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『傲慢と善良』読了直後。

辻村深月さんの傲慢と善良を読了。
10分後からこれを書きはじめる。
いま文章を書く訓練中なのと、やはり感想はホットなうちにということで。

あらすじもネタバレも書かないつもりだけど、感想なので情報は少し出てしまうかも。



まず言わせてほしい、タイトルがあまりに良い。
読むとより良い。

ぐさぐさと刺される話だというのを事前に目にしてはいたのだけれど、
読み始めてしばらく、自分に刺さって痛いというよりも、人物に対して単純な痛々しさを抱いてしまっていた。

とんでもない解像度で描かれる心理描写に、自分よりいくらか歳上の大人たちのあまりの傲慢さに、
それが小説の登場人物であるとわかっていながらも痛々しいと思ってしまう。

だけどふと知らないうちにちくりとする。
共感できない人物の傲慢な言葉やその心理に、善良さゆえの傲慢さにも、そして自分や相手の傲慢さに気づいていく姿にも、
ふと自分はどうだろうか、と顧みない読者はいない気がする。


メインの二人は年齢よりも幼く描かれていたように思う。自分よりも大人であるにも関わらず、そういった考えに至っていなかったのか、と思う場面が正直いくつもあった。(善良ゆえにでもあるし、もちろん環境的な要因もある。)
だからこそ彼らは色んなことに気づいていくのだけれど。

そう思いつつ、大人って実はそこまで大人じゃない、というのも現実のような気がした。

彼らを痛々しく幼く思うことすらわたしの傲慢で、誰しもどこかに拙さを残したまま大人になっている。
若い頃見ていた30代ってもっと大人だと思っていた。実際なってみるとこんなもんかというあの気分こそ、自分の中にもしっかりと残り続ける拙さの実感な気もする。

付け加えて、わたしが一番幼稚に感じたのは、大人であるような素振りを見せ続けた主人公の女友達らである。ここらへんの話は愚痴っぽくなるので書かないことにする。
あえて一つだけ言うと、彼女たちへの気持ちは真実と同じだ。


息の詰まる前半(というかほぼ3分の2ほど)は、少しストレスを受けながら読み進めた。
もちろん読むのがストレスという意味ではなく、登場人物の傲慢さと善良さのあまりに心理描写による、なんとも言い難いストレスだ。

そこからラストにかけては好みだった。
読んでいる最中も、同じ本の中なのにこんなにも違う空気感になるなんてと、辻村深月さんの凄さを感じながら読み進めた。

自分にとっても小説にとってもラストを書き残すのはうれしいことではないので、今回は好みの終わりかただったことのみの言及にしようと思う。


辻村深月さんの本はまだまだ読み始めたばかりだけど、他の作品に別の作品の登場人物が出てくるとの話を聞いた。
そういう仕掛けは子どもの頃からの大好物なので、これから他も読みあさってみよう。



最後に、本の感想とは離れるけれど、
少し長い文になるだけで書くのにとっても気を遣う。
ツイート(本当はポスト)なら気軽に繋げていけるのに、こうやってnoteにしようと思うと時間がかかる。
(仕事じゃないので気が緩んできて最後はだらだらしちゃう)

長めの文章をもう少し上手く書けるような訓練と、読書を続けたいなーと。
と言うわけで今回は趣向を変えて、読み終えた小説の感想を書いたのでした。

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