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仕事じゃない仕事を大切にしたい。

ナースコールで呼び出されたので、Kさんの部屋に駆けつける。十中八九なんともないのだけど、なんかあったら嫌だからとりあえず階段を駆け上がる。

部屋につくとKさんはすっかり癇癪を起こしていた。あーまたか、という気持ちで正直いっぱい。とりあえず怒りを受け流す。すると今度は足が痛い、頭がくらくらする、背中が痒いの怒涛の訴えがはじまる。これも共感しつつ受け流す。次に始まる病院連れてけ、救急車呼べコールに備えて対応を考える。

予想通り、病院に連れていけコールが始まったけど、バイタル問題ないし、いま17:00なんだよな。病院閉まってるんだよな、と思う。根負けして時間外救急に連れていったこともあったけれど、特に何事もなく帰ってくるのがいつものパターンだ。どうしようかなと思いつつ、今日はつい常日頃から思ってることを口にしてしまった。

「Kさん、要は寂しいんでしょう?」


一瞬の沈黙のあと、Kさんは

「そうかもしれんな」


と人が変わったように大人しくなった。そして、ポツリポツリと自分の話をしはじめた。意識的でも無意識でも本人が訴えていることと、本心のニーズがずれていることは多々ある。昔の楽しかった頃の話、老衰していくことの焦り、趣味も生きがいもないことの虚無感と孤独感。K さんの話を聞きながら、これこそ本心だったことを改めて感じると同時に、日々のタスクに忙殺されて、K さんの生きがいにまで心を配れてなかった自分を反省した。

ひと通り話をきいたあと、私はKさんに桜でも見に行きましょうと提案した。Kさんを助手席に乗せてのお花見ドライブ。受診同行や役所同行などで一緒に車に乗ったことは何度もあるが、遊び目的のドライブははじめてだ。


御年80を越えたKさんとは、あと何回一緒に桜を見られるかは分からないからこそ、夕暮れの桜はより一層儚く美しくみえた。Kさんはかつてないほどの笑みをみせて喜んでいたが、私にとってもそれはかけがえのない時間だった。

いわゆる「支援」からは程遠いかもしれないけれど、本当はこういう仕事とも呼べないような時間にもっと力を割きたいと思う。おいちゃん達の生きがいをつくること、生きててよかったと思える時間をつくること。少ない人数で現場を回しているから、なかなか難しい。けれども、ひとりひとりともっとちゃんと濃密な時間を持ちたいと思う。彼らのことを大事に思ってることをちゃんと言葉で態度で示したい。

とか言いつつ、おいちゃん達の存在によっていちばん救われているのは他でもない私自身なのである。いつも「ありがとう」と言ってくれるおいちゃん、私に会うと笑顔を見せて喜んでくれるおいちゃん。彼らに必要とされている、愛されているという実感が今日も私を生かしてくれている。

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