繊細なつもりはなかった

表題のとおり。
鈍いなぁとか、他の人の気持ちがちゃんと理解できているだろうかと思うことはあった。

特にここ数年とても感じるのは、
上手くいかなかったとき、
それも、人間関係や誰かとのコミュニケーションが上手くいかなかったとき。
次に同じ失敗はしないようにと振り返りをしていたら、どんどん些細なことが気になるようになってしまった。

とはいえ鈍いなぁ、鈍いのかなぁと思うことが減ってるわけではないけれども。
考えすぎているのだろうか。

とりわけ人間関係、信頼関係には敏感であることには間違いない。

例えば。
1.部下をランチには誘わない。
誘われたらよほどの事情がない限り、勿論二つ返事で行く。が、自分からは誘わない。
何故ならば、「休み時間くらいお前の顔をみたくない」と思わせてしまったら申し訳ないなぁと思っているから。ワタシは至ってシンプルに、いつでもウェルカムだけど、相手が嫌だけど上司だからなぁと思わせちゃったら申し訳ない!という気持ちだからだ。

2.社内の情報統制がないことがとにかく嫌悪
なぜなのかいまだに理解できないが、
転職した現在の職場は、情報統制がまったく取れていない。まだオフレコにすべき案件、確定ではなく調整が走っている案件、それらをバラバラ撒き散らすことを「問題」とは一ミリも思っていない人が多い。みんなそうなら良いじゃないかと一瞬思うのだが、そんなわけもなく。それに傷ついたり不快な思いをした人は、心を病んだり、不信感を募らせたり、場合によってはこの組織から離れていく。
不思議なことに、仕事ができて、どこの会社にいってもやっていける人ほど、不快感をあらわにし、組織とは決別している傾向にあるように見える。

3.噂話が尋常じゃなく好物
いうまでもなく。これで嫌な思いもした。
嫌なことがあった人が私に思いの丈を話してくれた。ふむふむと聞き、そうかぁ、大変でしたね、と返した。この案件、ワタシを含めて3人いる中間管理職のなかで、ワタシ以外の仮に「Aさん」が「Bさん」に対して抱いたものだった。

そりゃあリスクも考えるなら変に同調も加勢もしないのがベストと思い、前述のような返し方をしたわけだが、このAさんというのが実に信用に足らずガバートアグレッションのような言動多き人物の気配が覗く。

Bさんに対して少し困ったことがあり、
Aさんとの流れで、ワタシも少し焦ったことがあった、ということを話したところ、見事にBさんに筒抜け。

よかったー、本音をぶちかまさなくて!と安堵したのもつかの間、Aさんはワタシのことを愚痴を聞いてくれる都合のいい人としか思っていなかったのだと痛感した。

4.自分が嫌なことには敏感。他人に嫌な思いをさせることには鈍感
もはや言うまでもなく、いまの職場のもっとも苦手なところ。

自分で書いて、自分で読み返しても、
心のシャッターを閉めやすく、
また一度閉めたら容易には開かないような考え方なんだなぁと改めて思う。

器が小さいのかもしれない。

これらのコワッという経験を積み重ねていくと
安易に人に心は開かないし、
外面は笑顔でも心根は黒いものが渦巻いてるかもなんて思ったら…

益々ランチになんて誘えるわけない。

じゃあ、一人が好きなのかというと
別にそういうこともない。

気楽だと感じることは多いけど、
気心知れた人たちと過ごすのはこの上なく楽しいし、心が穏やかにも豊かにもなる。

肝心なのはその相手が信頼に足る人物か。
そこの見極めがきっとまだ下手くそなんだ。

そんなに寝返ったり、誰かを貶めて、
いったいなにが楽しいんだい?
人の悪口を言うことで生産性は上がるのかい?

なんだか思春期の子供達がいる学校のような、
はたまた大奥のような、
なんとも酸素の薄い場所であるということは確かだと思った。

石の上にも3年。
今年は折り返し。

心が動かされるような体験があるはずだと信じて、
自分の気持ちだけは死なないように向き合いたい。