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阪神・淡路大震災から29年 Be Prepared(備えよ、常に)能登半島地震で思い出した、あの日

よみがえる阪神・淡路大震災の記憶

2024年、元日に能登半島を襲った大地震。
次々と流れてくる映像には既視感しかなかった。

うねる大地
大きく揺れて崩落する家屋
迫りくる津波

そして何よりも私が恐怖を感じたのは、輪島の朝市で知られる市場の古い家屋や建造物が炎に包まれる様子だった。

「あの時みたいだ……。」


2024年元旦の夕方、ソファに腰掛けて本を読んでいると、ふいにグラン、グランと大きな横揺れが襲った。

「地震!」

家族はみんな1階にいた。大阪北部地震の際に学んだ通り、全員が一斉にリビング中央にある頑丈なダイニングテーブルの下にもぐり込む。

今回の能登半島地震での揺れは、これまでとは違っていた。まるで、遊園地のアトラクションに乗っているような、三半規管がやられそうな横揺れ。ドーンと突き上げるような感覚や、ゴォーという地鳴りは聞こえなかった。

ニュースで震源地は石川県の能登半島、津波が迫っていると知った



能登半島の方々も、年末大掃除を済ませ、すっきりした我が家でゆっくり過ごしていた人も多かったはず。コロナ禍の行動制限も緩和され、久しぶりに親しい人との再会を楽しんでいた人たちもいただろう。それなのに、なんというタイミング。どうして今なんだ……。


思えば、阪神・淡路大震災が起こったのも1月だった。


1995年1月17日5時46分



寝ていると「ドーン」と言う音と同時に、突き上げるような衝撃で身体が跳ね上がった。六甲山に何か巨大な飛行機でも墜落したのかと思うような、ものすごい爆音と衝撃。

「ベッドから投げ出される」と思うほどの大きな揺れと「ゴォー」という凄まじい地鳴り。家じゅうの家具が倒れ、飛び出した家財道具が床に散らばる音が響く。わたしは揺れが収まるまで、ただただ布団をかぶってベッドにしがみつくしかなかった。

我が家は幸いなことに居住地の地盤が強固だったのと、住宅が鉄筋コンクリート造りだったため家屋が倒壊せずに済んだ。家族全員、無事だった。

電気・水道・ガスのライフラインは完全に停止。我が家の徒歩圏内にはコンビニやスーパーが無い。夜が明けるのを待って、当面の食料や生活必需品を調達しに市街地へ向かうことになった。

市中は居住地とは比べ物にならないくらい、悲惨な状況だった。

高層ビルは折れたタケノコのように傾いていた。マンションの1階部分はへしゃげて原形を留めていない。高速道路は飴細工のごとくグニャリと曲がり、電車の高架は鉄骨が折れて完全にガード下に落ちている。


「買い出しどころではないんだ……」

線路の周辺では崩れ落ちた民家や集合住宅が重なり、至るところで出火していた。暗く冷え切った冬空のあちこちで、立ちのぼる黒煙と炎。着の身着のままで飛び出したのか、毛布にくるまって震える人たち。
まるでテレビで見る戦争ドラマや、映画で怪獣やエイリアンに破壊された街の映像のようだった。


あまりにも無残な目の前の光景。
現実だと受け入れ難く、どこか映画を観ているように呆然と立ち尽くしたのを覚えている。

住んでいた場所が数メートル違うだけで、生死を分けた都市直下型地震の本当の恐ろしさを知った。


ライフライン・物流の遮断で食料と生活必需品などが手に入らない

倒壊しかけた商店街の一角で、かろうじて営業している店があった。店頭には行列ができている。


「現品のみ」

その店では炊飯器や電気ストーブなどの電化製品や、鍋やバケツなどの日用品が、定価の倍ほどの価格で販売されていた。
この店も在庫商品を売り切ってしまえば、店舗再開のめどは立たないし、客のほうもこの機会を逃せば、次は必要なものが、いつ手に入るかわからない。そう感じた人たちが寒空の中、混みあう店舗内へ入れずに行列を作っていたのだ。
我が家にはお湯を沸かせる電気ポットが無かったので、必要にかられ「高いな」と思いながらもポットを1台買った。余震におびえつつ、早々に自宅へ引き上げる。


電気はその日の夕方には通ったが、断水が続いていたので、自衛隊の給水車が近所の公園へ毎日のように水を運んできた。

「大丈夫!明日も来ますから!」



自衛隊仕様の迷彩柄の缶詰や、保存食などの救援物資が、次々と手際よく渡される。

鉄道はどの路線もしばらくは復旧困難なダメージを受け、高速道路は壊滅的な状態。被災地への物流は、搬入経路がほぼ遮断されているといってもいい状況だった。
幹線道路は大渋滞で、う回路を経由しても被災地へ入るだけで数時間かかっていた。自衛隊の車といえども、がれきの積み重なる道なき道を走って被災地へ物資を届けるのは並大抵のことではなかっただろう。


余震が続き、ライフラインの復旧のめども立たない。先の見えない不安と恐怖。そんな中でも疲れを見せることなく、明るく声を掛けてくれる自衛隊員たちの存在は、本当にありがたく勇気づけられた。


水道もガスも止まっていて入浴ができないので、電気ポットで湯を沸かし、身体を拭くだけ。髪は1週間に1度、ポットの湯で洗った。避難所で暮らしている人達のことを考えると、自宅で過ごせるだけでも恵まれていると思った。

公民館や学校は避難所や遺体安置所になっていて、そこでも感じたのが”におい”だった。食事、睡眠、排泄、そして葬儀までが近接した避難所の”強烈な生活臭”だ。

消えない”におい”の記憶


”におい”や”香り”の記憶は、簡単には消えないものらしい。

特定の”におい”が、それに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象は「プルースト効果」と名付けられている。嗅覚は五感の中で唯一、本能的な行動や喜怒哀楽などの感情を司る脳の大脳辺縁系に直接つながっている。
素敵なにおいによって呼び起こされる記憶は、懐かしさであったり、時には恋慕だったりするのかもしれない。だが、それは芳香だけにあらずなのが、何ともせつなくなる。

正月のどんと焼きや、畑でちょっとした何かを燃やしている野焼き、工事現場での廃材の焼却など、今でも”大量の何かが燃えているにおい”を嗅ぐと、ふとした拍子に、さまざまなものが燃えていた震災当時を思い出す。
最近では滅多になかったがキャンプファイヤーやバーベキューなどでも、炊き出しの炎を思い出すこともあった。そして、あの日を思い出していたたまれない気持ちになる。

神戸市「人と防災未来センター」で体験したこと


昨年の夏、神戸市の「人と防災未来センター」を訪れた。


4Fの震災追体験フロアにある「1.17シアター」では、当時の地震破壊のすさまじさを、大型映像と音響で体感することができる。

1.17シアター[上映時間7分]

「1.17シアター」を実際に体感するまでは、強烈な場面があっても、冷静に見られるだろうと思っていた。しかし、実際にシアターで再現映像や振動、音響を目の当たりにすると、強烈なフラッシュバックを起こしてしまった。

胸の奥に大きな塊が詰まったように息苦しくなって、手足の震えと涙が止められず、ぐったりしながらシアターを後にすることになった。

わたしは震災で自分がけがをしたり、肉親を亡くしたりはしていない。自宅が無事で避難所生活も経験しておらず、ライフラインが復旧のめどが立つまで、近県の親戚の家に1カ月ほど居候させてもらっただけだった。

震災で肉親や家を失い、心身ともに本当に辛い思いをしながら、避難所生活を強いられている人たちの事を考えると、自分が”被災者”を名乗るのはおこがましく感じていた。”震災によるダメージ”は負っていないつもりだった。

その後に入った震災直後のまち並みをジオラマ模型でリアルに再現した「震災直後のまち」も、当時の様子を鮮明に思い出してしまった。直視するのが辛かったので、うつむいたままで通り過ぎた。

震災の記憶は、わたしの中で、まだ過去にはなっていなかった。


平凡な日常は当たり前じゃない


建物の外に出ると、太陽がまぶしく、青空には白い雲が浮かんでいる。倒壊した建物があった場所には、都市計画と再開発によって美術館や高層ビル、商業施設やマンションが立ち並び、今では震災のつめ跡は、ほとんど目立たなくなった。

一日一日、何でもない日常が流れていくことの尊さよ。

当たり前すぎて気付きにくいけれど、まず命があって生きているってすごいことだ。それに安全安心で衣食住に困らない暮らしができるって幸せなんだ。何もない平凡な日常のありがたさを実感した。

Be Prepared(備えよ、常に)


災害や事故は、一瞬にして当たり前の日常を奪っていく。だから考えられる最善の対策をして「常に備えておく」ことが大切だと思う。そして機会があれば、兵庫県神戸市の「人と防災未来センター」を訪れてみてほしい。災害が発生した時には、どう行動すればいいのか、前もって備えておくには何をそろえればいいのかが、展示物やワークショップを通して学べるようになっている。

減災グッズチェックリスト
【この減災グッズチェックリストは、阪神・淡路大震災記念人と防災未来センターホームページ(https://www.dri.ne.jp/)からダウンロードできます】


そして「いつでもできる」と思っていることはやってみよう。「いつでも会える」「いつでも話せる」と思っている人には、時間の許すかぎり、会って、話しておこう。

「日常は、当たり前じゃない」のだから。


最後に
2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。どうか身体だけでなく、心のケアにも十分な時間をかけ、お互いに支え合いながら前に進んでいかれることを願っています。そして、被災地域の方々へ必要なサポートや資源が速やかに届き、一日も早く通常の生活に戻れますよう、再び笑顔で暖かい日々を迎えられますよう願ってやみません。ささやかながら被災地域の復興と生活再建のお手伝いとして、心からの思いを込めて義援金をお送りしました。どうか、少しでもお役に立てれば幸いです。

被災地の皆様の健康と安全、一日も早い復興を心よりお祈りしております。

石川県の災害義援金受付


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