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(小説)白い世界を見おろす深海魚 19章

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

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19

 週末はオフィスビルも寝ぼけている。

 必要最低限の照明。足音の聞こえないエントランス。閉ざされた扉をカードキーで開き、エレベーターで18階を目指した。

 すでに半数の社員が作業をしていた。電話の音も誰かを呼ぶ声もない。キーボードを叩く音だけが広い空間のところどころから聞こえてくる。就業時間ではないので、ぼくも含めて全員がセーター、シャツ等といった私服姿だった。もちろん、この休日出勤は手当が出ない。全ては自己責任で、ぼく達はノルマを達成する能力がないため自主的に仕事をしているだけ、ということになっている。
 塩崎さんもすでにデスクに着いていた。
 眠そうな顔をして、分厚い資料をめくっている。ぼくと目が合うと「おはよう」と口を動かした。うなずきで返す。

 軽い疲労感を両肩に乗せたまま、パソコンを起動させる。上手くやれば、今日中に終わらせることのできる仕事量だった。日曜日は、丸一日休めるかもしれない。
 ぼくは大きく息を吸った後、頭の中で機械的に業務をこなす自分の姿を想像した。仕事前の儀式。これをやると、はかどるような気がする。

 昼過ぎ、休憩をとるためにブースに行くと、塩崎さんが携帯電話で誰かと話していた。一瞬、目が合う。口元を手の平で隠しながらの小声だったが、話の断片が耳に入ってきた。
「5時? 無理よ……じゃあ、いいわ。池袋で待ってて。はじまる前には行けると思うから」
 夜に誰かと会う用事でもあるのだろうか。
 背中を向け、自動販売機に硬貨を投入する。紙コップが落ちて、コーヒーが注がれる。いつもの動作だが妙に長く感じた。
「うん、分かった。ご飯はあそこで食べよ。あのイタリアン。なんて名前だったっけ?」
 電話の邪魔になるな………。
 素早く部屋から出ようと大股で踏み出すと、紙コップの中にあるコーヒーが揺れた。手の甲にこぼれて、思わず「熱ッ」という声を漏らす。塩崎さんは会話を止めた。
「大丈夫?」
 ぼくに向けて言ったのだろう。
「いつもここのコーヒーを飲んでるね。美味しいの?」
 彼女は送話口を手で押さえながら、いつもの微笑みを浮かべた。

 つづく

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リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。