ひきこもってた話

ひきこもりだった。

高校1年の夏に学校に行けなくなってから、いわゆるうつ状態と診断された。その後さらに立て続けに重めのライフイベントが重なり、躁状態を挟んだのちに、希死念慮の、ただの動けないかたまりになっていた。

ライフイベントラッシュの後、無理をしないように、と父親が通信制高校への転入を進めてくれた。夏から不登校で、本来なら単位が足りず、もう一度高校へ入学しなければならなくなるところだが、先生たちのご配慮で課題をいくつか与えてもらい、単位を出していただいた。今思い出すとなんてありがたいことだろうか…。

ちょうど躁真っ只中だったので、無敵のわたしは全て期限よりもずっと早く課題を達成した。例えば数学の課題は長期休暇中の宿題テキストだったが、確か3日ほどで終わらせてしまった。先生が驚いていたので、わたしは嬉しかったのだが、あの集中力は普通じゃなかったな。

もともと自分の感情を出すのがすごく苦手だったはずなのに、あらゆる場面で笑顔も涙も、ごく自然に、というか役者のごとくオーバーリアクション気味に、出すことができた。

わたしやればできるじゃん、元気元気、って思ってたけど、もともとそんな力はない。(あったらうつになってない)

集中力と感情の前借りをしすぎたわたしは、春のふわふわした環境から逃げるように、去年の夏の終わりのひきこもりにまた戻ったのだった。

通院と高校のスクーリング(月に1、2回学校で授業うけるやつ)以外はほぼ外出しなかった。というかできなかった。

体力がないから気力もわかない、やりたいこと以前にできることがない。

集中力が続かないから、本も読めない、勉強がこれからできる気がしない。

うつ、そして躁を経験したのちのうつ、はとてつもなく自己肯定感を削っていた。こんなこともできないなんて、ことにプラス、あんなにできていたのにどうして、という自分を本当に信じられなくなるやつ。できたことができなくなるというのは、わかりやすいほどに人間の自信をはっきりと失わせる。

とにかく何もしたくないし、無力感が大きくて、あれだけ課題も楽々こなせたのに。課題を出しに行った時、職員室には赤点を取って呼び出されている人が結構いた。あの時は何も思わなかったけれど、何も出来なくなった途端に思い出して、悲しさと悔しさがのしかかってきた。

「自分なら、学校行けるくらい元気なら、赤点なんか絶対取らないのに、なんであの人たちは元気なのに頑張ってないの?」

というやつあたり的感情。そしてどこもやり場がないので、布団にくるまったまま脳みそのなかで反芻するだけである。おそらくこういうどううううでもいいことに思考力も食われていたんだと思う。

毎日布団にくるまっていた。ほぼほぼ寝ていて時間が溶ける。いま考えるとなんて恐ろしい日々だったんだろうか。(今でもたまに休日溶かすけど)

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