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私と母とカルト宗教2


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信仰するものがある心強さみたいなものも知っているので、宗教を信じる事自体を否定するつもりはありません。
でもそれが個人の選択に留まらず、子供や周りに迷惑をかける事になるのはやめて欲しいなと思います。
…でも信仰している人達は心からそれが良いものだと思っていて、だからこそ周りにもすすめなきゃ!と親切心ですすめてきたり、巻き込もうとしてくるのが厄介なんだよなあ…。

という訳で今回は私が信仰させられていた宗教の事について描きました。

私が場面緘黙になった事、そしてそれが長引いた事に関してはまあ環境要因としてどう考えてもこの宗教の影響もあると思うのですが、しかし場面緘黙当事者の中でもレアケースだと思うので今まであまり詳しくは描いて来ませんでした。
場面緘黙=特殊な環境で育ったせいと結びつけられるのは本意ではないので。
(何度も言ってますが、私も他に色々と話せなさと結びつきやすい性質を持っています。)

しかしかんもく少女~の中で触れた内容だけでもわかる人には何の宗教か分かるようで、××教によって苦しんだ方からメールを頂いたりしていた事、
そして心理士さん、高木先生(場面緘黙の専門家)、当時の自分の事を良く知っている人(母)それぞれからも、私の場合この家庭環境でなければもっと早くに話せるようになっていたのでは…?といった見解を貰った事もあり、今回改めて自分の××教に対する気持ちや当時の事を描いてみました。


××教によって苦しんだ方のメールや色んな体験談を読んでまず思ったのが、「私は××教の価値観に長い間苦しんだのは確かだけど、他の似た境遇の人に比べて××教に対する興味や負の感情は薄い」という事でした。

そこから色々と考えてみて、漫画で描いたように私は××教を信じていたというよりは××教を信じている母の教えを信じていたから、そうした感情が薄いのかもな…と気がつきました。
母が宗教を辞めてから、自分から××教の事を調べようとしたり深く考える事はなかったので(よっぽど自発的には興味が持てなかったんだろうな…)、改めて調べたらカルト宗教として有名だったのには驚きました…。

そして私が一番苦しかったのは「場面緘黙で話せなかった事」だからというのもあると思います。
宗教の集まりの時も、発表の場で固まって声が出なくなってしまい母に恥ずかしい思いをさせてしまったり、ものすごい力を振り絞って何とか発表はできたけど、緊張して鼻息が荒すぎてマイクにも鼻息が拾われてしまい、姉に鼻息が凄かったよw他の人も笑ってたよwと後から言われてますます発表の場が怖くなった事など…宗教そのものよりも話せなさで辛い思いをした経験の方が今でもよく思い出せます。

うっ…!というかこの文書いてたら忘れてたそういう出来事を色々思い出して悲しくなってきた…!

しかし今改めてこうして漫画を描いてみて、いやいやむしろ今まで何で宗教の影響について深く考えた事がなかったんだ!?と驚きました。
宗教の価値観から抜け出せた今だからこそ、その影響に気づけるようになったのかもしれません。
今更宗教に対して色んな嫌な感情を強く持ちました。
マインドコントロールは本当に怖いし、自分で考えろと言いながらも異常な事を強制するやり方、とても気持ち悪いなあ。

少なくとも私が今後何かを信仰する事はないでしょう。

好きなものや人に対してもっと盲目的にのめりこんで信仰したい…その方が絶対楽しい…!と思って悲しくなる時もあるし、恋愛などはある意味盲目的になる事も必要だなと感じる時も多々あったりして、ああ…異様な環境で育ったからこその生き辛さよ…と思う事も正直あります。

でも私は私の人生を生きるしかないので、まあまずは自分自身の事だけは信じていられるように頑張ろうと思います。





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