正義を叫ぶ声も、誰かを守る行動も、勇気のない私にはできなかった。

 

けれど、妹の手を引くことはできるし、金魚を守ることもできる。

そして、アイツが描いたマルを真っ黒に塗りつぶすこともできた。

美少女戦士になれなくても、私は私だ。

私は、アイツに勝てなくても自分のやりかたで負けなければいい。

 

そう決意した頃、朗報が入った。

 

 

 

 


 

10、聖母の笑みで断罪する

母が保護者会の帰りに別の保護者に聞いたところ、アイツの暴力はある程度把握しているが、今年で定年退職の予定だから波風を立てずに我慢して欲しいと学校から言われていたらしい。

他の先生から、助け船がないのもそのせいだろうということだった。

(子供より優先される、大人の事情なんてあるのだろうか?)

私は、力がある大人でも正義の味方にはなれないと言うことを知った。

 

 

そうして、三学期が終わった。

アイツは、学校を離れることになった。

情報は本当だった。

4月になれば、アイツはいない。

それは、うれしかったが同時に浜田の勝ち逃げのようでどこか釈然としなかった。

 

離任式の壇上には、確かにアイツの姿があった。

定年退職は本当の話だった。

壇上で、涙ながらに別れの言葉を言うアイツに、私たちは冷たい視線を送る。

別れを惜しむ言葉がこれほど、白々しく感じることがあるとは思わなかった。

馬鹿馬鹿しい、涙するほど別れを喜んでいるのはこっちだ。

 

そんなアイツの姿を見ながら、私は思った。

 

(アイツは、もう何の力も持たないただの老人だ。

私はもう怖くない)

 

 

クラスの全員が同じ気持ちだった。

 

別れの挨拶に校庭に出てきた他の先生とは違い、クラス担任だというのにアイツの周りには誰も寄り付かなかった。

 

去ることを惜しんでいない。

それがクラスみんなの無言の意思表示だ。

 

 

一年間堪え忍んだ彼らが冷たい態度をとるのは当然だ。

それでいい、それが当然の態度だ。

 

けれど私は、もっとアイツに復讐したかった。

 

最後に、ぎゃふんと言わせたかった。

負けたまま終わりたくなかった。

 

そして、私はアイツに勝つ方法を知っていた。

 

『人を傷つけたり意地悪なことをする人は、誰もそれがいけないことだと教えてもらえなかったかわいそうな人なんだよ』

 

そういったのは、たーこちゃんだ。

 

その少しお姉さん的な思考ができることをうらやましいと思いながらも、正義感の強い私にはできなかった。

 

相手が反省し、謝れば許すことはできる。

 

しかし、謝罪も反省もない者にまで聖母のように慈悲の心を持つことはできなかった。

 

―――慈悲をほどこす。

 

それは、上位のものにしかできないからだ。

 

 

私は浜田センセイを許さない。

 

けれど、許したフリはできる。

 

 

誰もできないことを私がやろうと思った。

アイツより私の方が上だと、アイツにもみんなにも見せつけたかった。

 

反撃も反抗も反乱もできなかったけれど、今ならできる。

(アイツはもうなんの権力もない。

私たちに二度と手出しできない。何の関わりもない他人になる)

哀れでかわいそうな、みんなに白い目で見られて疎んじられているただの老人だ。

だから、あえて私は慈悲をあたえる。

 

 

私は、深呼吸をすると浜田センセイに歩み寄った。

「短い間でしたがありがとうございました」

そして、風花の舞う中にっこりと笑顔で言う。

これは、私にとって慈悲であり、断罪だ。

こんな優しい生徒に暴力を振るっていたのだと、一生後悔すればいい。

私は、ウソがつけない性格だ。

けれど、演技力がないわけではない。

これは、浜田センセイが今一番望んでいる、いい生徒のフリだ。

それが、3カ月しか一緒でなかった付き合いの短い私がする。

なんて皮肉で滑稽なんだろう。

「天城くん、元気でな」

浜田センセイは、歩み寄った唯一の生徒をうるんだ目で見て握手を求めてきた。

青空の下で見る浜田センセイは、なんでこんな人を怖がっていたのだろうと思うくらい、本当に小さなおじいちゃんだった。

私は、その手をぐっと力強く握り返して聖母の笑みで答える。

「はい。先生もお元気で」

私は、決して浜田を許さない。

 

けれど助けてやった。

力も見せつけてやった。

 

これで最後に私がアイツに勝ったことになるだろう。

 

バイバイ、浜田センセイ。

バイバイ、私の3カ月。

 

そうして、ようやく私の小学五年生が終わった。

 

 

桜が咲き、春が来た。

私は六年生になった。

 

5年生と同じこのクラスで、卒業式に別れを惜しみながら泣けるような友達ができるのだろうか?

漢字テストで助けてもらえなかった恨みはある。

けれどもう、私はアイツよりも強いからクラスメイトのことも許せると思う。

 

まずは、くーちゃんとバスケをやろう。

 

そして、お母さんにハイカットのバスケットシューズを買ってもらおう。

 

 

 

これは美少女戦士になれなかったとある少女が、

 

決して負けなかった物語である。

 

 

終わり