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燃え尽きと自己点検

気になる人を見た。
とりあえず無気力だ。投げやりだ。
その人の周囲はイやな思いをしそうである。
実際その人と接した後の私も、怒りやモヤモヤを抱えた。
その人は状態としては『燃え尽き』の状態にも見えた。
だが、ふと思った。「そもそも燃えていたのだろうか」

燃え尽きた人にはこれまでも仕事で接してきた。
仕事や家庭、そして人生、それらに理想を抱きながらも現実とのギャップに苦しんで、燃え尽きていた。
さらにはただ迫ってくる現実に疲弊して燃え尽きた人たちもいた。
震災からの復興、最近ではコロナ禍などは一時的にはとてつもないエネルギーを引き出すのだが、それは永続することはなく、その人のエネルギーを気づかないうちに消耗させ、最終的に枯渇させてしまうというのはよく知られた話だ。

今日出会った人も、過去にはなにか理想に燃えていた時代があったのかもしれない。
しかし、その情熱ははるか昔、幼少期の出来事がきっかけで消されてしまったのかもしれない。
それからは何かに燃えることなく、ただ日々を重ね続ける。
現実逃避の手段はいくらでもある。酒もタバコもゲームも麻薬のように偽りの快楽をもたらしてくれる。
そうして自分をごかまし続けながら死んでいくのだろう。

燃え尽き(バーンアウト)は学術的にも研究が進んでいる分野だ。
いくつか燃え尽きの定義があるが、大抵は情緒的な消耗というものが基盤にあると考えられている。
何かに燃えているとき、私たちはそれに熱中し没頭する。生きがいを感じ、突き進んでいく。
一方で、心を燃やすエネルギーを消費し続けている。エネルギーを蓄えなければいずれ枯渇する。
現実は厳しい。理不尽に満ち溢れている社会の中で、心のエネルギーは理想に注がれず、現実に大量に流れ込むこともある。
そうして、心のエネルギーが無くなった時に人は燃え尽きる。

最初に燃えていたからこそ燃え尽きる。
それならば、最初から燃えない方が楽だ。
そう思う人が増えるのも自然なことなのかもしれない。
それでも、『燃える人生』を選ぶ人がいる。
私もそうでありたい。
燃え尽きないために、自己点検をしていかなければいけない。
「消耗しているな」「疲れているな」と感じる時がある。
そういう時、いかにエネルギーを蓄えるか。
時には熱中していることから一時的に離れることも必要かもしれない。
燃えているときにそこから離れることは怖い。
だが、燃やし続けるためには必要な休息もある。

「油断大敵」

火を灯し続けるためには油を断ってはならない。
情熱を燃やすための油を注ぎ続けられているだろうか。
自己点検を忘れずに生きていきたい。

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