見出し画像

パリがちょっと嫌いになった話



シャルル・ド・ゴール空港に到着

エティハド航空を利用し、アブダビでのトランジットを経て約20時間のフライト。
腰とお尻の痛みに耐えながら、何とかフランスに到着!

しかし、待てど暮らせど荷物が出てこない。
ロストバゲージかとひやひやしながらベルトコンベアの前で待つこと30分、外傷を負ったピンクのキャリーが流れてきた…!


こんな壊れ方できるんですね

たったそれだけの出来事で、「なるほど、これがフランスか…!」となぜかテンションの上がる私。

その後、治安の悪さで有名な地下鉄に揺られてパリ北駅へ。
物乞いに恫喝されないかひやひやしていたが、マダムにフランス語とジェスチャーで「スーツケースが邪魔だからもっと気を使って乗れ」と言われたくらいで済んだ。(この時点で日本に帰りたくなる)(彼女は周りの男性に「ムッシュー!」と声をかけ、他のマダムに席を譲らせていた。。。フランス人女性は強し。。。)

Hotel Nation Monmartolにスーツケースを預け、やっと観光。フロントも笑顔はないものの英語は通じるし不安が少し和らいだ。
ちなみにこの10日余りの旅で最も使った英会話フレーズは

"Can I leave my suitcase here?"(荷物を預かっていただけますか?)"
である。

"Is this still mineral water?"(これは炭酸無しの水ですか?)
も同率1位かな。


モンマルトル観光開始!

そこからはパリで一番美しい通りと言われる「アブルヴォワール通り」(静かな石畳の小道だった)やラ・メゾン・ローズ(ピンクの外壁がかわいいカフェ)を通り、サクレ・クール寺院へ。


サクレ・クール寺院は普仏戦争の慰霊のために建造されたもので、
ドーム以外は無料で見学することが出来る。

真っ白でレースの様に重なった屋根がかわいらしく、恋人たちの南京錠で埋め尽くされた高台からはパリの景色が一望できた。


高台からの眺め

路上の物売りが多くて早めに退散したけど、ゆっくり観光するのがおすすめです。


世界中の言語で愛の言葉が書かれた「愛の壁」は、
「愛しています」と「大好き」の2つを見つけられてにっこり。

カップルが通行人にカメラをお願いし、熱烈なキスをしながら写真に納まっていた光景が衝撃的過ぎて忘れられない。

ヨーロッパの人たちは本当にすぐキスする。
人前とか関係なく、数秒の信号待ちとか。
ただでさえ人恋しいのに毎日のように見せつけられるので、寂しすぎて当時の恋人に毎晩1時間ほど電話をかけていた。時差を無視して。ごめんね♡


こっちが恥ずかしくなり、写真だけ取ってそそくさと退散。


「アメリ」の舞台で受けた初めての差別

映画「アメリ」で主人公がバイトしていた
"カフェ・ドゥ・ムーラン"にやってきた。

ここでスプーンの背を使ってクレームブリュレにひびを入れまくりたい…!
という夢があったため、緊張と興奮MAX。

ところが、注文のために声をかけても店員がなかなか来ない。
途中、トイレの場所を聞いても何回か聞こえないふりをされる。

最初は自身の英語力の問題かもと焦っていたが、
「差別されている」と気づいた瞬間に頭が真っ白になった。

恐怖と不安で泣きそうになり、お会計の声掛けをも数回無視されたときは涙をこらえるのに必死だった。

全員がそのような態度だったわけではなく、1人の黒人男性のみであった。
他の女性店員たちは「もう、そんな態度取って…。ごめんね…。」と言っていた(多分)。

今考えるとこちらこそ差別的な考え方なのだが、何となく  
白人 > アジア人 > 黒人
のイメージがあったので、もし差別を受けるにしても白人からではと思っていた。
旅行全体を通じて感じたことだが、アジア人というのは自らが思っている以上に国際社会でのヒエラルキーが低いらしい。(私個人の感想です)

少なくても黒人は
白人 > 黒人 > アジア人
と考えている様だったし、

「コロナで差別を受けるかも」という渡航前の不安が、
到着後数時間で
「アジア人だから差別を受けるかも」という不安に変わった。

クレームブリュレもカフェラテも最高においしかったけれど、
アメリの世界観よりももやもやした気持ちが残ったカフェタイムであった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?