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歩き読書の女の子

おはようございます。雨宮です:)
こちらは今朝は雨模様でしたが
今は晴天です。
やっぱり晴れは気分が良いものですね!

今日は「読書」について
お話ししたいと思います。
過去の投稿内容と被ってしまう
ところもあるかもしれません。
ご愛嬌いただけますと幸いです…

さてさて
最近町を歩いていると
歩きスマホならぬ
歩き読書をしている小学生に
出会うことが多いなと感じています
それは「歩き読書小学生」が
大量発生したのではなく
多分私が「歩き読書小学生」に
自然と目を向けているのだと思います

彼らを見かけると
異なる二つの気持ちになります
「まだ小学生なのに
歩きながらも本を読むなんて偉いな…」
「お願いだから電柱にぶつかったりしませんように…!
前を見てあるいてちょうだい!!」
という気持ちです…

今でこそ読書はライフスタイルの一部であり
出かけるときも大抵何かしらの本を
持ち歩いている雨宮ですが
習慣的に読書をするようになったのは
実はここ数年なんです。
小中学生のときは
全然本に興味がありませんでした。

だから登下校中まで本を読む小学生を見ると
尊敬の気持ちになります。
私は友人ときゃっきゃ言いながら
いつも登下校していましたので…
(それはそれで楽しい思い出です)

昨日もハガキを出しにポストまで歩いたら
三つ編みをして制服を着た小学生の女の子が
本とにらめっこしながら
前から歩いてきました
小さな手には文庫本も
ハードカバー本のように見えます
おせっかいおばさんを発揮して
「車に気をつけてね」と言いたいのを
抑えながらすれ違いました…
きっとあの女の子の頭の中では
現実世界と離れた物語の世界が
繰り広げられているのだな…と思いました。

その女の子とのすれ違いは
私にとって本はどんな存在なのだろうと
なぜか改めて考えるきっかけになりました。

最近は毎朝起きたら
白湯を飲みながら本を数ページ読むのが
マイブームなのですが
今朝は本を開くのではなく
眺めながらぼんやりと考えていました。
そして今の雨宮なりの答えが出ました。

本は私にとって
「孤独同士の友だち」です

物語には必ずそれを語る視点があり
それは多くの場合ひとりです。
いわゆる「主人公」というものですね。
その本にもよるかもしれませんが
本はその主人公の壮大なひとりごとのようだと
ふと思いました。

主人公から見える世界
出会う人々、取り巻く人々
生まれるコミュニケーション
そこから主人公は何を感じて
どう行動したのか
それらがひとつの視点で描かれています。
言うなれば主人公はいつだって孤独なんです。

私は本を読んでいるときは
実際に本を開いていないときでも
主人公がすぐ隣にいるように感じています。
「彼女ならどう思うだろう」
「彼ならきっとこんなときこうするだろう。
でも私は流石にできないな…笑」
といった感じです

そうするとひとりでいるときも
ひとりではないような気がするのです
それをもたらしてくれるのが
本という存在です

読書をするようになったのは
高校生のときでした
今思えば当時は強い孤独を感じていました
きっと本に夢中になったのは
孤独同士どこか繋がりを
感じられたからなのかな…
と今になると思います。

人々から本という存在が
どんどん遠ざかっていき
書店も少なくなっていくだろうと
言われている昨今ですが
わたしは生きている限り
できるだけたくさんの本を手に取りたいです。
物語に浸り、たくさんの「孤独な仲間」と
人生の時間を共有したいです。

そしていつかはそんな物語を
自分でも書いてみたいものです。
小学生が自分が書いた本で
「歩き読書」していたら
なんだか泣いてしまいそうです!笑

久しぶりにお話しが長くなりました。
ここまでお付き合いくださった方々
ありがとうございました!

それではまた
雨宮でした:)





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