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どうやったら同じ目線に立たせてもらえるのだろう

長らく裏方としてシナリオを書いてきて、昨年やっと独立をした。作家名を公表しシナリオや作詞の仕事をし、個展を開かせてもらったりイベントをやってみたり、先日は文学フリマにも出てみた。
その中で「どうやったら同じ目線に立たせてもらえるのだろう」と思うことが多々あったので自分の心の整理も兼ねて言葉にしてみることにした。

「直木賞を獲ったらぜひ一緒に仕事をしましょう」と言われたことがある。
その人はかなりの敏腕プロデューサーで今現在も話題沸騰中の某作品を筆頭に数々の名作を世に出してきた方だ。
彼は私の個展に来てくださりこの言葉をかけてくださった。
この言葉はきっと激励であり、同時に「ここまで来てから物を言ってくれ」という意味も多少なりとも含むことなのだと受け止めている。
そして補足すると、私が自家出版した「手紙にまつわる物語集」に収録したとあるエピソードについて「小説にしたら絶対に賞がとれる。直木賞あたりがいいんじゃないだろうか」と言ってくださったので、もしかしたら裏の意味などなく、本気で「直木賞を穫れるレベルだから頑張れ」と言いたかったのかもしれない。
彼の知名度と比べると、何も比喩が思いつかないほどに私の存在は小さい。
一緒に仕事をするとなると私にも知名度が必要なのだと痛感した。

「知名度」というのは私のような小規模な作家活動をしていてすらぶちあたる壁の一つである。
もしかすると他の国ではナンセンスなことなのかもしれないが、ことさら日本人は「知らないと言うこと」についてなぜか謎のマウント的なパワーを持たせる人が多いように思う。例えば誰かが結婚をすれば「知らない」とコメントがつく。例えば無名のアーティストが道端でライブをしていれば「知らない」と本人に聞こえるように言ったりもする。

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