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父親としてどう振る舞うかについて。

父親としてとは仰々しいが

私には2似の子供がいて娘、2つ離れて息子がいる。
NYで子育てをしながら妻と奮闘しながら頑張っているが

2人とも人間でペットでもなければロボットでもないんだなと

分かりきった理解を度々迫られている。

本や雑誌、動画などはこうすればいいああすればいいとアイディアをくれるが
何十年前からもそうであるかのように至極難しい。

と言うもの今朝、
息子が娘との兄弟喧嘩中に顔を引っ掻いていて、
傷を見た私は息子を感情的に厳しく怒った。

私には3人の兄弟がいて、兄弟と書くからには
4人の男兄弟という事であり

現代から見れば漫画の中のような暮らしをしてきた。

父はゲンコツ親父で母も優しかったが、怒ったら手を付けれなかった。
私は九州出身で父は田川市、母は北九州市のでだったので九州に詳しい人から見れば中々ヤンチャだと思うかもしれない。

だから決断を迫られると悲しいかなゲンコツ親父のようにしかできないのだ。

もっと理性高く、おおらかな人間であればどれだけいいだろうと思う。

弁解するつもりはないがこれがいわゆるメンタルブロックってやつかとも思う。


しかし、この引っ掻きを放置して他の子供にやってしまったら、、
と考えてしまう。

ここは私の育った日本でもなくアメリカ。

人種の坩堝よろしく、カメレオン、ダイバーシティだ。

文化の違いや、言葉の違いでいざこざを300年以上続けているアメリカで

もしこのような事件が起こったら事であり

理由があったとしても心苦しい。

平謝りで済めば良いが、医療費と言われることもあるだろう。

私が小学生の際は腕っぷしでクラスの序列が決められていたが

子供達の学校はそうではなく、協調性に重きを置いてるようにも見える。

あくまでもイメージで地下闘技場でもあるのかもしれないが

安全に健やかに、欲を言えば得意げに生きて欲しいというのが世の親の望みだろう。

私も↑に激しく同意する。

というわけで激しく怒った私を自己弁護するわけでもないが

ここに父親らしさを決めてしまいたい。

父は与えることに注力する。

恨まれても、尊敬されなくても与え続ける。

それは直接であり、間接的でもある。

その義理こそ日本の父親像であれ。


と自分の世代とのギャップを感じ自分が歳を取ったんだなと
背中に当たる風に季節の変わり目を感じる今日この頃。

他の父たちと共有できる部分が少しでもあればとても嬉しいと思う。


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