女の子信仰

プリクラコーナーでおしゃべりする女の子たちが落としたガチャガチャのヘアゴムをパクってポニーテールをしていた。これでぼくも女の子になれるかなっていうごちゃごちゃした祈りをこめてぎゅっと結んだ黒髪は少女信仰を続けるためのせめてもの足掻きで、ぼくはもう十代ではないと思い知る。最近流行りのギャルはつけまなんてしないし、カラコンの広告に写るキメ顔をした元AV女優が輝いて見える。1dayのカラコンを1週間使うのはきらめきを延長させたいから。渋滞したかわいいを解き放つ光が年齢なんて、そんなリアリティな現実は残酷でかわいくない。顔もスタイルも凡人でしかないぼくが嫉妬の目でインスタのおすすめに出てくる美女にいいねをする、これだって自傷行為の一環。ルッキズム信仰が加速するのはSNSのせいだって思う、別にぼくたちは外見が美しくなくたって充分幸せでいられる権利だってあるのに美容整形情報を発信するアカウントをリムーブできない。愛されるための美しさなんていらなかった。ただぼくがぼくを愛するためにきらめきたかった、ぼくは孤独でも大丈夫だよって胸を張って言えるくらいの自信が欲しくてときめくものに金を払い続けている。滞納している家賃、水道料金、ガス料金と年金。生きていくために必要なものって全部かわいくないな。かわいいあの子の瞳とセックスして内側から交わってみたかった。今、すれ違った女子高生の香水を特定して、全部全部執着心から来るものだった。ぼくは女ではなくてずっと女の子になりたかったんだ、消費されないかわいさはおばあちゃんになってもぼくを守ってくれるから。今日の気分に似合うアイシャドウを、リップを、香水をつけたら、幾多の運命の中からひとつ、当たりが出てくれるかな。そう思って靴を履く、陽射しが眩しい午前のこと。大丈夫、きみはきみでいるだけで美しいよって言えるくらい優しいひとになりたかった。きみがきみにこれでもかというくらい愛されますように。それが女の子として産まれてきたことの使命だよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?