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娘っこと愛車の関係

長女9歳が生まれた頃、山手の一軒家に引っ越した。交通の便は良くないが、育児には閑静で良い。職場復帰に備え、私の通勤用に車一台を買い足し、三人と二台の新たな生活が始まった。

 長女が生後一か月の時、慣れない運転で30分かけて初めて検診に連れて行った。道中、泣き出さないかハラハラものだった。ようやく到着し、その顔を見ると肩の力がふっと抜けるのがわかった。すやすや眠ってくれている。車に揺られると眠る、という、赤ん坊の習性に対して、全身全霊で感謝申し上げた瞬間である。

 生後8か月。保育所に通い始めた。ところが、慣らし保育3日目の朝、チャイルドシートに乗せようとすると、そうは行かんぞ、と言わんばかりの超鋭角なイナバウアーで対抗された。

しまった。

このシートに乗ると、保育所に連れて行かれる、という流れがバレているではないか。

最近の赤ん坊は勘が鋭いな。

感心している場合じゃない。その体を押さえつけて、シートベルトを、縛り付けるかのように何とか装着し終えたとたん、疲労とともに襲ったのは、子どもを預けて働く、と言うことの切なさ。イナバウアーを阻止された娘は、行き場を失ったその力を、泣き叫ぶための腹と喉だけに集中させた模様。その渾身のギャン泣きは、この後この子を預けることへの罪悪感を一層加速させるものとなった。

赤信号で止まる度

「大丈夫だよ」
「おしごとおわったらすぐ迎えにいくからね」

安心させたい一心でそう語りかけて

チャイルドシートから飛び出した、まだ頬のようにすべすべと柔らかい娘の足の裏をぎゅっと握り、到着まで最大限の愛情を充電した。いや、された、のかもしれない。

 一歳を迎え、キャンプにもでかけるようになった。片道4時間の車内で、それまでのようにスムーズに眠りに入ることができず、大泣きが始まった。チャイルドシートから下ろし、抱っこをしてみると、プチっと電池が切れたかのように、三秒で眠りに堕ちた。どうやら、母のぬくもりを感じながら眠りたかったらしい。そうして一つ一つ、娘の感情が成長し、複雑化していくのを感じていった。

 そして三歳。大好きな保育所へ向かう朝は、まだまだ体に合わない大きな制服をひるがえし、颯爽と玄関を抜ける。目指すは助手席、チャイルドシート!ドアを代わりに開けようとする私の手を振り切る。

「じぶんで!」

「あのバチュ(バス)抜かちて行こ!」

「チートベルトユルイ~」

通園の車内は、止まらないおしゃべりがBGMだ。

 これからの思い出、どれをとってもそこには愛車くんが居るのだろう。そのうち、娘のたくましい運転姿が見られるようになるのだろうか。そんな遠い未来のことを、ぼんやりと思い描いている。

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