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【ショートストーリー】逆吉

 頼む、今年こそは頼む。
 大吉なんて高望みはしない。なんだったら凶でもいい。全然いい。
 
 とにかく、普通のおみくじを引かせてくれ!


 心の底からそう願いながら、俺はおみくじの箱の前に立った。緊張で手のひらには汗が滲んでいる。こんな緊張感、ずいぶん久しぶりだ。大学入試以来かもしれない。
 「凶でもいい」なんて、これからおみくじを引く人間がまず考えないようなことを俺が願っているのは、去年の出来事が原因だ。
 そう、あんなおみくじを引いてしまったから――――



 あれはちょうど1年前の元日。俺は今日と同じようにこの神社にやって来た。

 参拝を済ませた俺は、運試しでもしてみるかと軽い気持ちでおみくじを引いた。
 開いてみると、そこに書かれていたのは

『逆吉』

の文字だった。

 ……ぎゃく、きち? それともさかきちか?
 初めて見る言葉だった。なんだろう、これは。運がいいのか悪いのか、判断がつかない。
 さっきまで「大吉かな、さすがにそれは高望みか、それじゃあ中吉あたりが妥当か」なんて浮かれていた心は、一瞬で特大の疑問符に押さえつけられた。
 スマホで調べてみたが、出てきたのはおみくじの解説ではなくスピリチュアル系のブログばかりだった。これでは参考になりそうもない。
 これは専門家に直接聞いてみたほうが良さそうだ。幸いここは神社なんだし。
 そう考えた俺は社務所の混雑が落ち着いた折を見計らって、中にいた巫女さんに声をかけてみた。

「あのーすいません」

「はい」

「このおみくじってどういう意味なんでしょうか」

「拝見します」

 俺が差し出したおみくじを受け取って目を通した瞬間、巫女さんの表情が変わった。

「えっ?」

 そんな声を上げると、机の下をガサゴソと探して何かの紙切れを取り出し、それとおみくじとを何度も見比べている。

「ええと、あのっ、少々、お待ち下さいね」

 急に顔を上げた巫女さんはそう言い残すと、おみくじを持ったまま慌てて社務所を出ていってしまった。

 あの慌てようはなんだ? 巫女さんでも説明できないって、あのおみくじは一体なんなんだ?
 すぐに教えてもらえるだろうと思っていたのに、予想外のことになってしまった。せめて、逆吉の正しい読み方だけでも教えて欲しかったな。

 とりあえず、あの反応からしてただ事ではないということはわかった。それが幸運と不運のどちらの方向にただ事ではないのか、あの人が戻ってきた時にわかるといいんだが。
 そうは言っても、正月早々こんな事態になっている時点で、あまり運は良くないのかもしれない。

 境内を見ると、穏やかな初詣の光景が広がっていた。静かに手を合わせる人々、出店の食べ物をねだる子供、お焚き上げの炎、美しく飾られた鳥居。
 目の前を行き交う他の参拝客の様子が、なんだか違う世界のことのように思えてきた。

 しばらくすると、さっきの巫女さんの声が離れた場所から聞こえてきた。

「本当なんです、あちらの方が」

「いやー、あれが出てくるなんて、聞いたことがないよ?」

 声の方を見てみると、さっきの巫女さんがいた。袴姿の中年の男と話しながらこちらに歩いてくる途中だ。様子と年齢からして、あの巫女さんの上司に当たる人なんだろう。
 二人は俺の視線に気づくと、一礼してから俺の前にやって来た。

「いやー、引かれましたか、逆吉ぎゃくきちを」

 男はそう言いながら、さっき巫女さんが持っていった俺のおみくじを見せてきた。
 読み方はどうやら『ぎゃくきち』で正解らしい。

「あっ、はい」

 俺の返事を聞くと、男は手にしたおみくじを見つめて、黙り込んでしまった。
 この反応はどういうことだろう。その真意がわからずに困っていると、男は急に顔を上げて、

「いやー、すごい! 本当にすごい!」

と、興奮した様子で叫んだ。

「はい?」

「これは当神社に伝わる特別なものでして、凶よりも排出率が低いんですよ! 私、ここにお仕えして20年以上になりますが、目にするのは初めてです! 先代の頃にも出ていなかったそうですから、少なくとも数十年は出ていなかったんじゃありませんかね。いやー、まさかこの目で見ることができるとは!」

 男は興奮冷めやらぬまま、前のめりにそう言ってきた。
 その様子もさることながら、神職をしている人の口から「排出率」なんて言葉が出てきたので面食らってしまった。神様からのメッセージがゲームのガチャ並みに軽くなっちゃったけどいいのかそれ。
 気を取り直して、俺は逆吉のおみくじのことを改めて聞いてみた。

「あの、逆吉というのはどういうことなんですか? 吉の逆で運が悪いということなんでしょうか」

 俺の問いかけにハッと何かに気づいたように姿勢を正し、咳払いをしてから、男は落ち着いた口調でこう答えた。

「先代からは、『自らの吉が他の人に行く』ということだと聞き及んでおります」

「自分に起こるはずのいいことが他人に起こる、ということですか?」

「そうです」

 なんだそれは。自分に訪れるはずだった幸運が全部他人のものになってしまうなら、自分にはいいことが何も起こらないということだろう。そんなの、ただ単に「運が悪い」よりもひどいじゃないか。最悪だ。

「それ、やっぱり運が悪いってことですよね」

 すっかり気分が落ち込んでしまった俺に、男は優しく微笑みかけた。

「いえ、そうとは限りません。ほら、ここ」

 そう言って、あのおみくじの1か所を指さした。
 見てみると、『逆吉』の文字の後にこんな言葉が書かれていた。

「『このみくじにあう者は、他の者には得ること叶わぬものを得る。日々、周りに目を凝らし過ごすこと。福の形はひとつにあらず。』」

「そうです。こんな珍しいおみくじを引くことができたのですから、いつもとは違った年になることは間違いないかと」

「はあ……」

 言っていることはなんとなくわかるけれど、不安しかない。普通と違ったものを手に入れるとは言っているが、良くないことが起こらないとは一言も言っていないわけだし、どうにもすっきりしない。

「ぜひ、日々の出来事に目を凝らして過ごしてみては。それでは、私はご祈祷がありますので失礼します」

 男はそう言って俺におみくじを握らせると、再び一礼して去っていった。巫女さんも社務所に他の参拝客が来たのを見て、そちらに行ってしまった。

「いったい、どんな年になるっていうんだ……」

 こうして、俺の『逆吉』の一年が幕を開けたのだった。



 結論から言うと、『逆吉』は本当に逆吉だった。
 まず、神社から家に帰ると同時にいきなり発表された推しアイドルの卒業コンサートのチケット競争に負けたのを皮切りに、いろいろなことが起こっていった。

 正月休みが明けて普段の生活が始まってみれば、年末から出ていた仕事の昇進の話が先送りになって、別の会社で働く兄がいきなり昇進したし、懸賞の類はコンビニのクーポン券すら一度も当たらず、同僚や友達が次々と当てていった。中には当選人数1人の車を当てた奴さえいる。
 そして高校の同窓会に行けば結婚が決まった奴、転職が成功した奴、店を開いた奴…………
 とにかく、俺の周りには常に誰かの『嬉しいニュース』が届き続けた。
 誰かにこれほど「おめでとう」「よかった」という言葉をかけた1年はなかったと思う。

 本当に大変な1年だった。
 兄貴の昇進祝いでは親父のたっての希望で家族皆で有名な高級寿司店に食事しに行き、車が当たった友達からはドライブ旅行に誘われてフェリーで夏の北海道に行った。推しの卒業コンサートは諦めきれなくて会場まで行ったら同じような人と会ってオフ会をして、店を開いた奴は開店記念パーティーに招待され……

 ……あれ?
 そこまで思い出して、俺はふと気がついた。
 去年の元日には『最悪』だと思っていたけれど、1年が終わってみると別にそんなことはなかった、ということに。

 この1年は『逆吉』のおみくじ通り、俺自身に『嬉しいニュース』はなかった。
 確かに、ひっきりなしに届く『嬉しいニュース』に「おめでとう」「よかった」と言い続けるのは思いの外疲れることだった。だからといって、それを嫌だと思ったことはなかったし、相手を妬む感情は起こらなかった。

 たぶん、それは周りが常に『嬉しい』という感情に満たされていたからだと思う。
 よく「自分の不機嫌を他人にぶつけるな」「自分の機嫌は自分で取れ」みたいな話を聞くが、それは人の感情は周りの感情に左右されてしまうからという一面も少なからずあるのだろう。
 だから、周りの上機嫌を常にぶつけられていた俺は、上機嫌とまでは行かなくても、妬ましいとか最悪だとかそんな感情とは無縁の1年を過ごせたのかもしれない。

 なるほどね。『福の形はひとつにあらず』というのはそういうことか。
 そこまで思い至ると、去年の元日からずっと胸の中にあったもやもやしたものがすっと消えていったような気がした。
 こんなにおみくじ通りになるなんて、本当にいつもとは違う1年になったな。

 だけど、誰かの幸せを祝い続ける日々はさすがにもういいんじゃないだろうか。俺だって多少は自分の『嬉しいニュース』が欲しい。
 そのために、絶対に引いてみせる。普通のおみくじを。

 決意を新たに、コートのポケットに入れた百円玉に手を伸ばしたときだった。

「ねえーママあ、まーだ? まだおみくじできないのー?」

 背後からそんな声がして振り返ると、小さな男の子と母親らしき女性が後ろに並んでいた。

「コウちゃん、しーっ。順番だよってさっき言ったでしょ? お兄ちゃんが終わってからだよ」

 俺の視線に気づいて、女性が慌てて男の子をそうたしなめた。

「すみません」

「あ、いえ。なんか、こちらこそすみません。お先にどうぞ」

 俺は頭を下げる女性に頭を下げ返し、脇に避けた。

「えっ、でも……」

「いいんです。どうぞどうぞ」

 俺がおみくじの箱を前に長々と去年を思い出している間、ずっと後ろで待っていたのだとしたら、申し訳ないし恥ずかしすぎる。

「それじゃあ、お言葉に甘えて。コウちゃん、お兄ちゃんが先にやらせてくれるって。ありがとうしてからやろうね」

「ありがとうございます!」

 男の子はぴょこんとお辞儀をすると、おみくじの箱に駆け寄った。母親に手伝ってもらって百円玉を入れ、おみくじをひとつ掴み取る。

「ママ、よんで! なんてかいてある?」

 男の子が差し出したおみくじを丁寧に開くと、女性が笑顔になった。

「すごい! コウちゃん『大吉』だって。今年はとってもいいことがありますって書いてあるよ」

「やったー!」

 小躍りして喜ぶ男の子を連れ、女性は再び俺にお辞儀をしてから去っていった。

 さあ、今度は俺の番だ。あの子の幸運にぜひ続きたい。
 ポケットから百円玉を取り出して入れてから、慎重に箱の中を探る。いくつものおみくじがガサガサと音を立てながら手に触れる。
 その中で、中指に角が刺さるように触れたものがあった。
 これだ! 直感がそう告げた気がして、俺はそれをつまんで箱から引き上げた。

 震える手でゆっくりと糊付けを剥がし、折りたたまれたおみくじを開いていく。
 出てきたのは――――


「かり……きち? 何だこれ!?」







ギリギリ1月中なのでセーフとさせてください。
今年もがんばります。

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