ぐらしあすの「トラウマに名前を付けて保存するタイプ」

あくまでぐらしあすの体験とそれに対する個人的見解である。

ぐらしあすは子供のころから、ストレスに脆弱で何かの嫌な出来事があるとそれが「トラウマ」っぽい事柄になることが多い。

例えば、子供の頃に所属していた少年野球チームの監督が、ほんの些細なミスで怖い顔をしてぐらしあすの尻をバットで殴った。
それが痛くて痛くて、何よりミスをすればまた叩かれる「痛いという恐怖感」と、その時の監督の「表情やバットの色を覚えているという恐怖感」が残った。
これは、身体的ストレスと心理的ストレスの両方からくる「トラウマ①」であった。

また、小学生の時給食の時間、どうしても食べられなかった(肉の脂身)を、昼休みお預けで、食べるまで許してくれなかった担任の先生。
あのときの肉の匂い、大きさ、先生の顔。
これは心理的ストレスの方が大きいか「トラウマ②」。

幼少のころから、父から「こうあるべき論」で教育され、それが刷り込まれて、一定の年齢までぐらしあすもそう思い込み、ぐらしあすの認知がある種独特なものになった。
バッティングフォームやゴルフのスイングの徹底的な矯正、そして他者から一目を置かせるということを重要視するといった内容の、その時の「父の顔や勢い」。
これも身体的ストレスと心理的ストレスの両方からくる「トラウマ③」。

他の人から見ればほんの些細なことも多々あると思うが、ぐらしあすにとっては、一つひとつが苦しいものへと記憶にこびりついていった。

要は、パソコンに例えると、デスクトップに「トラウマ」のアイコンがいくつも表示されている状態であった。

一つの「トラウマ」が解消されず、認知のゆがみの連鎖でアイコンが増えていくように。

しかし、時とともに「トラウマ」とまでいかなくなって、ごみ箱に捨てるアイコンも出てきた。

上記①②はそうだ。

しかし、③はきつかった。どうにもこうにもいかず、父とは長い葛藤が続いた。

この件については、当時の主治医によるEMDRでかなり楽になった。

それだけ認知も変化してきたのだと思う。

しかし、③のようなきつく苦しい「トラウマ」がいくつもあって、それらが強力にアイコンとしてデスクトップに居座り続けたら、脳がもたないと思う。

トラウマ解消療法は「暴露療法(これは受けたことがない)」や「EMDR」などがあるが、EMDRは一つの「トラウマ」について、何セッションも行い解消させていく療法である。

一つの「トラウマ」が解消され、それにリンクしていた「トラウマ」も徐々に解消されていけばよいが、きつい「トラウマ」をいくつも抱えている場合、その解消のために、何度もEMDRを受けるわけにはいかないだろう。

ただ言えるのは、加齢とともに記憶が薄らいでいくことと、恐怖体験を抱き続けるエネルギーが低下してきたときに(今のぐらしあすがそう)、ある程度、アイコンをごみ箱に捨てるのに躊躇が少なくなってきているように感じる。

ただ、そうは言っても、いまだに新たな「トラウマ」っぽいものが芽吹くときがあるのも事実である。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。