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それでも人生は続いていく

8月も、もう後半になった。

まだまだ暑い日が続いていて
涼しく過ごせる秋が恋しい。

今月は、怒涛のように過ぎていった。

先月、まさか1ヶ月後に
妹が天国に旅立っているなんて
思いもしなかったから。

私と妹は、二人とも2020年に
乳がんが発覚した。

それぞれ別の病院で治療をしていたけれど
抗がん剤治療や手術など、
標準治療を受けて同じような経緯で進んでいたので
お互い情報交換したり、励ましあってきた。

後に二人とも、遺伝性乳がんのHBOC/BRCA1とわかり、
私の主治医にも妹の経過など報告していた。

妹は、最初の発覚時は、
ステージⅡaのトリプルネガティブだった。

私より半年後に発覚したのもあって
すぐに遺伝子検査をして
BRCA1とわかった。

術前抗がん剤治療では、
すごく薬が効いて、腫瘍は全て消えて
完全奏効になった。

全摘手術をして、対側も予防切除をして、
再発率はかなり低く、ほぼ大丈夫だろうという医師の見解だった。

妹は心配症で、まだ小さな子どもたちもいるのもあって、
将来のために、卵巣の予防切除も予定していたほど、
主治医の提示するファーストラインの治療を
完璧にこなしていた。

私と母は、そこまでやらなくても
大丈夫なんじゃないかと思うほど。

でも妹は、後で後悔したくないからと
今できる最大限のことをやっていた。

我慢強く、泣き言も言わず
頑張りすぎなんじゃないかと思うほど。

子どもたちのために、命を懸けて。

そして、そこまで頑張る妹の姿を見て
誰もが絶対に大丈夫だろうと
信じて疑わなかった。

術後1年で皮膚に再発が見つかった時も
驚いたけれど、まだ小さく、
局所手術をして大丈夫と思っていた。

それから、肝臓に転移が見つかった時も
ショックを受けたけれど
BRCAの特効薬のリムパーザが効いて
一時期は転移も消滅していた。

だけど、どうしてなのか、、
また肝臓と肺に再発転移が見つかった。

今年から抗がん剤治療を続けていたけれど、
最後は効かなくなってしまい
進行スピードが早く
腹水などの症状が出て、
今月、旅立ってしまった。


本当に、まだ信じられないくらい、
信じたくないくらい
色々な感情が渦巻いている。

妹は、私と違って治療も
スムーズに進んできた。

乳がんの発覚した時点でも
私はステージⅢaで、白血病の既往歴があり
使用できる抗がん剤も限られていた。

術前抗がん剤治療でも
私は全く効かずに、逆に腫瘍が大きくなって
急遽、手術になった。

また、副作用が出やすい体質で
抗がん剤も耐性があるのか効きづらかったり
主治医が当初、考えていた治療予定の
半分もできてないくらい。

もう完全にオリジナルモードで
主治医も私の意思を尊重してくれていて
今のエスワン治療も減薬して続けている。

医師からみるときっと、
妹は医師の言うことを素直に聞いて
薬もちゃんと飲む優等生タイプの
患者だったんじゃないかなと思う。

私は全く反対で、
自分の身体に合うもの
納得できる治療しか
受けたくないタイプだから。

でも私の主治医は、
私は病気のことや治療のことも
よく勉強していると言ってくれる。

何が標準的なベストかは知っているけれど
白血病の既往歴のこともあって
自分の心と身体が納得できるものしか
できないタイプなんだと
それを理解してくれている。


妹が治療を受けた大学病院にも
私と母は、思うところがある。

抗がん剤の副作用で発熱が続いて
妹がしんどいと言っても
病院側は、血液データ上は問題ないと言って
減薬こそしたけれど
強い抗がん剤治療のECを続けたこと。

そこから急激に体調が悪化していった。

その前の抗がん剤治療の
アバスチン+パクリタキセルでは、
普通に生活できていた。

予定では、次はハラヴェンだったのが
初発の時にFECが効いていたからと
ECに変更になった。

どんどんと体調が悪化していく中
妹の主治医は、抗がん剤を続けるか?
在宅訪問医療や緩和ケアに行くか?
その二者択一を迫った。

大学病院は、教育・研究機関であることはわかるけれど
人の命に対して、もっと寄り添ってあげて欲しかったと思う。

最後の1ヶ月はCTやエコーの検査もせずに 突き放されたような
冷たい対応に感じたし
実際妹は、恐怖と絶望を感じ泣いていた。

CTやエコーの検査もされずに
自分の身体の状態がどうなっているのか分からず、腹水でお腹が大きくなってきて
妹もすごく怖かったと思う。

ただ、そんな状態になっても
大学病院は、エンハーツの抗がん剤が
適合するかの検査を勝手にしていた。

妹も明細書に加算されているのを見て
初めて気づいたようで
母は、こんな状態になっても
新しい抗がん剤を使用しようと試みていて
大学病院の実験台にされているようだと怒っていた。

旅立つ3日前に一度だけ、
在宅訪問の医師が来てくれた。

エコーで診てもらったけれど、
腹水は抜きにくい位置にあるし
今すぐ処置しないといけないレベルではないと言っていた。

日に日に、刻一刻と容体が悪化していき
私たちは焦りと恐怖の中
どうにか、ちゃんと診てくれる病院に
入院して欲しいと願っていた。

最後ギリギリで
私が通院している病院に入院できた。

緩和ケアの医師にたどり着いた時は
もういつ亡くなってもおかしくない状態と言われた。

そして、私と父がお見舞いに行った日
妹と少し話をした後、
しんどそうになったので
妹が好きだった曲をかけると
眠るように、一筋の涙を流して旅立っていった。

緩和ケアの看護師さんと私と父がいる時に
穏やかな最期を見送ることができた。

すぐに母と、妹の旦那さんと子どもたちも病院に向かっていたけれど、間に合わなかった。

また目覚めてくれるかと
手を握って、ずっと呼びかけていたけれど、
戻って来てはくれなかった。

私は妹と最期に逢うことができて
そして穏やかに見送れて、それだけが救い。

でも本当に残念で悔しい。

もう少し早く転院できていれば
回復できるチャンスがあったかも…
とか、色んな思いが込み上げてくる。

もう本当に、
こんなに悔しくて哀しいことはない。

妹はもうこの世にはいないと
頭ではわかっているけれど
心がまだ完全に受け入れられていないかも。

妹の遺影や、写真が辛くて見れない。

まだどこかにいるような
電話したらまた出てくれそうな
そんな気がして。

そんな哀しい気持ちもある一方で
不思議と、新たにやりたいことや
叶えたい夢が次々と湧いてきている。

命の儚さと同時に
人間が持つ、強い生命力を実感している。


どんなに哀しいことが起こっても
それでも今、私は生きている。

朝が来て目覚めて
お腹が空いてご飯を食べて
日常生活をこなしている。

妹が失ってしまった
何気ない日常が私にはある。


私にはまだやりたいことがあるし
妹が叶えられなかった
子どもたちの成長も見続けていきたい。


これからも、まだまだ人生は続いていく。


どんなに嘆き哀しんでも
妹は戻ってこない。

自分の病気のこともあるし
嘆き哀しんでいる時間よりも
好きなこと、楽しいことを沢山して
これからの人生を幸せな時間にしてあげたい。

それが自分自身のためでもあるし
きっと妹もそう願ってくれているんじゃないかなと思う。


最近、ミディアムシップの
天国にいる愛する人と繋がる瞑想で
妹と繋がることができた。

お話できて嬉しかったし
メッセージをもらって
自然と涙が溢れて号泣した。

本当に妹だとわかった。

スピリチュアルな世界を
ずっと旅してきて
それが救いになっている。

この人生が終わっても
魂は永遠に続いていくこと。

目には見えない世界が
確かにあって
そして繋がることができること。

時々、そうやって
妹ともコンタクトをとりながら
この哀しみを癒していきたい。

時間はかかるかもしれないけれど
笑って過ごせる時間が
増えていくといいな。


そして私にできること
今この瞬間を大切に生きていきたい。


最近ずっと Bialystocks (ビアリストックス)ばかり聴いている。

明るい曲も、静かな曲も
歌声が優しくて、美しくて癒される。

Bialystocks は曲の中に
出会いと別れ、生と死、
死生観を感じるものが多くある。

曲を聴いているうちに
私の心の奥深くにあった
死という恐怖の世界観を
優しい世界に変えてくれた。


大切な人と過ごした日々は
いつまでも消えることなく
愛と光に包まれた宝物になって
残された人の中で生き続けていく。

切なくて、心にしみて泣けてくる。

今の私にとって、グリーフケアになっている。


Bialystocks - 光のあと (Acoustic Ver.)


ボーカルで作詞/作曲をされてる 甫木元 空ホキモト ソラさんは
若くしてご両親を亡くされている。

キーボードで作曲もされて
ジャズピアニストでもある
菊池 剛さんの演奏も素晴らしい。

そんな彼らの表現する
美しく優しい世界観に
とても共感し、癒される。

“旅は続いてく もう二度と戻らない日々よ”

“あなたを思い出す光のあとで”


天使の愛に包まれて
哀しみが癒されますように

暗闇の中に光の花束を


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