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抗うつ薬の服用を自分の意思でやめたら、心が生き返った【私の話】

会社に行けなくなってから2年ほど抗うつ薬を飲んでいたのですが、数か月前、自分の意思で飲むのをやめました。

医学的には推奨されないでしょうし、状態や服用している薬など、さまざまな違いがあると思うので、決して真似してほしいわけではありません

ただ、私がどんな想いでその選択をし、結果としてどうなったのかを記録したいと思い、この文章を書いています。



薬を飲み始めた経緯


そもそもの始まりは、会社に行けなくなったことです。

新卒で入社した会社で、新入社員研修を経て配属後、数週間でストレスが限界を迎えました。

(詳しくはこの記事で話しています↓)

実家に戻り、母とともに地元の精神科を受診。
適応障害と診断されました。

はじめのうちは、「仕事から離れられる状況なのであれば、薬に頼らず、楽しいと思えることをして回復させていきましょう」ということで、定期的に飲む薬は処方されませんでした。

職場のことを思い出したときなどにパニック発作のようになることがあったので、そのときのための頓服薬のみ処方されていました。


しかし元々の迷惑をかけてはいけない何事も頑張るのが当たり前といった考え方が邪魔をし、休職期間中も休まるどころかむしろ焦りや不安が強くなる一方でした。

そんな様子から、「不安な気持ちにならずに過ごせる時間を増やそう」ということになり、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)というタイプの薬が処方されるようになりました。

はじめはごく少量でした。私自身、薬に頼るのはあくまで一時的で、すぐに必要なくなるだろうと思っていました。

ですが、心の傷はそう簡単に癒えるものではなく、不安をなくすために薬の量はどんどん増えていきました。


違和感と、対話ができないもどかしさ


薬を飲んでいることで、確かに不安でいっぱいになることは減ったし、活動するエネルギーが湧いてくるようにもなりました。

でも自分の中では、「調子がいいのはあくまで薬のおかげで、薬がなかったら自分はまだだめなんだ」という気持ちや、「早く薬なしでも平気になりたい」という気持ちが強く、ちょっと調子がいい時期が続くとすぐに薬の量を減らす相談をしていました。

先生は心配しつつも、試しに量を減らしてくれました。ですが、調子がいいとどうしても動きたくなって、アルバイトに申し込んだり、予定をいくつも入れたり…自分を追い込んでしまい、かつ薬の量が減ったもんだから、やっぱりまた不安が強くなっちゃうんですよね。

それで「やっぱりもう少し薬の力を借りようね」と、元の量に戻ってしまう…そんなことを繰り返していました。


今思い返しても、確かに自分は焦っていたな、先生の方針もわからなくはないな、と思います。

でも一方で、なんかずっとモヤモヤしていて。

それはなんでかと言うと、対話ができていなかったからだなぁと。

当時も、先生とじっくり話せていないことには気づいていました。毎回の診察は5分程度。早いときは、「調子どうですか」「いい感じです」「じゃあ引き続き前回と同じ量で」くらいで終わることも…。

誤解のないように付け加えると、こちらが話したいことがあれば、誠実に聞いてくれたと思います。5分などと決まっているわけではなく、他の患者さんの様子を見ていても、長い人もいればすぐ終わる人もいる、という感じ。


ただ、私の性格上、「早く終わらせなきゃ」と思ってしまっていたんですよね。

自分が長く話すと、他の待っている方の待ち時間がさらに伸びてしまう、とか、先生がとても疲れているようだから、少しでも負担を減らさなければ、とか…

傍から見たらそんなこと気にしなくていいのにと思われるでしょうし、自分でも「自分のことを考えなさいよ」と思いますが、染みついた特性上、どうしても目に映る対象を優先し、自分を犠牲にしてしまうんです。

これは、今も向き合っている私の課題です。

(でも、精神的にしんどくなる人ほど、このように考えてしまう人って多いんじゃないかな?と勝手に思っています。そんな人のことを考慮した「10分間はあなたの時間だから、他の人のことは気にせず話していいですよ」みたいな環境もあったのかな。それを選べたらまた少し違ったのかも…?)


自分が気を遣って全然話せていないことに気づき、勇気を出して思っていることをしっかり伝えたこともありました。

尺だけで見るとちゃんと聞いてくれたと言えるのですが、正直、全然手応えがなかったというか、結局すぐ薬の量の話になっておしまい。

じゃあどんな対応をしてほしかったのか、当時の私にはわかりませんでしたが、今思うと対話をしたかったんだと思います。もっと私が感じていることに耳を傾けてほしかった。自分でもよくわかっていないから、質問してほしかった。一緒に今の状態を観察してほしかった。

でも実際はその真逆。「話しても結局こんなもんか」というがっかり感や諦めのような気持ちでした。


薬をやめるまで


それ以来、ますます表面的に「いい感じです、そのままで~」とか、「調子いいんで減らしたいんですけど…あ、早いですか、わっかりました~」といった関わりしかできなくなりました。

ただ薬をもらうためだけに病院に行っている感覚。

私はこれからどうすればいいのか、どんな段階を経て回復に向かうのか、どこに向かえばいいのか、回復とはどの状態を指すのか、前に進めているのか、そもそも前とはなんなのか…

現在地がわからず、地図もない。

疑問はたくさんある。でもそれを先生に聞きたいとは、もう思えなくなっていました。

病院を変えるにも、以前探したときに「初診はただ今受け付けておりません」といくつも断られたし、次に行った病院が自分に合うかもわからない。そこに労力をかけたいと思えませんでした。


それに加えて、薬を飲み続けた先に待っている未来がまったく想像できないし、薬を飲んでいる限り本来の自分の生きる力はずっと見えないまま、ということに耐えられなくなっていました。

私は、変化を求めていたんだと思います。

ストレスを限りなくゼロに近づけるという2年間を過ごし、確かに穏やかで、静かな日々を過ごせました。でも同時に、自分がどんどん弱っていく感覚もありました。

身体を動かさないと筋力が衰えるように、心が衰えている気がしました。

そろそろ状況を変えたい。衰えた心のリハビリをしたくなっていました。


また、停滞しているように見えても、自分自身の中では様々な変化がありました。友人と会えるようになったし、電車での移動もだんだんとできるようになってきた。やりたいことだってあるし、以前より疲れにくくなった。

今の自分なら、多少つらいこと・苦しいことがあっても大丈夫。耐えられるし、支えてくれる家族や友人もいる。どうにかなる。そう思えるようになっていました。


2023年の9月頃、気分が乗らず病院に行きませんでした。これまでなら病院に連絡して別日に変えてもらっていましたが、今回は「もういいや」と思い、連絡もしませんでした。それ以来、病院へは一度も行っていません。

通院を始めてから2年ちょっと。薬を飲み始めてからも2年ほど。

そして、残っていた薬を飲み終えたら、薬を飲まない生活をすることにしました。

いきなり飲まなくなるのは危険と聞いていたので、段階的に減らしていきました。それでも離脱症状で手先がびりびりとしびれる感覚などはありましたが、次第になくなりました。

減らしていく段階では、やっぱり不安感が強くなることもありました。苦しい時間も増えました。でもそれ以上に、自分で選んだ結果感じているものだから、それすらも嬉しかったんです。


私が感じていること


薬をやめてみて、本来の自分の状態を感じられることが、いかに尊いことかを実感しています。

昨日のnoteにも書いたのですが、ただ調子がいいときもあれば、あまり元気ではないときもある。ただそれだけ、という感覚になってきました。


うつ状態に限らず、生きている限り、波はある。調子がいいときもあれば、気持ちが沈んだり、なんとなくやる気が出ないときもある。

自分の状態をその都度見つめながら、心や身体からのサインを受け取って、メンテナンスする。

なんか、そういうもんだよなぁと思って。

暗い気分でいること=悪いことと思っていたときは、明るい気分にならなきゃ、元気を出さなきゃと思っていたような気がします。

でもそもそも、暗いといけないんだっけ?
明るくいなきゃいけないんだっけ?

そう自分に問いかけてみると、家の中の空気を暗くしないため、という答えが返ってきました。

あぁ、そんなところに繋がるのか。

私の家は、兄のことでいろいろ大変で。苦労している母を見ているのがつらくて、私はいつも明るく振る舞っていたように思います。


今は、そりゃ私が元気な方が家族も嬉しそうではありますが、元気じゃなかったり機嫌が悪かったり、どんな状態でも家族は家族なんだな、と思えています。

普通に働けていたら、そのことに今も気づいていなかったと思います。


薬を飲んだことそのものを後悔しているわけではありません。あの頃の私には、おそらく必要なものだったのでしょう。

でも、自分の中で思うことがあった。それについて自分の頭で考え、自分の意思で結論を出し、行動に移した

そのことに、とても意味があったと感じています。


今は、薬も有効な側面はありつつ、根本的な解決にはそれ以外のアプローチも必要な気がしています。

例えば迷惑をかけてはいけない何事も頑張るのが当たり前という考え方。この考えがどこから来ていて、なぜそう思っているのか、果たして本当にそうなのか…など、知らぬ間についていた考え方の癖をほぐしていくことは、薬を飲んでいるだけではきっとできないと思います。

私は、会社に行けなくなったことで、初めて自分の考え方の癖に気づけるようになってきました。自分や他者との対話の中で少しずつ、当たり前だと思っていたことが当たり前ではないと気づいたり、自分の認識がどうなっているのかが見えてきたり。

まだまだ不安定になるときもあるし、相変わらず働くのは怖くてできないけれど、少しずつ、自分の足で前に進んでいる実感があります。


生きるってものすごく難しいけれど、「生きてる!」って思える瞬間は結構好きだなって思ったりしています。


読んでくださり、ありがとうございました!!


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