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そろそろシェアハウスについての誤解を解きたい

根暗とシェアハウスの親和性

シェアハウスの運営をしているとかいうと、コミュ力おばけだと勘違いされがちだけど、たぶんその逆。

表面的なコミュニケーションは卒なくできるけど、実は人見知りだし、心を開くまでにだいぶ時間がかかる。飲み会とかイベントで知り合った人と会話を続けるのはどちらかというと苦手だ。

だから、ちょっとした時間の何気ない会話の積み重ねから、少しずつ相手を知っていけるシェアハウスという環境は実はとてもありがたい。

人を誘うのも何かと遠慮してしまいがちだから、シェアハウスに住んでると色んな人が勝手に訪ねてきてくれるのでラッキー。遊びに来る方もワンルームの一人暮らしよりも気軽に立ち寄りやすいのだろう。家にいながら新しい友人まで出来たりする、まるでソーシャル引きこもり生活のようだなと思った。

ひとりの時間の確保

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「ひとりの時間はいらないの?」とよく訊かれるけど、個室に入ってしまえばそこはプライベートゾーンだから特に不満に感じたことはない。それに、住民それぞれのライフスタイルが違うので、帰宅時間もバラバラでシェアハウスで暮らしていても意外にひとりでいる時間は多い。

一緒の空間にいても別々のことをしていることもよくある。約束して友達と飲みに行った場合などと違って、何か話題提供をしなきゃ、楽しんでもらわなきゃみたいなプレッシャーがないのは気が楽。ただ互いに好きな時間を過ごすだけだ。もしかしたら、人に気を使ってしまいがちな人の方が実はシェアハウスに向いてるのかもしれない。

そもそも、ひとりの時間が欲しければ、散歩に行ったり、カフェにいったり、旅に出たりすればいいよねと内心思っている。私だったらひとりでいることを強制される環境よりも、ひとりでいることを選択できる環境を選びたい。

とりとめのない会話の効力

仕事恋愛人間関係なにかあったとき「ちょっと聞いてよー」と気軽に話せる相手が家にいるのも心強い。特になにもなくても「春だねぇと」か「おいしいねぇ」みたいな会話ができると日常の幸福度が格別に増す。

この間も深夜にシェアメイトが「ぎゃー」って悲鳴をあげながらリビングにやってきたから、何事かと思ったら「斎藤工がえろすぎる」って話だった。まじでどうでもいい、笑。でも、そんな取るに足らないやりとりが日常を彩ったり、生きてくうえでのしんどさを和らげてくれたりしてくれる。

そんなシェアハウスの平和な日常は永遠のようで、刹那的だ。いつか皆それぞれのタイミングでこの家を巣立つことを心のどこかではわかっている。だからこそ、何気ない毎日の一瞬一瞬がかけがえがなく愛しいものとなる。

シェアハウスという選択肢

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思えば太古の昔から人間は共同体をつくって暮らしてきたわけで、ひとり暮らしなんて戦後のほんの数十年の新しい形態だ。念の為にいうと、別に私はここでシェアハウスvs一人暮らしみたいな論争を繰り広げたいわけではない。

でも、誰かと一緒に暮らしたいっていうのは人間として、ごく自然の欲求だと思っている。そんな時に「誰かと暮らす」という選択が家族や恋人に限られるのだとしたら窮屈だなって思うし、結婚したら独立分離して世帯を持つことが当たり前だとしたらちょっと面白くないなと思う。

幸いなことに私がシェアハウスのフィールドワークをはじめた10年前に比べたら、シェアハウスの数も知名度も格段に増えた。新しい家族のかたちもそれなりに認知されるようになってきた。それでも、「シェアハウスに住んでる」と人に言うとき、この暮らし方はまだまだマイノリティであると感じる。

好きな場所で好きな人達と好きなように暮らしをつくっていく選択肢がもっと気軽にできる世の中になればいいし、そのための文化づくりの一端は担っていきたいと相変わらず思っている。

▼シェアハウスの日常のひとコマ


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