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距離感って大事  ③ 自分に丁寧でいる


大人の自分が出来ること

自分ともちょうどいい距離感でいたい。

そう思うと、自分に対して丁寧でいることがますます大切に思えてくる。

親しき仲にも礼儀あり。

この言葉を自分自身にも当てはめたくなる。

私はかつて育ってきた家庭内でぞんざいに扱われてきた時間が長かった。

清潔にして服を着てご飯も食べられて普通の家に住んでいたけれど、目に見えないもの、心のことや未来の可能性に関しては、かなり雑に扱われてきた。

時には私という、ひとりの自由意思を持った人は存在しないことになっていたから、今で言うネグレクト状態の部分がかなりあったと思う。

子どものころは周囲の環境の影響が本当に大きい。

雑に扱われたりネグレクト状態が普通だった私が、自分に対して丁寧でいることの必要性を認識して、それを実行に移すまでは長い道のりだったと思う。

選択の余地なく自分が置かれたスタート地点から、いかによりいい環境に自分自身が変えていくか?
そのために必要な学びは?行動は?

そんな問いからの出発が、大人になったあとの自分に出来ることだ。

私はそうしたことに気づくのも遅かったけれど、気づいてからは僅かながらも前に進んできた。

時には疲れたり難しさを実感することもある。
けれど、それこそが前に進んでいる証って思う。

援助職のセルフケア

自分自身の見えるところから見えないところにまで丁寧に関わろうとしたら、それだけでずいぶんと人生は忙しいのだな。

そう思うことが増えた。
今さらながらに。

私は、育ちからしておそらく人よりずっと、自分に丁寧に関わらなくてはならない割合が多い。

それなのに…
そのことに気づく前に、私は他人を援助することを職として選んでしまった。

援助職というのは、実際の稼働時間が終了したらハイ終わり、というのでもなくて、それ以外の時間を使って学んでスキルアップしたり、セルフメンテナンスしたり。それだけでもけっこう大変。

それにプラスして、自分に丁寧に関わろうとすることが自分にとって必須なこと、それが通常よりかなり多い、とわかったら、これはもう大変。

曲がりなりにもこれまで支援者として継続して動けてきたから、職業適性がないことはないと思うけれど、やはり虐待サバイバーの私がこの先も成長する支援者でいるにはやることが山積みってことがわかってきた。

それでも私はこれまで歩んできた道を歩き続けたいのか?

もっと別の道も本気で考えなくちゃダメだろうか??

今の私には正直ちょっとわからない。

でもだからってここから自分を追い込まない。
正解得たさに必死になりすぎない。

ただただ丁寧に。丁寧に。

早く結果を得たくて焦りがちな私の頭の中に、時々古きローマの格言が浮かぶ。

「ゆっくり急げ!  」

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