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【ショートストーリー】雨の日はお祭り騒ぎ

「本当だったんだ……!」

 僕は慌ててレインコートの下からレインカバー付きのカメラを引っ張り出すと、夢中でシャッターを切った。
 ファインダーの先にあるのは祭りの列だ。
 何種類もの太鼓、陽気な掛け声、菅笠をくるくると回しながら踊る女性たち。皆の背負い篭に山ほど詰め込まれた食べ物やおもちゃ。皆、笑顔で楽しそうに歩いている。
 ――叩きつけるような土砂降りの中を、ずぶ濡れで。



 『雨の日にしかやらない祭礼』。
 とある山間の小さな町の、さらに限られた集落でしか行われないという誰も知らない祭り。
 地方の伝承や祭礼を扱うライターの僕でさえ、その存在を知ったのはほんの3ヶ月前。たまたま別の仕事で知り合ったその地域の出身者から話を聞いたのがきっかけだ。
 すぐさまその話を頼りにリサーチを進め、ついに今日、こうして取材にやって来たのだった。

 しばらく僕は無心にシャッターを切っていたが、動画も撮りたくなって祭りの列からカメラを離した。
 準備に手間取っているうちに、あれほど強かった雨は蛇口を締めたように一気に弱まってきた。
 僕が再びカメラを向けた時、撮れたのはこんな会話だった。

「おい、晴れてきたど!」
「どうするよミネさん。中止にすっか?」
「あれ、今日は一日中雨の予報だっただけど……ちょっと休んで様子見てみっか。おーい皆、 雨待ちだ!」

 「雨待ち」の声を聞くと、列はゆるゆると崩れだした。
 そのまま立ち話を始める人、背負い篭からビニール袋に入った乾いたタオルを取り出して体を拭く人、ずぶ濡れの法被を絞る人、皆にお茶のペットボトルを配る人。さっきの会話の通り、休憩に入ったようだ。
 その中で、一人だけ麦わらのカンカン帽に着物姿の男性がいた。「雨待ち」の号令をかけたのも彼だ。おそらく祭りの世話役だろう。
 僕は撮影を止めて雨具をしまうと、近づいて声をかけた。

「あの、すみません。フリーライターの坂脇と申しますが、峰上さんは……」

「ああ、あなたが東京からいらした記者さんですか。遠くからこんな所までお疲れ様です。私が峰上です。この祭りのことをお話しすればいいんですよね」

 カンカン帽の男性はタオルで体を拭く手を止めると、笑顔でそう答えた。
 この人が、僕が事前に取材を申し込んでいた峰上さんだった。この地域が隣町と合併する前、最後に村長を務めた人物だ。

「はい。お祭りの最中に申し訳ないのですが、ぜひお願いしたいです」

 僕の名刺を丁寧に受け取ると、峰上さんは空を仰いでからこう言った。

「構いませんよ。ちょうど晴れてしまいましたし、東京から記者さんが取材に来てくださるなんて滅多にありませんから。こんな場所で立ち話もなんです、よろしければ私の家にいらっしゃいませんか。この近くなんです」

「ありがとうございます」



「本当に、雨の中でしかやらない祭りなんですね」

 峰上さんの家へと向かう道すがら、僕はそう切り出した。取材前のコミュニケーションというよりは、単に自分の率直な感想だ。
 事前のリサーチでは写真も映像もほとんど見つからなかったから、実際に目にした光景にすっかり圧倒されてしまったのだ。

「雨天中止じゃなく、晴天中止。変わってますでしょう? ですが、それが昔からの決まりなんです。昔は今よりずっと人口が多くて、皆農業をしていたので時間の融通も効きましたが、今は祭りをやるのも一苦労ですよ」

「なるほど」

 近年、ライフスタイルの変化で存続が危ぶまれる祭礼は増える一方だ。ここも例外ではないらしい。

「隣町と合併してからは、山の上に大きな企業が来たんですがね。それから五年ほど経ちますが人は増えませんでした。まあ、こんな田舎ですから無理もありませんな」

「山の上にですか?」

「ええ。詳しいことは知りませんが、研究施設を作ったと聞きましたね」

「そうなんですか」

 企業の研究施設というのに少し引っかかりを感じながら僕はそんな相槌を打った。
 ある程度の企業ならば、研究所の新設に際してプレスリリースが出ているはずだ。職業柄、その手の情報は一通り目を通しているが、研究所を新設したなんていう話に覚えはない。
 気になって調べようとスマホに手が伸びたその時、峰上さんが立ち止まった。

「着きましたよ。狭い所ですがどうぞ上がってください」

 狭いとは謙遜もいいところで、目の前には村長の家にふさわしい立派な日本家屋が建っている。
 僕は少し緊張しながら、峰上さんに招かれて家に入っていった。


「――貴重なお話をありがとうございました」

 峰上さんは祭りにまつわる色々な話をしてくれた。
 例えば、祭りの決まり事について。ずぶ濡れになる必要があるから雨具を使ってはいけない、もし泣いてしまったら不吉だから子供は参加させないなど、決まりがいくつもあるそうだ。
 中でも僕がとりわけ興味を持ったのは、祭りのはじまりだされている話だ。各家庭で代々語り継がれているという不思議な物語を、峰上さんは僕にも教えてくれた。

 それはこんな内容だった。

 ――祭りがいつ始まったのかは正確には分からないが、おそらく江戸時代よりもずっと前のこと。

 ある時、日照りが続き、村人の命を支えていた山の幸が全く採れなかった。村人たちは話し合い、山の神に生贄として一人の少女を差し出すことが決まった。
 嫌だと泣いて暴れる少女を、村人は数人がかりで無理やり山に置いてきた。山の神を祀る祠に、縄で縛り付けて。
 すると、次の日に雨が降った。初めは喜んだ村人たちだったが、雨は何日経っても止まない。ついには土砂崩れが起き、村の半分が泥に埋まってしまった。
 村人たちが祠を見に行くと、少女の姿はなかった。なのに、泣き声だけがその場に響いている。
 これはあの子への仕打ちを神が怒って、あの子の涙を雨にしているではないのか?
 困った村人たちは考えた末、少女を泣き止ませるために雨の降る中でどんちゃん騒ぎを始めた。歌に太鼓に踊り、それからお菓子にご馳走。一日中、村人皆でずぶ濡れになってのお祭り騒ぎの後、ようやく雨は止んだ。

 以来、この季節には雨の日を一日選んで、どんちゃん騒ぎをしながら町を練り歩くようになった。いつしか「雨子あまご様」と呼ばれるようになったあの子への償いのために。そして、二度と泣かせないために。


「本当に変わってますでしょう? よその祭りは五穀豊穣や無病息災といったことを願うものですが、ここの祭りは償いなんです。雨子様へのね。だから、大々的に宣伝して見物客を呼ぶようなこともしていないんです」

 峰上さんは最後にそう言って話を終えた。
 調べてもほとんど情報が出てこなかったのはそういうことだったのか。
 それにしても、償いのための祭りというのは興味深い。もっと調べてみたくなった。


「あの、その祠というのは遠いんでしょうか」

 取材を終えた後、奥様が出してくれたお茶をいただきながら僕は峰上さんにそう尋ねた。

「いえ、さっき通った郵便局の裏手の坂を10分ほど登った所です」

「ああ、わりと近くなんですね。祠の写真も撮りたいので、これから行ってみます」

「でしたら、妻に案内させましょうか。私は祭りの世話役がありますので」

 峰上さんが奥様を呼びに行こうとする。大丈夫です、と言いながら僕はそれを止めた。

「そこまでお手数をかけさせてしまっては申し訳ありません。散策がてら一人で行ってみます」

「そうですか。何かありましたら、いつでも連絡してください」

「はい。ありがとうございます」

 峰上さんから携帯電話の番号が書かれたメモを受け取り、僕は何度も礼を言ってから峰上家を一人で後にした。


 祠へは迷うことなくたどり着いた。
 道は勾配のきつい登り坂だったが、よく整備された一本道だった。雨上がりの里山は緑が一層濃く感じられ、心地よい。
 祠は大きな山桜の樹の下にあった。銅葺きの青緑色の屋根が遠くからでもよく目立った。
 道も祠も、まめに掃除や整備をしているのだろう。祭りや伝承を今も地域の人達が大切にしていることがよくわかる。
 祠へ近づこうとすると、唐突に雨が降り出した。まるでスイッチを切り替えたかのような、不自然さを感じるくらいの雨だ。
 僕は急いで自分とカメラに雨具を着けると、再び祠へ向かった。

 祠の前までやって来た僕は、手を合わせてから写真を何枚か撮った。外観や備えられた供物を撮った後、祠の裏側に回ってみる。

「うわっ」

 思わずそんな声が出てしまった。
 祠の裏に女の子が座り込んでいたからだ。乱れた髪に白いワンピース姿で、歳は五歳くらいだろうか。
 女の子は急に現れた僕に驚いてびくっと体を震わせたが、声も上げずにぽろぽろと涙を流している。

「きみ、どうしたの?」

 僕が話しかけても、女の子は答えない。
 女の子の視線に合わせてしゃがんでから、色々と質問してみた。名前は? どこから来たの? 親や兄弟は一緒じゃないの? と。
 しかし、女の子は泣きながらこちらを見ているだけだ。話はわかっているようだが、なんとも捉えどころがない。
 通報も考えたが、祠の周りは圏外だった。
 困った。知らない人と話してはいけない、と教えられているのかもしれないが、これではらちが明かない。

「よし、わかった。僕がお家の人を探してくるよ。待ってて」

 僕はそう女の子に告げた。
 峰上さんや町の誰かに聞けば女の子のことがわかるだろう。泣いている子供を山に一人で置いていくのは不安だが、考えつく手段がそれしかない。
 ふと、飴を持っていたのを思い出し、鞄から取り出して女の子に渡した。ここに来る時、小銭を作るために買ったものだ。

「これ、食べていいよ」

 女の子は相変わらず何も言わなかったが、飴は受け取ってくれた。飴と僕を交互に何度か見ると、最後にパッと笑顔になった。
 それを見て自分の後ろめたさを少しだけ紛らわせてから、僕は祠を後にした。
 雨は、またぱたりと止んだ。



「峰上さん!」

 ちょうど郵便局の近くに祭りの列がいた。さっきの雨で再開し、雨が止んだことでまた止まってしまったのだろう。
 僕は峰上さんに駆け寄ると、祠でのことを話した。

「女の子……?」

 峰上さんはそう言うと首をひねって考え込んでしまった。

「はい。早く親御さんに……」

「いや、この辺りにその年頃の女の子はいません」

「え?」

「この地区にいる女の子は、一番年下の子でも小学五年生です。いったい……」

「とにかく来てください。それから警察に連絡を」

「わかりました」

 峰上さんは周りの人に簡単に事情を説明して警察への通報を頼むと、僕と一緒に祠まで付いてきてくれた。
 女の子と会うまでのこと、不自然に雨が降ったり止んだりしたことを話しながら歩いていると、祠が見えてきた。

「あれ? いない?」

 祠の裏には誰もいなかった。呼びかけながら辺りを探してみたが、人の気配はない。

「確かにいたんです、小さな女の子が、その――」

 峰上さんにもう一度状況を説明しようとした時、制服姿の警官がこちらに来るのが見えた。誰かが通報してくれたのだ。

「――いたはず、なんです」

 いったい、あの子はどこへ行ってしまったのだろう。
 僕は警官に状況を説明しながら、あの子の泣き顔がずっと頭に浮かんでいた。



 女の子のことは警察で探してくれるということになった。
 慌ただしく関係各所に連絡をしている警官を残し、できることのなくなった僕は峰上さんと町に戻った。
 あの子のことが心配だった。すぐに見つかればいいが、それまでにもし何かあったらと思うと、たまらない気持ちになる。
 あの時、あの子の写真も撮っておけばよかった。そうすれば警察だって探しやすかっただろう。いや、無理やりにでも町に連れてくればよかったんだ。
 後悔が次から次へと押し寄せる。僕は黙り込んだまま坂を下った。

「もしかしたら、坂脇さんが会ったのは雨子様だったのかもしれませんねえ」

 峰上さんが唐突にそんなことを言った。

「え?」

「いや私、この祭りの始まりは昔の人の作り話だろうと思ってましたよ。けどね、その子が泣き止んだら雨も止んだというんですから、もしかしたら、本当に雨子っているんではないかと思いまして」

 初めは何の話かと思ったが、おそらく峰上さんは僕の様子を察して、わざとこんな話をしてくれているのだろう。

「そうだと、いい……ですね」

 峰上さんの気遣いに、僕はかろうじてそう答えた。
 あの子には無事でいてほしい。それなら人でも雨子でも構わないから。


 結局、帰る時間になってもあの子は見つからなかった。
 明日は東京で別の取材が入っているため、これ以上ここにいることはできない。あの子が見つかったときには連絡してほしいと峰上さんに頼んで、僕は地区のはずれにあるバス停へ向かった。
 すると、前から一台の赤のハマーがやって来て、僕の隣に停まった。窓を開けて顔を出した運転手は、僕を見るなり手を振った。

「やっぱり坂脇だ! 久しぶりだな!」

「高部? なんでお前がこんな所に?」

 運転していたのは同業者の高部だった。フリーライターの交流会で何度か話した程度だが、初対面の時から濃いキャラクターで強烈な印象が残っている。
 高部の専門はミリタリーだったはずだ。その派手な車と同じくこの町にはあまり縁がなさそうなのに、どうしたのだろう。

「取材だよ。ある企業がここの山に兵器の研究施設を持ってるっていう話を追ってたんだが、そこで誰かが機密を持って逃げ出したらしい。施設では秘密裏に元レンジャーやら山岳遭難のプロやらを雇って山の中を探し回ってるっていう話だ。そんなお祭り騒ぎ、気になるだろ? 見てみたいだろ?」

 高部は一気にそうまくし立てると、にかっと子供みたいに笑った。
 兵器? こんな静かな所にそんな研究をしている施設があるなんて。
 それなら情報がないのも、この地区に詳しい峰上さんでもよく知らなかったのも合点がいく。
 しかし、なぜだろう。妙な胸騒ぎがする。

「兵器の研究って、本当なのか?」

「そう! それで、その研究してる兵器ってのがすごいんだよ! なんでも、”天候を操作できて”、”見た目には絶対に兵器とはわからない完璧なステルス性能を持ってる”んだとさ。嘘みたいだろ?」

 今日これまでに見聞きしたものが、頭の中でひとつの大きなパズルを作るように整理されていく。
 そのたびに、胸騒ぎは目眩がしそうなほどに大きくなった。

「……ああ。そうだな」

 ……それが”感情によって天候を操作できる”、”小さな女の子”ではないことを心から祈るよ。


 また、叩きつけるような土砂降りの雨が、降り出した。

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