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田舎移住003.移住してわかったこと。

田舎へ移住して2ヵ月が経ちました。我が家の桜も満開となりました。

リビングから見える光景です。
2階の物干し台から。
山の中にも山桜がポツンポツンと咲いていて周囲の緑の木々とのコントラスト模様もまたいいです。

いままで桜の香りに意識がいったことはなかったのですが、物干し台で洗濯物を干しながら桜の花に近づいていくと素晴らしい香りに包まれて「えっ?」と思います。別の世界に誘われているような感覚です。
何の根拠もないのですが、「幸せ」を感じるのですよね。どのような花でも「幸せ」を感じさせてくれますが、桜、とくに薄い桜色の染井吉野は格別な感じがします。不思議です。

願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」と詠ったのは西行ですが、気持ちがわかるような気がします。何か安らぎの世界とつながっているような、見守ってもらっているような、そんな感覚が満開の桜を見ていると湧いてきます。その世界へ帰りたいというか何か懐かしい感じもします。

上記の桜の画像を友人たちに見せると「日本の原風景」「穏やか」「平和」という感想が返ってきました。
やはりみんな同じような感覚になるようですね。もしかすると、私たちはかつてあった「楽園」を知っているのではないかとさえ思えます。それなのになぜか私たちはそこから遠ざかっていっているように思えます。

上記のような風景のなかで、農作業をやりながら暮らしていけるのなら、それは「幸せ」なことなのではないかと思うのです。
何があっても、衣食住を自分で何とかできる環境と力があれば、それが「安心」につながるとも思います。

私たちは衣食住を他者に依存することで、「不安(恐怖)」を増幅させているのではないでしょうか。
いまは「便利」な世の中になったとはいいますが、私たちは「便利」と引き替えにある種のパワーを譲り渡してしまっているのかもしれません。
便利」を手に入れるには「お金」が必要です。「お金」を手に入れるにはたくさん働かなければなりません。たくさん働くためには、より「便利」が必要になってきます。そのサイクルの中で「添加物」や「農薬」が必要とされ、働きすぎて病気になった人のために「化学薬品」が必要とされ、人間の体はどんどん自然から遠ざかっています

自然から遠ざかりながら、「お金がなくなるのではないか」「病気になるのではないか」という「不安(恐怖)」を増幅させています。それがある種の人生物語というか、人間のスタンダードになっています。けっこう多くの人が、「不安(恐怖)」の感情を抱いて日々を過ごしているのではないでしょうか。
そのような「不安(恐怖)」の増幅をエネルギーとして、いまの社会が成り立っているような気もします。

先日、東京駅の近くに用事があって行ってきました。世田谷在住だったころの私の生活圏は、青山・渋谷・三軒茶屋・下北沢あたりで、東京駅へ行くのは久し振りでした。
改札口を出た地下街は巨大なショッピングモールとなっていて、外国からの旅行客で溢れていて、まるで別世界に来たような感じでした。地上に出て、さらに驚きました。建築工事中の高層ビルが雨後の筍のように連立しているのです。違和感を感じました。

完成した立派な佇まいのビルもあり、中にテナントがたくさん入っていましたので偵察してみました。大手企業が資本を出しているありきたりのお店が並んでいました。お店の中を覗いて見る気にはなれませんでした。なぜなら「たかが知れている」と感じたからです。
いくらお店をお洒落に装って購買意欲を刺激しようとしても、その意図が垣間見えてしまって興醒めに思いました。
周囲を見まわしてみても、お客さんはパラパラとした感じで、ほとんどが外国からの旅行客のようでした。閑散としていました。

世田谷在住のころの私でしたら喜々としてお店巡りをしていたと思うのですが、もうそのような興味がなくなっている自分に驚きました。
私の興味は、いま暮らしている家の周囲で展開している日々の出来事に移ってしまっていることを再認識しました。
昼間は外で作業している私の後をウグイスが追ってきて、何やら声をかけてきます。「何やってるの?」「頑張れ〜」と言っているように聞こえます。私の動きに興味津々のようです。
夜はフクロウが鳴きます。夜道をヘッドランプを頼りに歩いていると、イノシシが横切っていきます。先日は夜中に山羊のような鳴き声が聞こえて何だろうと思って朝起きて南に面したお宅の畑の方を見てみると、ハクビシンが罠の中に入っていました。畑のジャガイモを掘り起こしていく動物がいるので罠を仕掛けておいたのだそうです。ハクビシンは叔父さんの軽トラに乗せられて山梨方面の山へ放されに行きました。
という感じで、毎日私にとっては新鮮な面白いことがあって興味が尽きません(笑)。

東京駅近辺で高層ビルが建設工事中の光景を見たとき、ふと「このシステムは限界に近づいている」という思いがよぎりました。なぜなら、利用される当てのない高層ビルを、とりあえず建築することで経済を回しているつもりのようですが、いずれ辻褄が合わなくなるときが来ると思うからです。その光景から「平和」を感じることはできませんでした。感じたのは、「これからどうするつもりなのだろう」という「不安」でした。
田舎へ移住して周囲の環境の影響もあるのかもしれませんが、私はもう皮膚感覚で、そのようなシステムから離れつつある自分を感じました。

受け身な消費者という立場を卒業したというか、ある種の「ゲーム(プログラム)」を抜け出したという感覚です。世界線を移行したというか。
思い返してみれば、「田舎へ移住したい」という思いは、そのようなシステムの外側で生活したいという願望だったのかもしれません。
そして私は「意識」をそちらの方向へ向け、「行動」しました。「行動」の結果、自然や生命の尊厳地球とのつながりを再認識し確信することができました。

とはいえ、田舎への移住はいいことばかりではありません。私が体験したことをご参考までに列挙しておきたいと思います。
まず、冬は寒いです。東京より気温が5度ぐらい低いです。私が引っ越した築40年の家は古民家ではありませんが、やはり隙間風が入ってきます。エアコンだけでは暖まらないため、引っ越して来てから急遽石油ストーブ湯たんぽを購入しました。それでも廊下やトイレは寒いので、石油ストーブのある部屋の外へ出るときは、いちいち決心と覚悟が必要でした(笑)。
以前、八ヶ岳でレストランを営んでいるオーナーさんに田舎への移住について相談したことがあったのですが、その方は「私は歳をとったら東京へ移住しようと思っている」と冗談半分に言っておられたのですが、いまではそれが理解できます。田舎の冬は厳しいです。

家はいちおう内装とトイレとお風呂はリフォームしてくださったのですが、盲点は押し入れの中でした。押し入れの中まではリフォームやクリーニングしてくださっているわけではありません。しばらく人が住んでいなかった家なので、中は埃やカビやゴキブリの卵などがあり、そのお掃除が大変でした。ゴキブリが大嫌いな私は、半べそかきながらお掃除しました(笑)。また、変な匂いがして、毎日襖を開けて風を入れているのですが、いまだに匂いが抜けません。消臭剤をいろいろ試してみたり、お香も焚いてみたのですが、あまり効果はなく、いまはバイオの消臭剤を試しているところです。
あと、キッチンまわりは元のままでシンク下の中などもかなり汚れていますので、自分でDIYしなければなりません。それなりに暮らせるようになるまで、いろいろとやらなければならないことがたくさんあります。
しばらく人が住んでいなかった家に移住する際は、覚悟が必要です。また、暮らせるように整えるためには、隙間塞ぎなどDIYのための資材が必要ですのでお金もかかります。要注意です。

よくYouTubeで古民家に移住された方が動画を上げておられますが、尊敬します。あそこまで住めるように整えるのは、お掃除とDIYがどれほど大変だったことか…。
古民家に断熱材を入れて冬を過ごしやすいように改造する方もおられるようですが、大工さんに伺うと、断熱材を入れるにはかなり費用がかかるうえ、家を維持するために、その他にも修理が必要なことが結構出てくるので、古民家を改造して住めるようにするより、解体して新築した方が長い目でみたら安上がりかもしれないとのことでした。

また、最近は冬の寒さとの闘いが終わり、ようやく春らしい暖かな気候になりホッとしたところだたのですが、暖かくなった途端、なんと、カメムシが大量発生し、今度は別の闘いが始まりました。先日などは23匹も退治しました…。ムカデも出てきました。
さらに、せっかく大家さんが雑草が生えないように杉のチップを敷きつめてくださった庭にドクダミが大量発生してしまいました。ドクダミは薬草でもあるのですが、蔓延ってしまうと他の植物が生きられなくなってしまうので、コントロールする必要があります。
どのようにコントロールしていくか、これからの課題です。里山も、人間がコントロールしないと荒れてしまいます。里山の美しさを保つためには人間の手が入る必要があるわけです。その観点から考えると、地球に人間が存在する意味のようなものが見えてきたような気がします。
なぜなら、人間だけが自分が身を置く環境を変えることができるからです。

ドクダミの生命力には驚かせられます。

というわけで、田舎暮らしはいいことばかりではありませんが、それでも私はやはり「引っ越して来て良かった」と思っています。
なぜなら、自分が身を置く「場所」を自分が意識した方へ移動させることによって、新たな「体験」を積むことができたからです。それはゲームのようなもので、次々と想定外の出来事がやってくるのですが、それをなんとかクリアしているうちに、自分の世界がさらに開けていくわけです。
自分で意識してやっていることですから、すべて自分の責任です。他の誰のせいでもありません。そうなってくると「自分でできる限りのことはやる。それで駄目だったら仕方ない」「自分を信じるしかない」という心境になってくるわけです。そこに「不安」などはありません。
なぜなら、私はいまここで「生きている」からです。「不安」になっている余地などありません。ひたすら「生きる」しか道はないのです。
この環境に身を置くことで、それが「」でわかってきました。
場所」と「体験」、地球に生まれてきたのは、そのためだったと思えるほどです。

どこに身を置いても「課題」は出てくるものです。人はそれをクリアしていかなければなりません。どうせ苦労するなら、未来に希望を持てる「課題」に取り組んだ方が前に進むことができると思うのです。

まだまだ衣食住を他者に依存している私ですが、徐々に「不便を楽しむ」方向へ移動していることを感じます。ようやく家もなんとか暮らせるように整いつつあり、周囲の自然の変化の物凄さを感じ、楽しめるようになってきました。「楽しみ」も「喜び」も「幸せ」も、すべて自分次第。自分で整えるしかないと思うのです。

こちらでは庭付きの家が多く、それぞれ自由に庭造りされていて見応えがあります。
芝桜も花盛りです。紅白の梅も綺麗に並んでいます。
枝垂れ桜の下のチューリップなどの花々が可愛いです。
道端の花も元気です。
桜の花びらの階段を通って家に出入りする幸せ(笑)。
拙稿「田舎移住002.田舎へ移住しました。」で紹介した、引っ越した日に私を出迎えてくれた早咲きの梅の木が、もう実をつけ始めました。目まぐるしく変化していく周囲の生命の動きの流れに翻弄されそうになりながら、その物凄さに感動している今日この頃です(笑)。

                                                          
                                 

後記
経済システムについてなのですが、マーケティングの仕事をしていた立場から言わせていただくと、いま、トレンドは「農業」なんですけどね。将来有望な仕事として。そしていま、最も人の役に立つ仕事というのも「自然農法」で育てた食物を売ることだと思うのです。それを「流通」させるというのが理想なのですが、なかなかそちらの方向の仕事で生活を成り立たせていくのが難しいというのが現状のようで、とても歯がゆいです。そのあたりのことは、いずれ考察してみようと思っています。
あと、ドクダミに悩まされている方は多いと思いますので、対処方法を私なりにいろいろ実験してみようと考えています。結果は後日ご紹介させていただきます。

【管理支配システムに組み込まれることなく生きる方法】
1. 自分自身で考え、心で感じ、自分で調べる
2. 強い体と精神をもつ
3. 自分の健康に責任をもつ(食事や生活習慣を考える)
4. 医療制度に頼らず、自分が自分の医師になる
5. 人の役に立つ仕事を考える
6.権威に依存しなくても生きていける道を考える(服従しない)
7. 良書を読み、読解力を鍛える(チャットGPTに騙されないため)

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