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『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第2回

野球を始めた息子に説教をしてしまう僕。そこにあった感情を乗り越えて、純粋に観戦を楽しめるようになる過程がありました。

第2回 観方が変わる

「おやときどきこども」(鳥羽和久著、ナナロク社)。この本に出会い、僕はわが子に「呪い」をかけていたことに気付く。「呪い」とは、自分の価値観の押し付け、または自分の後悔のリベンジをわが子に託すことだ。一見褒め言葉に思える言葉も、呪いなのだ。

例えばテストで80点を取ってくる。平均点より20点上だ。僕は経験上、だいたい偏差値60くらいだと分かる。そして褒める。偏差値60は合格点。そんな価値観を無意識に植え付ける。あるいは、学校の宿題で絵を描いてくる。真ん中に大きな花の絵が描いてある。花を大きく描いてるところがいいね、と伝える。これも特定の価値観。

自分が若いときにできなかった後悔をわが子に押し付けるという行為も呪いだ。中学の時、もう少し勉強していれば、という思いから、「だらだらしてないで勉強しなさい」という言葉を発してしまう。僕ができなかったことを、わが子にリベンジしてもらう。そんなことを無意識に押し付けていたのだ。

それに気づいたとき、僕は君たちに謝った。自分の価値観を押し付けてゴメン、後悔のはけ口に使ってしまってゴメン、と。

それからは、君たちの感情を大事にしている。そのプロセスに目を向けるようにしている。絵を描いてきたら、「完成した時にどう思った?描いてるとき、どこを工夫した?」。そして、君が答えた言葉をそのまま受け止める。
そして、結果への評価ではなく、その過程を知り、感情を共有する。

そんな態度で、君の野球を観るようになってからは、君のことがより鮮明に見えるようになった。そして、君の野球を、より楽しめるようになった。
より鮮明、とはどういうことか。君の見ている景色を一緒に見ている感覚といったら、嘘になるだろうか。

自分の分身だと思っていたころは、過去の自分にダメ出しをする感覚だったのだと思う。なにせ、自分の後悔のリベンジをしようとしているのだから、そうなるのも無理はない。そんなことをしたらダメだ。あの時の自分と同じ間違いをしてしまう。ここで間違いを正すことができれば、僕の失敗を活かして、より完璧な「僕」に近づく。

評価して、正しい姿に導こうとする態度は、きっと君の真正面に対峙して、君の粗探しをしている状態だったのだろう。それが楽しいわけがない。

そこから抜け出した。
君の横に寄り添って、同じ景色を見る。君が何を考えているか、一緒に感じる。試合が終わってから、答え合わせをするのが楽しい。
「あのとき、2ストライクまで追い込まれてから、よくヒットにしたね。どういう気持ちでボールを待ってたの?」「あのボール、よく止めたね。緊張したんじゃない?」

第3回につづく

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